アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

定と三昧の違いと冥想十字マップ

2022-10-27 18:50:20 | 密教neo

◎昼と夜のサイクル根本テキスト

 

これは、チベット密教ゾクチェンのテキスト「昼と夜のサイクル根本テキスト」の一部。

『13 修行を確立するにあたっては、融合、放松、進歩という

三つの秘訣によって道を進む、

(最初の)融合のための方法は、快適な座にゆったりすわりリラックスして、前方の空間に心を向け、一体になることだ。

 

14 気を散らすこともなく、何かを対象にして瞑想するのでもないような境地にとどまる。

認識は、まるで大空のように、愛着や執着から離れている。

本来の境地は、光明であり、明知であり、驚愕の瞬間のごとく静寂と運動の区別をこえている。

不二なる明知が、赤裸々に生じる。

 

15 禅定においては、朦朧とした状態(昏沈)や興奮(放逸)におちいることなく、

透明にして明晰、深遠な本来の境地にとどまる。

この本来の境地にあって、思考を呼び出し、投げ捨て、反復し、増幅させても、

不動の(境地の)まま、みずからの土台にとどまることによって、自然に解脱する。』

(チベット密教の瞑想法/ナムカイ・ノルブ/法蔵館P57-58から引用)

 

最終の15で解脱しているからには、その『禅定』は自分が残っている状態ではない。この本では、三昧に入るとか出るとか、自分が三昧に入ったり出たりするように書いているのだが、そもそも『定』と『三昧』は別物であり、『定』には、入る自分、出る自分がある。一方、『三昧』には既に自分はないのだから入る自分出る自分もない。

 

ヨーガでは、定と三昧は截然として区別されている。13はいわゆるファッション冥想であって、のんびりしているが、15ではのっぴきならない『三昧』に至っている。

 

ダンテス・ダイジの冥想十字マップの横軸は、有想定、無想定、愛、有相三昧、無相三昧の5段階に分けられ、無相三昧とはニルヴァーナのこと。これを念頭にこうしたテキストを読むべきであり、並列的に13-15があると考えると紛れるように思う。

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