【カーマ・ヨーガ(性愛冥想)(冥想法4)neo】
アヴィラの聖女テレサのエクスタシー(天使に槍を突きさされる)
タントラの現実(谷体験)
深い愛の中(ゆらぎ )
女几の房中術(おとこもすなる房中術をおんなもしてみむとすなり)
ダライラマのカーマ・ヨーガ-1(自然に無分別智を経験する)
ダライラマのカーマ・ヨーガ-2(エクスタシーの秘密)
ダライラマのカーマ・ヨーガ-3(マーヤ(幻影)を空性の悟りの智慧に変容させる)
性的ヨーガのアーキテクチャ(タントラとは自由である)
エクスタシーで意識的でいる(男性の側の修行法)
OSHOとダンテス・ダイジの性愛冥想の違い(バグワン流 )
巣ごもり消費とセックス(男と女を一つの神にする)
イングリッシュ・ペイシェント(愛に生きる)
【ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo】
一点と世界全体、一瞬と永遠(華厳経とドン・ファン )
霊がかりをやめよう(気まぐれな隣人)
孤独と無力から自由へ(あらゆる幽霊を凝視せよ)
時間の様式(ヤキ・インディアンの天意・神意 )
ドラッグに侵された欧米-1(準備ができていない者のドラッグ使用は危険)
ドラッグに侵された欧米-2(滅亡か存続か)
それでも酒を(酒飲みの心性)
シロシベ-2(ウッタンカ仙人)
シロシベ-1(呪術師マリア・サビナ )
ドン・ファンの熟眠中に夢を見ない(死の瞬間に意識を清明に)
フェンタニル(アメリカの薬物ジャンキーなライフ・スタイル)
アヤワスカ-1(現実からのジャンプアウト)
アヤワスカ-2(すべての人を許す愛)
私はソーマを飲んだのか?(天上の神々なぞ私の爪の垢にも匹敵せぬ)
意識の光る上着(利己的な世界観)
グラウコス=向精神性薬物による転移(海神になったが悟ったわけではない)
上薬、中薬、下薬(不老不死と仙人)
【占星術 (冥想法6)neo】
ノストラダムスの7千年期(「今だ、今だ」と叫ぶ鳥)
失われた占星術の技法-1(アナレタ(殺人星) Anaretaなど)
失われた占星術の技法-2(黄道12星座の区分法)
失われた占星術の技法-3(360度のシンボル)
失われた占星術の技法-4(あるべき占星術の姿)
運命は変えられる(四柱推命の奥義書、滴天髄)
あなたの星(ゾディアックの秘密)
ノストラダムス予言-ヘルメスの後裔(待望久しい人は東洋に)
【マントラ禅(冥想法7)neo】
念仏の一遍の悟り(となふれば仏もわれもなかりけり)
観せる観想、観る観想(仏のみぞ知る)
13段観想から念仏へ-1(観無量寿経 )
13段観想から念仏へ-2(舞台セットの構築)
13段観想から念仏へ-3(二段構えの構想)
13段観想から念仏へ-4(念仏はスタートライン)
13段観想から念仏へ-5(メイドインチャイナと道教 )
マントラ、呪文、聖句(言霊の効用)
神仏を拝まない(どちらでもOK)
念仏の必要回数(念仏の効果の多様性)
大田垣蓮月(棺には短刀を入れよ、遺体を男の手に触れさせるな)
称名、マントラで懺悔(乱倫、娼婦)
井上日召(見性後に暗殺集団を組織する)
虚空蔵求聞持法の道場(感受性の深化)
【只管打坐neo】
六祖慧能の思量しない禅(想念停止)
本気と精神パワー(教えてくれなくてありがとう)
公案と只管打坐(道元の判定)
