「はい。少なくとも私がお仕えしてからは一度もございません」
「そうですか! それは好材料です。それでは、眩暈がする、とか耳鳴りがする、とか言っておられたことが何度かありませんでしたか?」
「いいえ、一度も」
マルグリット嬢が何か言おうとする様子を見せたが、医者は身振りと声で静かに、と制し、質問を続けた。
「伯爵は大食する方ですか? アルコールは多量に飲まれますか?」
「いえ、伯爵は非常に節度を保った飲食をする方でございます。ワインは常に水でごく薄く割ったものをお飲みで……」
医者は頭を前に傾げ、じっと考え込む風で聞いていた。眉を寄せ、下唇を突き出し、ときどき髭のない顎を撫でていた。彼の師がやっていたように。
「こりゃまずいな」と彼は小声で言った。「病気には原因がある筈だ。伯爵の体格からは、このような突発性の発作の素因をなすようなものは見当たらない……」
彼は黙った。それから突然マルグリット嬢の方に向き直った。
「どうですか、お嬢さん、伯爵には最近なにか激しく興奮するようなことがあったかどうか、ご存じですか?」
「ありました。それも今朝のことです。大層激しい苛立ちを見せたのを、私はっきり見ておりました」
「ああ、やはりそういうことであったか」 と医者は予言者の身振りで言った。「何故、最初にそう言わなかったのですか! お嬢さん、私には詳細を知らせてくれないと困りますね」
マルグリット嬢は言いよどんだ。召使たちは、この医者のやり方に眩惑されていたが、彼女は召使たちと同じ気持ちは持っていなかった。こんな医者の代わりに、かかりつけの医者がいてくれたら、どんなに良かったか、と彼女は思っていた。それに、瀕死の病人の枕元で、使用人全員が聞いている前で行うこの乱暴な質問の仕方が非常に無礼だと思った。病人は人事不省に陥っているかもしれないが、耳は聞こえ、理解しているかもしれないのに。
「私にはどうしても事情を知る必要があるのです」と医者は有無を言わせぬ口調で言った。
このように迫られては、もう躊躇うことは出来なかった。彼女は記憶を整理しているような様子で、悲し気な声で話し始めた。
「今朝、私たちが朝食のテーブルについたばかりの時のことです。一通の手紙がシャルース伯爵に届けられました。伯爵はそれを一目見て、顔面が蒼白になりました。彼はすぐに立ち上がり、苦痛と怒りの言葉を大声で叫びながら、食堂を歩き回り始めました。私はどうしたのかと尋ねましたが、私の言葉が耳に入らないようでした。でも、そんな風にして五分ほど経つと、席に戻り、食ベ始めました……」5.20
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