◎やさしい衝動からストップする練習を行う
強い衝動あるいは「強い感情の始まり」にそれをストップさせれば、そのエネルギーは内に向かい大悟覚醒のきっかけになることは、知られている。その実例は、禅語録に多数載っている。香厳が竹に瓦礫が当たった音で悟るなどである。
さてOSHOバグワンに対して弟子から、その強い衝動が本物である場合は、ストップするのは容易ではないので、どうすればよいかという質問が出された。
OSHOバグワンは、これは重要な質問だとし、衝動にもいろいろあるが、やさしいものからその衝動をストップする練習をしなさいとする。つまり最初はやさしい衝動から始めて、だんだん強い衝動をストップする練習に入っていく。
最初は、歩くとか風呂を使うとか、のどの渇きを感じるとか、そうしたものが起こった時にストップをかけてみる。このようなやさしい衝動を止める練習を繰り返すうちに、段々『覚醒とともに止まる』感覚がつかめて来る。
『覚醒とともに止ま』れば、そこで発生したエネルギーは内に向かうが、何が起こったかを自覚していなければ、取り逃がしてしまう。意識的でなければ、折角発生したそのエネルギーは、行動をやめ元の自己意識にもどろうとしたり、その衝動の行動を最後までやろうとしてしまうのが普通。意識的であってこそ、内に向かい覚醒に進む。
つまりOSHOバグワンは、最初から強い衝動あるいは「強い感情の始まり」をストップさせようとしてもできるものではないと見ている。
(参照:ヴィギャンバイラブタントラ(3第三の眼)OSHO P86-89)
『思考停止と意識と無意識』では、「強い感情の始まり」を列挙しているが、それらのストップは簡単ではないのだ。事と次第によっては、発狂や自殺などの思いもよらぬ方向に進むこともある。
冥想では、すぐ悟る頓悟、徐々に悟る漸悟と分けるが、誰もがすぐ頓悟できるわけではない。一週間で悟るエピソードがいくつかあるが、そういうのは珍しかったから記録されている側面があるのだろう。
そこで問題になるのは、準備ができているかどうか、悟りという体験とはいえない体験に耐えられるようになっているかであると思う。