ケン・ウィルバーの身心脱落(常に故郷にいる幸福)
原田雪渓の身心脱落の説明(自分とものとがひとつになっている状態を自分で知る)
宮崎奕保禅師の悟り(ものは一つだと体が覚える)
曹洞宗と只管打坐(賭ける仏教=南直哉)
所有することは失うことである(勝者は常に恐怖の中にある)
道元禅師の坐禅箴(鳥飛んで鳥の如し)
わびの美の七つの特徴(実用性の対極)
只管打坐の坐り方(普勧坐禅儀)
正しい瞑想と沈黙(百年河清を待つ)
如浄、道元の只管打坐コンプレックス(日常の動作・挙措に及ぶ)
この世との折り合い(悟りのビフォー・アフター)
クリシュナムルティが潔癖性だったこと(聖者の弁別)
クリシュナムルティも人の子(虚栄心)
身心脱落の前兆(三種の吉兆)
始まりもなく終りもなく人間でもない(人なる周辺世界と冥想)
本気と情緒パワー-1(香厳の父母未生以前の境地)
慧可断臂異説(ゲゲゲの女房など)
違いを理解できないもの(身心脱落と臨済禅)
只管打坐の7ステップ-4(絶対に買えない最高の逸品)
道元が子猫を斬らず(禅マスター南泉の子猫斬り)
【クンダリーニ・ヨーガneo】
OSHOの高弟の死(肉体へ帰還せず)
重金属の体内蓄積(効果的排出法の模索)
OSHOが青いオームの字を見る(オームの文字は死ぬときにしか見えない)
最後の審判はなぜあるのか(かつて死んだ者も生きている者も)
本山博の神様とのコンタクト(その体験を見ている自分)
臨死からの生還とその後の死(全身虚血と再灌流症候群)
窮極の呼吸法・胎息(まず食事のコントロールから)
クリヤー・ヨーガ修行メニューと日課(午前3時から午前12時45分までのカリキュラム )
本山博の行のストラクチャー(心と身体 )
預流果から阿羅漢果(ノーリターン・ポイント)
処女たちの秘密(目覚めると問題になるが目覚めないと問題ではない)
クリヤ・ヨーガの道程(肉体と心を支配し、死をも征服)
スーフィの窮極(バハーウッディーン・ナクシュバンドの魂の旅 )
ラージァ・ヨーガとヨーニ・ムドラー-1(謎また謎のクンダリーニ・ヨーガの秘奥)
ラージァ・ヨーガとヨーニ・ムドラー-2(サハスラーラ蓮華の内にある神秘の月)
原初の光を見る(悟りを開いた人が悟りを開いた意識のままで )
クンダリーニ・ヨーガの聖と俗(粗雑なバイブレーションと現実操作)
言霊の妙用(精妙なる感覚)
OSHOの中有(中有と夢)
出口王仁三郎の生き返り(クンダリーニ・ヨーギは六度死ぬ)
ゾーハルでの万物のスタート地点(一条の黒ずんだ焔)
ソクラテスの死生観-1(パイドン)
ソクラテスの死生観-2(12片の皮を縫い合わせたボール)
最初の4つの身体と統合失調症(私たちも軽度の統合失調症)
本山博のクンダリーニ覚醒ステップ(不動明王段階 )
クンダリーニ上昇から悟りまで(不動明王のポジション)
死の領域を超える(日常感覚の延長にはない)
【丹田禅(冥想法8)neo】
ころんだ?居士を娘が助ける(素直さと勢い)
禅の主人公(自分自身を演技する)
一休鴉の声を聞き反省あり(森女との爛れた愛の生活を鴉が笑う)
葉隠を見抜く(浮き世から何里あらうか山桜)
公案のメカニズム(公案の一例)
慧春尼(周囲に理解者なし)
船頭になった巌頭和尚(杜鵑 月に叫んで夜三更)
馬祖が瓦を磨いて仏になる(坐禅を学ぶ、坐仏を学ぶ)
禅僧山本玄峰(戦中戦後の首相の相談相手)
