◎身に寸鉄を帯びず逃げない
(2020-07-11)
勝海舟は、剣の達人だったが、あの薩長と攘夷派などが入り乱れて暗殺合戦している時代に、身に寸鉄を帯びずどこへでも出かけて行った。これはなかなかにできることではない。
鳥羽伏見の戦いの時は、勝海舟宅を官兵が取り囲んだこともあった。勝海舟は幕臣だったが、幕府の中にも勝海舟は幕府を売る者として殺そうとした者は一人や二人でなかった。
彼が官軍の西郷隆盛と品川で談判した帰り、赤羽根橋を過ぎたあたりで銃弾が鬢をかすめていった。だが海舟は、あわてて駆け出したりせず、馬を降り轡をとって、静かに歩き、四つ辻から再び馬に乗って帰った。
また彼は、しばしば脱走した歩兵を説得することがあったが、九段の靖国神社あたりで説得している時に、銃弾が提灯を貫いた、続いて目の前の歩兵が別の銃弾に倒れ、自分の身代わりになったこともあった。
また彼の家には護衛も壮士もおらず、代わりに女中2、3人がいるだけだった。その理由は、女性ならば襲いはすまいということだったと説明しているが、わが身のガードをしていないということには変わりはない。
こういう日常生活は、誠に生死一髪。勝海舟は写真を見ればやさ男だが、若年から生死を見切った人物であって、見性くらいは楽にしている人物だと思う。