◎天国と地獄を超えて
『伝えられるところでは、ある日町の名士たちの集団がラービアのもとにやってきた。ラービアは、そのうちの一人に尋ねた。「あなたは、神を何のために崇拝するのですか」
その一人はこう答えた。「七層の地獄は壮大です。 そして誰もがその前を通過せねばなりませんが、恐怖のあまり、上首尾に通れないのです」
また、ある者はこう言った。「天国の位階は優れた位を持ち、大いなる安らぎを約されております」
ラービアが言った。「自らの神を恐怖ゆえに礼拝したり、見返りを欲して崇拝するとは不届きな下僕です」
すると彼らが尋ねた。「あなたは、なぜ神を崇拝するのでしょうか。あなたには天国への願望がないのですか」
ラービアが言った。「家を求めるはずなのに、まずは隣人を知り、それから、家そのものを求めよ、と言うのですか。私には、彼を崇拝するということだけで充分ではないかと思われます。天国や地獄がなければ、神を礼拝してはいけないのでしょうか。理由もなく、直接に、何の介在もなしに、 彼を崇拝することは間違っているとでも言うのでしょうか」』
(イスラーム神秘主義聖者列伝 ファリード・ゥッディーン・ムハンマド・アッタール/著 国書刊行会P73-74から引用)
この地獄が現実界に実現したような時代に生きることは、生きづらいものだ。だから地獄をなるべく避け、天国的なものを希求しつつ生きるのは当たり前のことである。ところがラービアは、地獄の恐怖を緩和し、天国的なものを促進してくれるから神を崇拝するというあり方は、ちょっと違うのではないかと云う。
ラービアは天国と地獄を超えた先に神を見ている。