◎ジェイド・タブレット-02-03
◎芭蕉、三歳の捨て子に会う
芭蕉の野ざらし紀行から。
野ざらしを心に風のしむ身かな。
:野に捨てられたされこうべである「のざらし」になると決意して旅に出たものの、やはり秋風は身にしみるわい。
猿をきく人すて子にあきのかぜいかに
:芭蕉が富士川のあたりを通っていると三歳くらいの捨て子を見かけた。その鳴き声を聞けば誰しも何とかしてやりたいとは思うものだ。このままほっておけば、飢えて死を迎えるのは必定。
ところが芭蕉は、「父がお前を憎んでそうしたわけでもなく、母がお前をうとんでそうしたわけでもなく、ただ天命がそうするのであって、自分の運命(性)のつたないことを泣きなさい。」と、この世に生まれ落ちる以前から、自分でそういう環境を選びとってきたことを思い出せ、と言わんばかりの、まるで一人前の大人に対するような言葉を残してその場を逃げ去ってしまう。
和歌や漢詩で猿の声を風流と聞くような、鋭敏な感性を持つ人は、この捨て子の泣く声を何ときくのだろうか。
現実の無慈悲さは変わらないが、本当は無慈悲ではないことを知っている自分があることを見極められるか。