計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

まあ、少子化の影響なのかな?

2009年04月01日 | オピニオン・コメント
 いよいよ新年度がスタートしました。

関西の大学 パパもママも同伴入学式 満杯で別会場、式典中継も(産経新聞) - goo ニュース

 わざわざ「パパもママも」と言う書き方は、ちょっと主観的に煽りすぎではないか?と思います。記事によると大学側は、例によって「親離れして下さい・・・」と述べるお約束の展開です(私は「親離れ」よりも、むしろ「子離れ」の問題と感じていますが・・・)。

 こういった節目のセレモニーは人生の間に何度もあるわけではないので、いちいち目くじらを立てる事も無いとは思いますが、昨年、東大の入学式で安藤先生が祝辞で述べられた「自己を確立しない限り独創心は生まれない」という言葉を思い出しました。

 自己を確立すると言う事は、様々な意味で「独立」すると言う事。自分で考え、自分で悩み、自分で決断し、自分で実行し、自分が責任を負うと言う事。ここで大事なのは「回りの誰々がどう思うか」ではなく「自分は何を目指すのか」と言う点です。その価値判断の基準を確立する事が、自己を確立する事になるのではないかと思います。

 さて、よく田舎では、他所から来た者や、周囲と違う事をしたり、目立つような事をすると白い目で見られる、と言う話を見聞します。これが所謂「田舎は閉鎖的」と言ってネガティブな印象を持たれる所以ではないかと認識しています。スタンダードとなる習慣や思想が予め確立されており(伝統や風習etc.)、その規範から外れる意見や生き方が抑制されると言う、ある種の圧迫感(プレッシャー)や疎外感があるのかもしれません。この規範と自然に調和できる人には「田舎は良い所」というポジティブな印象を持たれるでしょうし、圧迫感や疎外感を感じた人は「田舎は閉鎖的」というネガティブな印象を持たれるのではないでしょうか。古の言葉に「郷に入っては・・・」との教えもありますが、度を越えた「抑制(強制?)」はやはり「息苦しさ」をもたらす可能性が否定できません。

 また、温故知新と言う言葉があります。これは「故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知る」と言う意味です。古くからの伝統や風習、文化を尊び、そこから学ぶ事は大切です。しかし、これらに固執するあまり「故(ふる)きに縛られ、新しきを得ず」となってしまっては、本末転倒です。伝統や風習、文化を守ると言う事は、必ずしもそれに服従・固執し、雁字搦めに縛られる事ではないと思います。新しい時代に相応しいあり方を模索し、変化(進化)し続ける事ではないでしょうか。

 折りしも、現在は「価値観の多様化」が進んでいます。一人一人が「自分の幸せとは何か?」という問題に真剣に向き合い、行動する事が認められる社会です。そしてこのためにも「一人一人が自己を確立している」事が、その前提となるのです。特にこれからは「周囲と違った意見を持っている」事を恐れる必要はないのです。いや、むしろ「周囲と違った意見を持っている」事に自身を持っても良いのではないかと思います。色々な物の見方や考え方があって然るべきであって、様々なアイデアから自分もまた新たな発見や学びを得る事ができるのです。

 これから大学生になる若い方々の場合、小学校→中学校→高校までは殆ど同じような地域の人同士の交流に留まっているので、上記の事についてはまだ実感は沸かないと思います。しかし、大学(や大学院)生活を経て社会に出て、色々な職場や分野を渡り歩いて行くと、実に様々な物の見方・考え方があると言う事を思い知らされます。だからこそ私は、敢えて「それまで自分自身を縛り付けてきた伝統や風習、文化、価値観からも自らを解き放ち、様々なカルチャーと交流して欲しい」と言い換えたいと思います。
コメント
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