丹田を錬る-1(生命力の強化)
丹田を錬る-2(古神道の禊の神事-1)
丹田を錬る-3(古神道の禊の神事-2)
丹田を錬る-4(古神道の禊の神事-3)
丹田を錬る-5(古神道の禊の神事-4)
丹田を錬る-6(古神道の禊の神事-5)
ろうそくの光を消す(漆黒の闇と光)
寺を持たない枯禅の花亭と夾山和尚(身を隠して跡をとどめず、跡のないところに身を隠し )
香厳が竹に瓦礫が当たった音で悟る(自分でなんとかするしかない)
長沙和尚七日で悟る(どういうルートをたどれば大悟に至るか)
万法と侶(とも)たらざる者(独存)
無聞思聡の冥想の深まり(小悟何回、大悟何回)
至道無難の衣食住観(為すべきをせずに衣食住が楽なのは天罰がある)
誠拙和尚が大金のお布施をもらう(寄進の作法)
人間性という渇望(なにもかもなしであるはずの禅)
一路居士(万事休すべし、如何なるか是れ一休)
普化なる自由(社会性とのバランス)
臨済が師匠黄檗を押し倒す(師匠も生き埋め)
眼(まなこ)もし睡らずんば(宗派によらない体験とは言えない体験)
南泉の猫を斬った後(やり過ぎた咎め)
禅の悟りは展開しにくかったが(人類が存続するようなら禅が流行し、人類が滅亡するようならクンダリーニ・ヨーガが流行する)
平常心是道(人間の側の体験に非ず)
宗峰妙超の大悟(他時異日、別生涯)
芭蕉の野ざらし紀行(捨て子)
白隠と本山(紫衣と黒坊主)
村田珠光の印可のあかし(圜悟禅師の墨跡)
冷え、凍み、寂び、侘び(恋、秘すれば花)
パーフォーマー利休(花入れに水だけ入れて飾る)
空と不空(あらゆる生死と涅槃)
選り好みをしない-1(趙州のジレンマ)
選り好みをしない-2(覚者の行動ルール)
選り好みをしない-3(放射性物質と日本人の行方)
かわず飛び込む水の音(古池真伝)
雪中庵蓼太の蛙とびこむ水の音(自ら飛び込む)
山水画とスピリチュアル(迷いと悟りを一枚の絵に)
夏目漱石の禅(見性失敗)
三祖信心銘(至道無難)
智者は無為なり愚人は自縛す(信心銘から)
熟睡中に眠らなければ夢も見ない(信心銘でアートマンの後先)
OSHOバグワン信心銘を説く(そのような思いは、ついには一瞬にして止む)
二は一に由って有り(禅の三祖僧さんの信心銘から)
徳山の棒(棒のたたき加減)
七日間で悟りを得る-1(リフレッシュ&トライ)
七日間で悟りを得る-2(定力で推し詰める)
七日間で悟りを得る-3(現成公案)
分別対立のない真如の世界への共感(イエスが弟子の足を洗う)
沢庵禅師の太阿記-1(活人剣)
沢庵禅師の太阿記-2(刀を用いずして人を殺し、刀を用いて人を活かす)
沢庵禅師の太阿記-3(天下に比類なき名剣)
普明の十牛図(絶対無に軸足)
臨済の悟りの四つのあり方(四料揀の白髪頭の子)
達磨の利根、鈍根(師の教えにしたがって悟るのは鈍根)
禅と大脱身(乾いた道あるいは近道)
至道無難-1(至道無難の愛と大安心)
至道無難-2(至道無難の無私)
至道無難-3(一生ずっと坐禅、一度だけ坐禅)
至道無難-4(至道無難の悟境)
至道無難-5(冥想教育の可能性)
正受慧端-1(正受慧端の団扇バトル)
正受慧端-2(見性した人の少なさ)
正受慧端-3(見性した後の正念ケアが大切)
正受慧端-4(正受慧端の修行時代)
正受慧端-5(その生い立ち)
