◎何一つ見知らない悲しみ
(2015-12-11)
12月11日は、知る人ぞ知るダンテス・ダイジの命日。
人は、覚醒した世にもまれな人物に出会えば、テレビの突撃リポーターよろしく、なんでも質問しようとするものだ。
そうした心理を見越してか、ダンテス・ダイジは自作の著作を用意してくれている。その一冊についてでもきちんと最後まで同一の実感をもって感得できたり、あるいは知的理解でもできたりしたら、その読者はほとんど覚者だろう。
要するに普通の人は一冊読み通せないだろうと思う。
以下の引用文は、彼の「今でない今、ここでないここで」という詩の一部。
『一刹那の生涯でよい
神の御意のままに生き
神の御意のままに死にたい
一刹那の神の御意は
すべての生命たちの生涯と
すべての生命たちのそれぞれの宇宙であった
神のみが絶対無の中に
久遠の安住を続け
あくび一つも神には無縁だ
私は私という心身の
異郷の客であり
何一つとして
私のかつて見知った事柄はない
この悲しみが
人間に理解できるだろうか』
(絶対無の戯れ/ダンテス・ダイジ/森北出版P118から引用)
教条的に、「人間とは、すべての世界が一つながりになったアートマンと合体できるし、統合している」などと語ることはできるが、その実感を語りえる者だけが真正の本物の超越者である。その悲しみを語った者がかつてあっただろうか。
人間はその悲しみを知りたがるほどに近づいてきた。