◎イスラエル・ベン・エリアザールのグループの祈り
世界的に霊がかりが一掃される趨勢となったのは20世紀になってからだが、霊がかりやそうでないものも混交したユダヤ教では、18世紀ハシディズムの中に脱霊がかりなマスターが登場した。それが、西ウクライナ生まれのハシディズムの創始者イスラエル・ベン・エリアザール(バアル・シェム・トブ(聖なる御名の師家))。
それは彼の弟子のメツェリチェのマギドの次の祈りの説明でもわかる。
『実際にはバアル・ シェム・トヴの内弟子たちは律法の伝統においてもカバラーにおいても極めて高度な教育を受けていた。彼の一番弟子であるメツェリチェのマギドは、師の教えを広めたのみならず、自分自身の洗練された哲学的な様式でそれを発展させた。
祈るときは、自らを無とし、完全に自分を忘れよ。ただ自分は〈神の臨在〉のために祈っているということだけを覚えておれば良い。そうすれば<思考の宇宙>、すなわち時間を超越した意識の状態に入ることができるだろう。この領域においては、あらゆるものは等しい生命――と死も、陸と海も・・・・・・だがこの領域に入るには、自我を放棄し、あらゆる問題を忘れ去らなくてはならない。
物質的、世俗的な事柄に執着したままでは、到底この水準に到達することはできない。そこに執着する者は、善と悪の分離、すなわち<創造>の七日間の間の二元論から脱することができないからだ。このような者が、如何にすれば究極的な統合が支配する領域に接近できようか。
さらに自らを「某(なにがし)か」であると考え、自らの必要のために〈神〉に祈る者の中に〈神〉は現れることはできぬ。〈神〉は無限であり、自ら〈無〉となった器以外は、如何なる種類の器にも盛ることはできぬ。
祈りにおいては、自らの力のすべてを単語に込め、文字から文字へ、自らの肉体を忘れるまでに没入せねばならぬ。文字の置換は、肉体的にも、また霊的にも汝の心に大いなる喜びをもたらす。』
(カバラーの世界/パール・エプスタイン/著 青土社P165-166から引用)
時間を超越した意識、万物斉同、自我の放棄と二元からの卒業と、一通り神(第六身体、アートマン)に至る要素が整理され揃っている。これぞ知性の極みであり、何が起こったかをわかっている者でなければ、書けない一文である。