◎雲水の誰もが仏になるわけではない
臨済録から。
『王常侍が、ある日臨済禅師を訪ねた。師と僧堂の前で出会うと、そこでたずねた、「この雲水諸君は、いったいお経を読みますか。」
師、「読まない。」
常侍、「坐禅をしますか。」
師、「しない。」
常侍、「お経も読まず、坐禅もしないとすれば、いったい何をするのですか。」
師、「あいつらをみんな、仏にならせ祖師にならせる。」
常侍、「『黄金の粉は貴いが、眼に入ったら病気になる』といいますが、これはどうです。」
師、「今までそなたは一箇の俗物だとばかり思っていた。」』
雲水は経を読まず坐禅もしないというのが、黄金の粉で、雲水だからといって誰もが仏になるわけではない。
高官の王常侍に厳しいところを突かれた。
禅堂には、UFO(UAP)も宇宙人もないが、中間段階を認めないその作法でもって究極に至ることはできる。
蝶は強風の中でも、つがいで産卵に飛んで来ます。
これからの長い悪天続きと自分の余命をわかっているようでした。儚くみえて、とても勇気と責任感があり、反対に我欲がありません。
私の師は蝶と樹木です。
一部の人間はおかしな考えのために、自然や、産卵する生き物を根絶しようとしています。捻れた恨み心は結局自分も破壊します。
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>この世界に菩薩が現実にいるとすれば、蝶や樹木と思います。... への返信
菩薩:
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