◎永遠のアイオーンへと昇る
以下は、グノーシスの文書であるが、濃厚にエジプトの密教的思想を受け継いでおり、悟りを自我の死と復活として、いわば自明のものとして位置付けており、生前での冥想修行による死からの甦りを推奨している。
『断章72 フィリポによる福音書 §63a(第二巻81頁)
われわれがこの世の中にいる限り、われわれにとって益となるのは、われわれ自らに復活を生み出すことである。それはわれわれが肉を脱ぎ去るときに、安息の中に見出されることとなり、中間(=死)の中をさまようことにならないためである。
断章73 フィリポによる福音書 §90a(第二巻94頁)
「人はまず死に、それから甦るであろう」と言う者たちは間違っている。もし、初めに、生きている間に復活を受けなければ、死んだときに何も受けないだろう。
断章74 復活に関する数え§14-16(第三巻301-302頁)
それだから、わが子レギノスよ、復活に関して決して疑うことがないように、もしあなたがかつて肉を備えて先在していたのではないとすれば、あなたはこの世界に到来したときに肉を受け取ったのである。
とすれば、どうしてあなたはあの永遠のアイオーンへと昇ってゆくときにも、肉を受け取らないであろうか。肉よりも優れたものが、肉にとっての生命の原因となっているのである。
あなたのために生じたものはあなたのものではないのか。あなたのものであるものは、現にあなたとともに在るのではないのか。
(以下略)』
(グノーシスの神話/大貫隆/岩波書店P162から引用)
アイオーンとは万物を指すとすれば、アイオーンに昇っていくとは、アートマンとの合一を指し、密教において典型的な「体験とはいえない体験」のことを指し、
正統的教説であると思う。