アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

大本神歌-2

2024-11-09 06:34:30 | 古神道の手振りneo

◎カラ国の侵攻

(2021-10-28)

 

(大意)

連合国の味方であるとこれまで尽くしてきた唐国が覇権戦略に転換し敵対開始、白露国も加わって、連合国が勝つべき戦も負け始め。西の空は暗雲漂い、ついにはインド洋も手中にする。ウラジオ、日本海と跳梁し、日本本土に侵攻し、戦勝までもう一息のところで、

天火水地と結んだ大和魂の言霊のパワーにより、渦巻き猛る荒浪に、敵国の大艦小船残り無く、すべて海底の藻屑となる。 

敵の核ミサイル、戦闘機、爆撃機、ドローン、軍艦、潜水艦も、皆それぞれに亡び失せ、影をも止めぬ惨状に、敵連合軍もおのいて、引き続いてやってくる松と梅の至福千年は、世界を救う、神の稜威であって尊いことだ。

 

(原文)

『大本神歌(二)

聯合の国の味方と今迄は、成て竭せしカラ国の、悪魔邪神が九分九厘、モウ一厘の瀬戸際に、旗を反すと白露の、其振舞いの非義非道、凡ての計画を狂はせて、勝つ可き戦争の負け始め、永びき渡る西の空、黒雲晴るる暇も無く、独り気儘の仕放題、

 

印度の海も掠め取り、茲にも深き経綸為し。次いて浦塩日本海、我物顔に跳梁し、卜ン卜ン拍子に乗り出して、神の御国を脅迫し、モウ一ト息と鳴戸灘、

 

渦巻き猛る荒浪に、大艦小船残り無く、底の藻屑と亡ぶるも、綾の高天に最と高く、空に聳えし言霊閣、天火水地と結びたる、五重の殿に駆け登り、力の限り声限り、鳴る言霊の勲功に、

 

醜の鳥船軍艦、水底潜る仇艇も、皆夫れぞれに亡び失せ、影をも止めぬ惨状に、曲津軍も慄のきて、従ひ仕へ来る世を、松と梅との大本に、世界を救ふ艮の、神の稜威ぞ尊とけれ。』

(大本神歌/出口王仁三郎から引用)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大本神歌-1

2024-11-09 06:32:13 | 古神道の手振りneo

◎世の終わりからみろくの世の始まりまで

(2021-10-27)

 

大本神歌は、出口王仁三郎のものを平素から読み慣れていないとやや読みにくいかもしれぬ。例によってこの手の文は、三様の意味にとれる言葉が並ぶものだ。

全体として、大正(大正6年12月1日)から世の終わり、みろくの世の始まりまでを韻文で描いている。大意をつけてみたものの、そのとおりかどうか。

 

(大意)

世界各国は、日本以上に軍備を強化し、海中空中、地上地中に兵器を配備し、日本に昔日の軍事大国の面影はない。とりわけアメリカのミサイルについては、国民に注意を呼び掛けていたが、馬耳東風で聞く耳を持たなかった。

戊の、午の春夏秋に懸け(戊午ではなくて、戊と午が分かれているところがヒントか。)、皆散り散りに潜水艦と空襲に逃げ惑う姿が哀れである。

 

(原文)

『大本神歌(一)

東雲の空に輝く天津日の、豊栄昇る神の国、四方に周らす和田の原、外国軍の攻難き、神の造りし細矛、千足の国と称えしは、昔の夢と成りにけり。

 

今の世界の国々は、御国に勝りて軍器を、海の底にも大空も、地上地中の撰み無く、備へ足らはし間配りつ、やがては降らす雨利加の、数より多き迦具槌に、打たれ砕かれ血の川の、憂瀬を渡る国民の、行く末深く憐みて、

 

明治の二十五年より、露の玉散る刃にも、向ひて勝ちを取らせつつ、猶外国の襲来を、戒しめ諭し様々と、神の出口の口開き、詔らせ給へど常暗の、心の空の仇曇り、磯吹く風と聞流し、今の今まで馬の耳、風吹く如き人心、

 

アア如何にせん戊の、午の春夏秋に懸け、心落ち居ぬ荒浪の、中に漂ふ苦しみは、神ならぬ身の知る由も、なく泣く縋る神の前、水底潜る仇艦と、御空に轟ろく鳥船の、醜の荒びに悩まされ、皆散り散りに散り惑ふ、木の葉の末ぞ哀れなり。』

(大本神歌/出口王仁三郎から引用)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祟り

2024-11-09 03:39:11 | 浅い霊感から神人合一まで

◎金で長生をあがなう

 

出口王仁三郎の随筆玉鏡から。

『昔亀岡の或る家の主人が代々四十二歳になると死んだ。何かの祟りであらうと心を悩まして居た。

 

或る時一人の修験者がやつて来て、その事

を他家で聞いて、その家を尋ねて行つた。そして其修験者が「貴方の家は、何時も御主人が四十二歳になると亡くなりますね」と云つた。その家の主人は「如何してそれが分りますか」と云へば、修験者は「法力で判るのだ」と答へた。主人は是非長生したいと言うて相談した。修験者はそれには八百万の神仏を供養せねばならぬ。その為にはあらゆる日本の神社仏閣を巡拝せねばならぬから、その旅費を出せと云つたので主人は快く承諾した。

 

そして修験者は何か書いて封じて、お呪禁と云つて高い所に掛けて置いた。其主人は九十歳位まで長生し、その又息子もそれほど長生した。其後その孫に当る人が、近所にも短命な人があるので、人助けだと思つて彼のお呪禁に如何なことが書いてあるかと思つて、お詫をしながら恐る恐る開いて見た。すると中には「本来無東西、何処有南北迷故三界城、悟故十方空」と書いてあつた。つまり悟るも迷ふも心一つ、祟るも祟らぬも心一つとの意味である。そしても一つの紙には「祟らば祟れ家主に」と書いてあつた。之を見た家の主人は吃驚して、ウンといつて死んで了つたといふ話がある。つまり神経を起したのである。世の中はまづザツトこんなものだ。』

(玉鏡/出口王仁三郎から引用)

 

若い時にこれを読んだときは、「本来無東西、何処有南北迷故三界城、悟故十方空」の意味がわからなかった。それが、まさに「悟るも迷ふも心一つ、祟るも祟らぬも心一つ」とわかったのは、40代の後半頃か。これそのものは、真理であって、善でも悪でも、白でも黒でもない。

 

もう一枚の紙に書いてあったのは、まさに呪禁であって、開封して読むべきではなかった。最初に大金で贖ったのが、最後にそういう結果を招いたのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする