◎何事も二つに分かつ不和の心
8世紀イスラムの聖女ラービアの言行から。
『伝えられるところでは、ある日、ラービアが四ディルハムを人にやって、「私に安手の毛布を一枚買ってきておくれ」と言うと、その者は「色は黒ですか、それとも白ですか」と尋ねた。ラービアは、即座にお金を取り返すと、チグリス河に投げ捨てた。
「まだ買ってもいない毛布のことで、黒か白か、いずれかでなければ、という何事も二つに分かつ不和の心が現われたとは」
伝えられるところでは、春になっても彼女は家に籠ったきりで外に出てこなかった。召使がこう語りかけた。
「御主人様、天地造化の妙を御覧になられては」
ラービアが答えた。
「あなたの方こそ中に入って、造物主を見るといい。私は、創造主そのものを真近に感得することで、造化の妙を思念することから遠ざかるのです」』
(イスラーム神秘主義聖者列伝 ファリード・ゥッディーン・ムハンマド・アッタール/著 国書刊行会P70-71から引用)
最初の毛布の話では、選り好みをする心が問題になると見て取って、お金を取り返して、チグリス河に投げ捨てた。弟子、あるいは下僕の回答が気に入らないから腹いせでお金を捨てたわけではない。求道者であった弟子、あるいは下僕に言って見せたのだ。
次の創造主そのものを真近に感得する話では、観想法などで創造主を思念することと創造主そのものを真近に感得することの優劣を述べている。
いずれも自分と創造主は別だが、距離の遠近はある。だが、ラービアは、別のところで自分と創造主との距離がない境地も明かしている。