◎幽霊も怖じ気づく
(2006-05-19)
1.ねずみ篇
元禄の頃、鎖鎌の名人正木弾之進が幼少の頃、ねずみがガリガリと襖をかじる音で、しばしば眠りを妨げられた。一夜布団から出て、坐を正し、ねずみが出て来る方を一心ににらみとおしていたところ、その夜はついにねずみが出てくることはなかった。
長じて修練を積んだ結果、梁を走るねずみに気を凝らすと、ねずみが気絶するほどになったという。
明治の剣豪山岡鉄舟も、ボロ家で坐禅を始めると、それまで走り回っていたねずみの足音がピタリとやんだという。
2.清水の次郎長篇
侠客(ヤクザ)の清水の次郎長がある時、山岡鉄舟に
「先生、剣術なんて何の役にもたちませんよ。私が素手で、この野郎とにらみつけるとたいていの奴は逃げてしまいますぜ」と自慢すると、
鉄舟は、「そうか。ならばお前のその長ドスで、俺に切りかかってこい。俺はその木刀で相手をしよう。もしかすり傷でも受けたらお前の勝ちだ。」と立ち合いを促した。
さて切りかかろうとした次郎長は、「だめだ先生。手足がすくんでしまうようだ。どうしたわけでしょう。」と言う。
鉄舟は、「何、お前が「この野郎」と言って相手をすくませるのと同じことだ。」と言って「眼、光輝を放たざれば、大丈夫に非ず」の一書を与えた。(鉄舟は金がなかったが、謝礼として書をよく与えていた。)
3.幽霊篇
大本教の出口王仁三郎は、幽霊にエイッという言葉を発して、霊を金縛りにかけるのはお手のものだった。人間にも気合が効くのだから、幽霊にも霊縛が効くのは当たり前か。
霊界物語にもしばしば、手に合わない相手(霊)をエイッと霊縛するシーンが出てくる。幽霊は既にエーテル体は失っているのだろうから、この手の技は、アストラル体レベルでも通用するということなのだろう。