水牛の尻尾(無門関の第三十八則 牛過窓櫺)
西郷隆盛沖永良部で万事休す(その冥想修業を語らず )
西郷隆盛と禅(未発の中)
勝海舟の禅(虚心坦懐、事変に処す)
丹田を錬る-7(古神道の禊の神事-6)
仏法東漸してニューヨークに到る(愛語の力(嶋野栄道/到知出版社))
危機感の薄い日本人に求められるもの(どこかでどん底まで落ちるしかないのかも )
一休という名の由来(祇王寺)
芭蕉の師仏頂和尚のこと(仏頂の純粋な道心をしのぶ)
肥田春充の丹田強化-1(虚弱者から強壮者へと変貌)
肥田春充の丹田強化-2(丹田を錬る-10)
肥田春充の丹田強化-3(丹田を錬る-11)
肥田春充の丹田強化-4(足の踏みつけと踏みこみ)
肥田春充の丹田強化-5(踵の踏みつけ)
肥田春充の丹田強化-6(爪先の踏み込み)
ろうそくの光を消す(漆黒の闇と光)
地獄へ落ちろクソ婆あ(世界が異なる)
破竈堕(はそうだ)和尚(竈の神が成仏する)
中国ドラマ「花散る宮廷の女たち」(禅の六祖壇経)
白隠の和風公案(男も女も、恋愛に、ライフ・プランに惑う)
少年宗峰妙超、ペットの子犬を難詰する(播磨の悪童 )
一休、霊照女の画像に賛す(阿ホウ居士の娘 )
悟りと文化的生活は別(趙州十二時の歌 )
【道教neo】
呂洞賓の10のテスト-1(無私と打算 )
呂洞賓の10のテスト-2(他人のために命を差し出すことに躊躇なし)
女丹女の悟り-1(女丹合編通俗序)
女丹女の悟り-2(太陰煉形で月経を止める)
女丹女の悟り-3(オルガズムを生涯一度も体験したことがない女性が多い)
道教排斥以後の山岳修行(役行者以後)
魏伯陽の死-1(この世への未練をすべて捨てる)
魏伯陽の死-2(我が身を死んでみせる)
藍采和(古人は混混、今人は紛紛)
悟っていないマスターは危ない(中心疑う者は、その辞(じ)枝(わか)る)
坐忘、ある冥想法-1(欲の深い者は天機が浅い )
坐忘、ある冥想法-2(肉体を落とす)
99パーセントは、ロボット、もしくはブタ(本物のブタ)
気の充実と狙い(年齢に応じた冥想の準備)
人体に関する多次元モデル(七つの身体モデルへ)
孫不二の屍解(あるスーパー女性道士)
朱橘(屍解)
先祖供養の実相(救霊の至難事)
孔元方(道を伝授する相手を何十年も待つ)
至人は己れなく、神人は功なく、聖人は名なし(荘子とOSHOバグワン)
黄帝が広成子のアドバイスを受ける(至道の精、窈窈冥冥たり)
社会的成功ほど失敗する(人生の安物買い)
機心(便利は危険)
荘子の覚醒までのステップ(独存、不死不生)
黄初平(石を羊に変容させる)
張良と仙人(仙人出現を招く )
中国の運命、日本の運命-1(『「笹目秀和」と二人の神仙』)
中国の運命、日本の運命-2(人は神々を得て働き、神々は人を得て動く)
【密教neo】
フィリポによる福音書の復活(永遠のアイオーンへと昇る )
定と三昧の違いと冥想十字マップ(昼と夜のサイクル根本テキスト )
観想法専用ルームサムデ・プク(タシルンボ寺郊外の洞窟修行)
比叡山で仏を見る-1(高川慈照師の好相行)
比叡山で仏を見る-2(好相行とは )
空海以前の虚空蔵菩薩求聞持法(法相宗の神叡)
覚鑁(かくばん)の虚空蔵菩薩求聞持法(メソッドとその結果の不定性)
空海の死(肉体を残す)
チベット密教の近道(ナーローパの修行)
