アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

心の骨折(ほねおり)

2023-09-06 06:53:17 | 両性具有or天国と地獄の結婚

◎人知れぬ心の苦しみまで感じとる

 

以下はいずれも松尾芭蕉49歳の句。

 

人も見ぬ春や鏡のうらの梅

(鏡の裏に彫っている梅など誰も知らないが、世に隠れ住む私にも春はやってきている。)

孤独な私の思いにも斟酌などせず季節も時代も進んで行く。

 

鶯や餅に糞する縁のさき

(春の光を受けて縁側にかき餅を広げて干してあるが、そこに声の美しい鶯が無粋にも糞をして去って行った。)

美しい風景にもリアリズムの面がある。禅とクンダリーニ・ヨーガのコントラスト。

 

両の手に桃とさくらや草の餅

(庭にある桃の花と桜の花を両手に携えて、草餅を食べるという、幸福この上ない様子。)

禅家は、桃の花と桜の花も草餅も切って捨ててみせるが、クンダリーニ・ヨーギは、いずれも愛でて味わう。

 

鎌倉を生きて出でけむ初鰹

(新鮮な初鰹が魚屋の店頭にやってきたが、鎌倉を出る頃には、まだ生きていたのだろう。普通の人ならば思いも及ばぬ、初鰹が経てきた人知れぬ心の苦しみまで感じとるのがクンダリーニ・ヨーガ的。人知れぬ心の苦しみのことを「心の骨折」と称する。

 

芭蕉は禅で大悟したにもかかわらず、かえって繊細な感覚を表面に出して、日常の行住坐臥の中に、魚の運命の転変までも思いやるデリカシーを見せている。

禅は水平の悟り、クンダリーニ・ヨーガ系は垂直の悟り。二つを手に入れれば人生としては完成である。これぞトースとダンテスの合体の相ではある。

コメント
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