◎ジェイド・タブレット-10-15
◎垂直上昇への仕掛け-15
◎輪廻転生の実態-5
◎霊が存続するメカニズム
以下はダンテス・ダイジが、死と転生のメカニズムを端的に語っているある座談。
一本の木とは世界樹のことで、あらゆる世界が一つながりになったアートマンである。この樹に葉っぱとしてAさんが生まれる。そして葉は秋になると死んで散るが、その時にその葉は宇宙意識なるアートマンに帰って行く。
チベット死者の書で、人は死ぬとすぐに原初の光(母の光明)を見るというがそれがこの部分に当たる。
次の春に枝の同じような部分から葉が出る。この葉がAさんの輪廻転生。このワン・パターンの転生を形成する宇宙の潜在的パワーをダンテス・ダイジは幽霊と呼び、いわゆる霊界メカニズムをいとも平易に解き明かしている。
『ダンテス「霊っていうのが存続するっていうのはさ。こういうプールがあるわけ。無限のプール。
そのプールからいろんな人が出てるわけ。
一本の木を考えてもらってもいい。木があるでしょ。枝があるでしょ。ここから葉っぱが出るわけよ。これがたとえば君だとするよ。
冬になって葉っぱが落ちるわけ。でも次の春になるとまた葉っぱが出るわけ。そのときに葉っぱを出す部分ていうのはさ、似たような形を作り出す形成力が働いているわけでしょ、枝の中に。
その力のことを幽霊っていうんだ。たとえば、ある海があるとするでしょ。こっちにはいつも荒い波ばかり起こるとするでしょ。こっちには平穏な並みしか起こらない。こっちの海面下の潮流の動きは向こうと違うわけ。その潮流の動きが幽霊なんだ。
だけどそれを潮流の動きとしてとらえることが人間の普通の認識力ではできないから、しょうがなくて人格化されて表出するだけであって。
プールがあって、宇宙意識っていう無限の海原に人は死ぬと行く。その海原の中には無限のイメージが蓄積されているんだ。そのイメージが、時にイメージ自体で現れたとき、それを幽霊と呼ぶ。
イメージが仮に肉体として表現されたとき、それを生まれ変わりという。」
弟子「海に帰っていくっていうのは一人で?」
ダンテス「一人とか二人っていうのはまったく数えられない。」
弟子「容積とか体積とかそういう尺度じゃなくて?」
ダンテス「うん。そういう物理的概念っていうのはまったく適用できない。だから二人とか半人とか中人とかね、現世では男とか女とか、一人二人と数えられるでしょ。ところが、宇宙意識のプールの中ではね、1.5人とか1.8人だって実際には存在するんだ。だけど1.8人なんて現れてみろよ、確認できないだろ。一人二人と数えている意識のレベルで生きている人間にとっては。だからしょうがなく、一人の形を取るわけ。だから絶対に客観性っていうのを期せないわけ。幽霊の言葉っていうのは。どっか、混ざってるわけ、無数のものが。
首尾一貫した物理学的な説なんて、絶対に幽霊の言葉にありえない。
なぜかっていうと、無数の意識のレベルでイメージがさ、錯綜しながらその中に一貫性を作ってメッセージが届くんだもの。
だから真の霊眼ていうのは、霊媒に起こる霊眼ではないの。霊媒に起こる霊眼ていうのは、今言ったように、その人に合わせた形で、その人の枠の中に現れるわけ、イメージが。だから足りない部分を勝手に補ってしまうわけ。潜在意識が。その人の個人的潜在意識が。勝手にでっち上げてしまう部分が出てくる。
釈迦が言う神通力っていうのはね、宇宙意識のプール、宇宙意識の海そのものを見渡すわけ。だから一度なんだ。分けられやしないんだ。念力とかテレパシーとか色々あるだろ? 前世通とか宿命通とか、過去生を見たり幽霊を見たりとか。そんなもの全部、一つながりの宇宙意識から起こったものだ。」』
この座談では、アートマン全体の中の様々な具象を形成する元型的イメージたちの展開を幽霊と呼んで、話題の中心は幽霊の側になってしまっている。
これより更に輪廻転生の核心に近い部分を語っている座談が、続く以下のものである。