◎原始仏教の分類5
原始仏教の遊行経の、釈迦の入滅シーンの続きです。
『(これまでただ釈尊の説法を数多く聴聞して、それを記憶することには特に傑出していたものの、その説法には説かれなかったこのような場面に遭遇して、すっかり窮地に陥った)アーナンダ(仏弟子)は、(天眼をもってこの情況を見通しにわかに出現した)アヌルッダ(阿那律=仏弟子)に質問します。
「世尊は、もはやすでに完全なるニルヴァーナを遂げられたのでしょうか。」
アヌルッダは答えて言います。
「まだです。アーナンダよ。世尊はいま(色界・無色界すなわち三界のすべてを超えて)
滅想定におられるのです。私はむかし親しく仏から聞いたことがあります。「第四禅から出て初めて完全なるニルヴァーナを遂げる」と。」
その時に世尊は(はたしてアヌルッダの答えたとおりに)、
滅想定から出て(無色界にもどって)、有想無想定に入り、
その有想無想定から出て、不用定に入り、
その不用定から出て、識処定に入り、
その識処定から出て、空処定に入り(ここで四無色定を終えて)、
その空処定から出て(色界に戻って)、第四禅に入り、
その第四禅からから出て、第三禅に入り、
その第三禅からから出て、第二禅に入り、
その第二禅からから出て、初禅(第一禅)に入り(3たび繰り返して)、
その初禅から出て第二禅に入り、
その第二禅から出て第三禅に入り、
その第三禅から出て第四禅に入り、
その第四禅から出て、ここに仏は完全なるニルヴァーナを遂げました。』
(阿含経を読む/青土社P952-953から引用)
ここでポイントになるのは、欲界・色界・無色界すなわち三界のすべてを超えれば、既にそこは人間の体験でなく、仏の領域であるが、その滅想定はニルヴァーナではないと、釈迦自身が否定したとアヌルッダが述べているところである。
滅想定(滅尽定(滅受想定))は、三界を超えているので、定ではなく、ヨーガ・スートラでいえば、三昧に該当する。ところが滅想定はニルヴァーナではないので、滅想定はヨーガでいう有想三昧に該当すると考えられる。
で、ニルヴァーナは、ヨーガ・スートラでいえば無想三昧。
これによって仏教で見ている冥想(禅定)のレベルは9ではなく、実は10段階であり、それぞれがヨーガ・スートラの分類に符合するものとなると考えられる。