倉庫から出た不要物を業者に依頼して丸々、回収してもらいました!
このトラックに全部積込みました。
倉庫から出た不要物を業者に依頼して丸々、回収してもらいました!
昭和五十九年度国士舘高校卒 小倉健二
私は国士舘高校を卒業後、昭和六十年四月から鎌倉市消防本部鎌倉消防署に勤務しています。鎌倉と言う地は私の生まれ育った場所でもあります。
その地元鎌倉で、現在は市民の生命、身体及び財産を火災から保護するとともに、火災又は地震等の災害による被害を軽減するほか、災害等による傷病者の搬送等を行い安寧秩序を保持し、社会公共の福祉の増進に資することを目的として勤務しております。消防士は災害現場で人命救助や消火活動を行うので日頃の訓練、体力トレーニングは最も重要な課題でありかかす事が出来ません。
私は身体を鍛える事はもともと大好きで中学、国士舘高校時代と松林流沖縄空手の道場に通っていましたが、二十三歳の頃に職場の先輩で極真の道場に通っていた方と同じ部署に配属され、休憩時間になるとよくスパーリングをしました。
極真空手は直線的な動きに特徴があり、その中で繰り出される重い突きや蹴りのパワーは、強烈で衝撃を受けました。丁度その頃から先輩の居る極真空手大船支部道場に通うようになりました。しかし、そこでは他流派からの入門生と言う事で、いきなり1対10人のローテーション組手の洗礼を受け、初めの五人目位までは難なく倒したものの、徐々にペースダウンし、10人を過ぎた所で完全に息が上がり、最後にはガードする腕も上がらない状態で壁を背負わされ、正拳突きで胸の中心にある胸骨を折られてしまいました。
それからは打たれても力負けしない強靭な筋肉の鎧を着けるため、日々努力を欠かすことはありませんでした。また、ウェイトトレーニングの知識を付けるため、独学で解剖学、栄養学の本を読んで勉強し、毎日プロテインや必須アミノ酸などを摂取して、吐く寸前まで高タンバクの食事を摂る努力をしているうちに、高校時代52kgであった体重も65kg位まで増え、徐々にボディビルのような体形に成って行きました。筋力が付くと空手の突きや蹴りの威力も格段に上がり、入門時に組手で受けた洗礼の借りは予想以上に早く返す事が出来ました。
トレーニングの面でも体重が増えてくると重くて扱えなかった100kgのベンチプレスが、面白いようにスイスイと扱えるようになり、この頃から空手よりウェイトトレーニングで身体を鍛え上げ、ベンチプレスで高重量を挙げる事が何時の間にか楽しく成って来ていました。そして二十六歳の頃、トレーニングに通っていた鎌倉市体育館で、第一回ベンチプレス選手権大会が開催される事になり、ルールも分からないまま出場しました。
記録は六十七・五級で出場して110kgを挙げて3位。こうして行くうちに空手の補強で始めたウェイトトレーニングから、本格的なパワーリフティングの競技選手と成り、今では世界大会に日本代表選手として参加するまで力を伸ばすことが出来ました。公式大会での私の記録は245kgです。
世界マスターズベンチプレス選手権大会
2010フロリダ州オーランドで開催された世界マスターズ選手権大会では、私が入学した昭和五十七年に、国士舘高校の教壇に立たれた中谷幸市先生も100kg級日本代表選手として出場されています。
この大会で中谷先生は金メダルに輝き、現在日本記録保持者でもあります。
私が競技を始めた当初から中谷先生はパワーリフティング界では、全国区で知られる程の有名選手でありました。当時は工業科を受持ち、空手部の顔問をされていて、後に全日本極真空手道選手権大会にも出場されていました。