あがきすぎる、何も手を打たない、完全にあるがままにある(自分自身を成長させる意志)
最澄の籠山(十二年籠山行の起こり)
フィリポによる福音書の復活(永遠のアイオーンへと昇る)
女性チベット密教修行者ナンサ・ウーブムの復活(グルなしでポア)
立川武蔵のシャクティ・パット(不用意にチャクラを開かぬようよくよく用心すること)
ダライ・ラマとアメリカ(弱腰な対応に終始 )
ヨーグルトと明星(虚空蔵菩薩求聞持法の周辺)
虚空蔵菩薩求聞持法もいろいろ(洗脳に無防備な状態)
六条御息所と世界の見方(霊のある世界、神仏のある世界)
チベットの託宣僧制度(観想法からトランス)
◎真心をささげて神さまに溶けいる
出口王仁三郎の、人が神さまを恋い慕い、神さまも人を愛することの別の説明。
『信仰は恋慕の心であるということは、かねて『霊界物語』その他で示されているが、その恋慕の程度のいかに切実なるものであるかを、多くの人はしらない。これを一つの理想くらいに考えているのだから、だめである。そんなものではない。
渾身の真心をささげて神さまに溶けいるとき、それは相愛の男女の抱擁に幾十倍するかわからぬほどの、心からなる幸福を享受するのである。天消地滅どころのものではない。じっさい筆や言葉ではいいあらわすことができない底のものである。思うてもみよ、相手は至純至美なる神さまである。
純潔なる処女を形容して天女のようだとよく人がいうが、どうしてどうして、比較にもなんにもなったものではない。現世の美と天界の美とは標準がちがう。ひとたび天人、天女の相貌に接したものは、現界におけるどんな美人を見ても美男を見ても、美しいとは感じられない。それはあたかも太陽の前の電灯のようなものである。また美女の形容に、竜宮の乙姫さまに金覆輪をかけたような美人などというが、天人界にくらぶれば、竜宮界の美女たちは、その気品においてとおくおよばないものがある。天人界はじつにじつに美しいものである。
ふたたびいうが、信仰の極致、神さまに溶けいるときの心境は、言語に絶した至美、至善、至貴なるものである。その心境を味わわねば徹底したる信仰とはまだいいえないのである。』
(出口王仁三郎著作集 第3巻 愛と美といのち 愛>愛をつくす 神への恋愛から引用)
出口王仁三郎は、愛によって神様に溶けいった。木花咲耶姫命など美人の高級神霊との出会いを繰り返したから愛が結実したというわけではあるまい。大神は高級神霊とは別格である。
また、天消地滅とは、“天もなく地もなく”であって、この言葉は、霊界物語第73巻天祥地瑞_紫微天界_第1章 天之峯火夫の神の段に登場する。天消地滅が天祥地瑞全9巻の冒頭に登場することが注目ポイント。
何もないところから一点が発生し、それが世界に展開していくのは、ユダヤ教の見方に似ている。以下の霊界物語の文は、一点が世界に展開していくところに注目しがちだが、最初は“天もなく地もなく”で、忽然と一点が発生するところが眼目。第七身体と第六身体の関係である。
『天もなく地もなく宇宙もなく、大虚空中に一点のヽ忽然と顕れ給ふ。このヽたるや、すみきり澄みきらひつつ、次第々々に拡大して、一種の円形をなし、円形よりは湯気よりも煙よりも霧よりも微細なる神明の気放射して、円形の圏を描きヽを包み、初めて⦿の言霊生れ出でたり。』
(霊界物語第73巻天祥地瑞_紫微天界_第1章 天之峯火夫の神の段から引用)