◎虚心坦懐、事変に処す
(2017-08-26)
勝海舟は、19か20の時、島田先生から、剣術の奥義を極めるためには、まず禅だと言われて、手島の広徳寺に行って、大勢の坊さんと一緒に禅堂で坐禅を組んだ。
すると和尚が棒を持ってきて、いきなり坐禅をしている者の肩を叩く。すると片端から仰向けに倒れる者が沢山出た。
坐禅していても、金のこと異性のこと、グルメのことなどいろいろなことを考えて心がどこかに飛んでしまっているから、そこを叩かれるので、びっくりして転げるのだ。
海舟も最初は、ひっくり返る仲間だったが、だんだん修行が進むと少しも驚かなくなって、肩を叩かれてもただわずかに目を開いて見る位のところに達したので、4年位真面目に修行した。
この坐禅の功と剣術の功が土台になって、勇気と胆力となり、後年大変役に立った。明治維新で万死の境を出入りする時に、遂に一生を全うしたのはこのためだった。当時は随分刺客に襲われたが、いつも手取りにした。
危難に際会し、逃げられないと見たら、まず身命を棄ててかかった。そして不思議に一度も死ななかった。
ここに精神の一大作用が存在する。人、一たび勝とうとするに急なれば、たちまち頭は熱し胸が躍り、やることは却って顛倒して、進退度を失することになるのを免れない。
反対に、退いて防御の位置に立とうとすると、たちまち退縮の気が生じてきて、相手に乗ぜられる事になり、大なり小なりこの法則のとおりとなる。
海舟は、この法則を悟了し、いつも先ず勝負の念を度外に置き、虚心坦懐、事変に処した。それを、小は刺客乱入の厄を逃れ、大は、明治維新前後の難局に処し綽綽として余裕があった。これは禅と武士道の賜物であると感謝している、と。
勝海舟は、幕臣でありながら、明治維新に際しては、世渡りがうまく立ち回ったこずるい人物のように見られがちであるが、大悟したようではないが、それなりに冥想修行には打ち込んでいた。
「勝負の念を度外に置く、事に際しては逃げない、自分を棄てる」、というのは簡単な理屈ではあるが、実際に行うのは容易ではない。
夏の高校野球で優勝した花咲徳栄高校岩井監督が、決勝で広陵高校の本塁打6本の中村奨成選手に対する心構えとして、「逃げるな」をアドバイスしたのは、勝海舟に通じるところがあった。