◎原始仏教の分類4
原始仏教の遊行経において、釈迦は今まさに入滅しようとします。
『ここで、世尊は直ちに、
まず初禅(第一禅)に入り、
その初禅から出て第二禅に入り、
その第二禅から出て第三禅に入り、
その第三禅から出て第四禅に入り、
その第四禅から出て(以上で色界の禅定を終え)、
空処定(虚空が無限であるという禅定の境地)に入り、
その空処定から出て識処定(心の識別作用が無限であるという禅定の境地)に入り、
その識処定から出て不用定(いかなるものもそこには存在しないという禅定の境地)に入り
その不用定から出て有想無想定(心の表象が存在するのでもなく、存在しないのでもないという禅定の境地)に入り、その有想無想定から出て(以上で無色界の禅定を終えて、これにより生あるものの全世界である三界を超え出て)、
滅想定(心の働きが一切尽きてなくなり、全く平穏静寂な禅定の境地に入りました。)』
(阿含経を読む/青土社から引用。P951-952)
※空処定:空無辺処定のこと
※識処定:識無辺処定のこと
※不用定:無所有処定のこと
※有想無想定:非想非非想処定のこと
※滅想定:滅尽定(滅受想定)のこと
以上のように釈迦は、禅定のレベル1から順番に上昇していってレベル9に入ったのである。
滅想定は、既に色界、無色界を超えたところなので、個人という人間性を超えたところにある。ということは、個人が体験しているのではなく、仏が仏を体験する、つまり仏の側の経験のことであると思う。
また滅想定は、禅定の最高レベルである。禅定という定に分類してあるが、ヨーガ・スートラの分類では、定ではなく有想三昧と見られるので、定と三昧がここでは混同されているように考えられる。