◎砕霊と幽霊考
(2012-10-16)
最近、生きながら幽霊みたいな雰囲気の人を見かけるが、ダライラマの「幽霊とはなにか」。
『Q:死が意識の究極のありようならば、幽霊とは何なのでしょう。法王は幽霊に遭遇したことはありますか。
A:子供の頃、幽霊がひどく怖かったものです。
仏教では苦楽の大小によって六種類の転生を、地獄、餓鬼、畜生、人、阿修羅、天の六つの境地への転生を説きます。またそこに生きる生きものの心身の微細さ、粗大さによって、欲界、色界、無色界(※)の三つの世界にも分けます。
幽霊はこの三つの世界のいずれにも存在し得ます。そのあるものは悪しき存在であり、あるものはよき存在です。
あるものは残酷で、あるものは親切です。
※欲界:欲望のある物質的世界.私たちの住む世界も含めて六道輪廻の世界すべてが欲界である。
色界:欲望は断じたが、いまだ肉体が存在している世界。
無色界:肉体はもたず、精神的要素のみからなる世界。』
(ダライラマ日々の瞑想/ダライラマ/講談社P182から引用)
砕霊となった霊は、幽霊になるのだろうか。砕霊となった人の自意識はどうなるのだろうか。人の死後のありようということを考えると、疑問はどうしても自意識と霊あるいは、自意識とアストラル体の部分に行きつくのだが、本山博氏もそこは語っていないし、出口王仁三郎も語っていない。
輪廻転生の主体と思われるアストラル体が粉々になったら、輪廻転生の原因たるカルマのエネルギーはどう消化されるのだろうか。輪廻転生のサイクルから抜ける解脱ということが砕霊で実現したということではあるまい。
死後あるいは、死に至るプロセスをエリザベス・キュブラーロスらが研究したが、現代人はその自意識と輪廻転生(リンカネーション)が一対一で対応しないで、死後が展開するだろうってところまで、研究が深まらないと、生から死、死から生への連続あるいは不連続について知的に納得することはないのではないかと思った。
ただその仕組みの解明が、この地獄的な人間社会の改善に役に立つかといえばそうとはいえないとも思う。
この幽霊の定義を見ると、宇宙人の定義と似ているように思う。