私は長い間、中谷先生の背中を追いかけながら、ようやく今年の三月に先生と同じ世界マスターズベンチプレス選手権大会のプラットフォームに立つ事が出来ました。ベンチプレスと言う競技を通じて四十歳を過ぎて母校の先生と再会することが出来たという訳であります。
今年十月には、中谷先生から食事会に誘って頂き、久しぶりに我母校国士舘高校へ足を運びました。26年振りに国士館を訪問し、学校内を案内して頂きましたが、今では共学となり雰囲気はすっかり変わり、制服も蛇腹からブレザーになっていて当時、テーラー並木で特注した中ラン、股上の高いドカンなどを履いているような生徒は1人もいる訳もなく少し寂しい気持ちになりましたが、これも時代の流れなのでしょう。
そして職員室では、私の担任であった花香先生や同じ学年を受け持っていた板垣先生とも合わせていただきました。花香先生は26年振りに会ったにも関わらず私のことを確りと覚えていて下さりました。
「26年前にお世話に成りました小倉ですが覚えていますか?」と聞くと「お前を忘れる訳ないだろ!当時悪かった奴はみんな覚えているよ!」と笑顔で応えてくれました。国士舘高校時代に、私と最も親しくしていた新宿から通っていた清水君が、五年前に白血病で他界したことを伝えると、既に御存じで他に二人が他界したことを知らされ何とも言えない気持ちに成りました。
職員室を後にすると当時、生徒指導をされていた柔道部顧問の岩渕先生が居る柔道場へ案内してもらいました。岩渕先生は、よく校舎の入口で服装や頭髪の乱れなどの検問をして生徒を張っていたのですが、私は岩渕先生の目をごまかす為に検問を通過する時だけは、いかにも真面目な生徒の振りをして逃れようとしたのを思い出して、つい笑いが込み上げました。でも毎回、直ぐに見つかり何度かバリカンやハサミで髪を切られたことは今でも鮮明に覚えています。そんな岩渕先生に会うと、今の私を見て「なんだよ!もう今は切る髪も無いな〜と一言(笑)当時の雰囲気は全く衰えてなく、相変わらず貫禄がありました。
最後に中谷先生が顧問を務める国士舘高校パワーリフティング部を案内して頂き、部員の方達と一緒に汗を流させて貰いました。ここでは先生の情熱的な指導、部員を自分の子供のように気遣う姿がとても印象的でした。また、パワーリフティング部の皆さんの一生懸命な姿も見ることが出来て大変有意義な一日と成りました。パワーリフティング部の皆さんは、世界で活躍する先生の姿がとても良い刺激に成っているのでしょうね。
多忙にも関わらず、時代とともに変わって行った現代の素晴らしい国士舘を案内して下さった中谷先生、そしてベンチプレスの練習では、率先してサポートをしてくれた国士舘高校パワーリフティング部の皆さん、本当に有難う御座いました。皆さんの、これからの活躍に期待しています。一生懸命頑張ってください。
私も、これから更に国士館で培ったものを大切にし、悪を断ち善を実践し、ひたすら進み勤めて行くことを常に念頭に置き、今後の人生を生きて行きたいと思います。
そして国土舘の益々の繁栄を心より祈ります。
パワー競技の人口拡大構想を踏まえ、鎌倉市パワーリフティング協会役員一同、一層地域スポーツとしての競技普及と発展を目指していく所存です。
そして後援、協賛のご協力を頂きました皆様方のおかげで、選手・役員皆が素晴らしく思い出に残る大会を楽しむことが出来ていますこと御礼申し上げるとともに、大会開催にご尽力いただきました役員関係者の皆様方には深く敬意を表します。
皆様、有難う御座いました。
再見!!
主 催
▪ 鎌倉パワーリフティング協会
協 賛
▪ センチュリー21富士リアルティ株式会社 湘南乃工務店
後 援
▪ 鎌倉市(市長賞)
▪ 鎌倉市教育委員会(教育委員会賞)
▪ 鎌倉市議会(議長賞)
▪ 鎌倉市観光協会(観光協会賞)
▪ 鎌倉市商工会議所(商工会議賞)
▪ 津軽三味線 民謡 丸義会