◎金で長生をあがなう
出口王仁三郎の随筆玉鏡から。
『昔亀岡の或る家の主人が代々四十二歳になると死んだ。何かの祟りであらうと心を悩まして居た。
或る時一人の修験者がやつて来て、その事
を他家で聞いて、その家を尋ねて行つた。そして其修験者が「貴方の家は、何時も御主人が四十二歳になると亡くなりますね」と云つた。その家の主人は「如何してそれが分りますか」と云へば、修験者は「法力で判るのだ」と答へた。主人は是非長生したいと言うて相談した。修験者はそれには八百万の神仏を供養せねばならぬ。その為にはあらゆる日本の神社仏閣を巡拝せねばならぬから、その旅費を出せと云つたので主人は快く承諾した。
そして修験者は何か書いて封じて、お呪禁と云つて高い所に掛けて置いた。其主人は九十歳位まで長生し、その又息子もそれほど長生した。其後その孫に当る人が、近所にも短命な人があるので、人助けだと思つて彼のお呪禁に如何なことが書いてあるかと思つて、お詫をしながら恐る恐る開いて見た。すると中には「本来無東西、何処有南北迷故三界城、悟故十方空」と書いてあつた。つまり悟るも迷ふも心一つ、祟るも祟らぬも心一つとの意味である。そしても一つの紙には「祟らば祟れ家主に」と書いてあつた。之を見た家の主人は吃驚して、ウンといつて死んで了つたといふ話がある。つまり神経を起したのである。世の中はまづザツトこんなものだ。』
(玉鏡/出口王仁三郎から引用)
若い時にこれを読んだときは、「本来無東西、何処有南北迷故三界城、悟故十方空」の意味がわからなかった。それが、まさに「悟るも迷ふも心一つ、祟るも祟らぬも心一つ」とわかったのは、40代の後半頃か。これそのものは、真理であって、善でも悪でも、白でも黒でもない。
もう一枚の紙に書いてあったのは、まさに呪禁であって、開封して読むべきではなかった。最初に大金で贖ったのが、最後にそういう結果を招いたのだろうか。