アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

空海-3-山岳修験

2024-01-11 06:03:26 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-25

◎青春期の垂直の道-25

◎山岳修験の深く旧いルーツ

 

空海の悟りに至るまでの冥想修行は、まず少年時の役行者の影響の強い山岳修験、そしてうつ状態、明星、唐での大悟と進んでいるように思われる。

空海以前には密教らしい密教は日本にはなかった。ところが空海自身盛んに山岳修験に学んでいる形跡がある。空海は8世紀の人。

「私は少年時代、好んで山水を渉覧した。吉野から南へ一日、更に西へ2日ほどの山深いところに静かな平地がある。名付けて高野という。紀伊国伊都郡の南にあたる。その四面は高い峰々に囲まれ、人の通った跡もなく、道もない。」(性霊集)

このルートの途中までは、山岳修験のメイン・ストリートのひとつである(吉野)大峰奥駆け道であり、空海も少年時代に、このルートを跋渉したであろうことが知れる。

三教指帰には、「ある時には金の巌に登って雪に降られ難渋し、ある時は石槌山に登頂し食料が絶え、散々な目にあった。」

「阿波の国の大滝岳によじ登り、土佐の国の室戸岬で一心不乱に修行した。その私のまごころに感応して、谷はこだまで答え、虚空蔵菩薩の応化とされる明星は、大空に姿を現された」などとあり、紀伊半島から四国を中心に、しきりに山岳にあって修行を行っていたことがわかる。

空海は、文弱の徒ではなく、中国留学以前に、山岳修験によって、クンダリーニ・ヨーガのエッセンス(密教も修験もクンダリーニ系であって垂直の道)を学んでいたのではないかという推測ができるのである。一方山岳修験そのものも、空海以後は密教と習合した形になっている。

時代は下って11世紀に安倍晴明が出たが、陰陽師である彼も泉州の葛城山に山岳修験を学んだような形跡があり、和泉には安倍晴明の伝説が到るところに残っている。空海以後においても、山岳修験はそのノウハウが連綿として伝承されていたことがわかる。密教、陰陽道と、どちらもクンダリーニ・ヨーガ系のものではあるが、山岳修験は、日本の垂直の道のバック・ボーンとしての役割であったように見える。山岳修験おそるべし。また役行者の遺徳も忘れることはできない。

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空海-2-十住心論

2024-01-10 03:25:03 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-24

◎青春期の垂直の道-24

◎意識レベルと存在レベル

 

空海は、人間の意識の発展段階として、十住心論を掲げている。

 

住心とは、心のあり場所や精神のおきどころの思想・哲学ではなく、人間の意識レベルと存在レベルの発展体系のこと。冥想の縦軸、横軸という議論からは、十住心論は歴史的な社会の発展段階説でもあるので、縦軸のステップであるという見方も否定できない。

ここでは仏教十界説と並べて、人間の意識レベルと存在レベルの発展体系の特徴と狙いを考えてみたい。空海の十住心論は密教の世界観の伝統に従ったものであり、その中にアートマンも顕れる。

十住心論の10ステップは、十界説と1段階ずつパラレルの一対一の対応になっているのではなく、第一住心に、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界の下位4界がまとめられていたり、更に菩薩段階から上が細かく分類されている、ちょっとデフォルメの効いた十ステップになっているところが特徴と言える。

デフォルメした狙いは、この論が、830年淳和天皇に命じられて編纂されたものであり、また真言密教が国家的にオーソライズされるために、真言密教が諸宗の冠たることを強調できるものに仕上げたということが考えられる。

しかし現代人にとっての課題を見るとすれば、第六住心以降の菩薩に相当する部分が最も必要性が高いので、その意味で十住心論の10ステップはとてもモダンな分類だと思う。菩薩とは、見仏、見神、見性を経た人物であって、禅の十牛図で言えば、第三図見牛以上のことをいう。

 

第一住心 

異生羝羊住心

 

牡羊のように性と食のみにとらわれ、本能の赴くままに生きているレベル

修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界に相当。いきなり、下位の4レベルがまとめられていて、十住心論は、上位に力点があることがわかる。

 

第二住心

愚童持斎住心

 

愚かな子供ではあるが、生活の規則に目覚め、人への施しに目覚めるレベル。

人間界に相当

 

第三住心

嬰童無畏住心

 

いまだ輪廻の世界にいるが、来世の生があることを知って幼子のように一時的に安らいでいるレベル。

天界に相当。

 

第四住心

唯蘊無我住心

 

ただ物のみが実在することを知って、実体として個人が存在することを否定する。声聞の教えは自分一人のための小乗のレベル。

声聞界に相当。

 

第五住心

抜業因種住心

 

一切のことは因縁によってなることを自覚して、無知の元を取り除いて、ただ一人悟りを得る。縁覚のレベルに相当。

 

第六住心から第九住心までは、十界説で言えば、ほとんど菩薩のレベルだと思う。菩薩のレベルというのは、最低でも見仏しているレベルである。ところが、空海は、第八住心までは迷い(無明)であるとする。

 

つまり見仏見性しているからとりあえず良しとするわけではなく、まずは第十住心の秘密荘厳住心でないと、問題があると指摘している。

 

第十住心の秘密荘厳住心がニルヴァーナであるのは問題ないと思う。一方第九住心の極無自性住心が、唯一の世界(法界)であるとして、華厳経の毘盧舎那佛のことであるとしているから、アートマンのことと見れる。よってこの十住心論の10ステップのトップ2も、やはりニルヴァーナとアートマンを置いていると思う。

 

第六住心

他縁大乗住心

 

心の海は静まり、波立っていないが、迷いの風が吹くために、波風は立つ。天国も地獄も自分の心が作り出したのだということを知らないレベル。

 

悪を行わず、あらゆる種類の善を長年にわたり行い、菩薩の52段階の修行を積み重ねても、本来の悟りは、自分の心の中にあることを知らない人のことである。心とそれが認識する対象物が別の物だと思っているが、菩薩としての修行がかなりできている人のレベルである。

 

第七住心

覚心不生住心

 

概念的な認識(五辺)は、本質的なものでない。原因により生起した心は、それ自体の性質(本性)を持たず、空であり、仮の存在であり、中道であり、アプリオリに存在している。

 

しかし本来の悟りは、遥かな過去から存在しており、自然や、清浄という表現も不適当で、言葉の表現を離れている。

 

ここで心の本性が不変で、自由自在であることを知り、無益な議論をすることはなくなったが、まだ本来の悟りの入口に初めて立っただけだ。

 

第八住心

一通無為住心

 

空性は、感覚と対象を離れて、形もなく境界もない。こうした認識主体である心と認識される対象との対立をなくしたところに常寂光土(浄土)がある。しかしその対立をなくし、常寂光土へ至る手だてはない。依然として無明のままである。

 

第六住心の課題は、認識主体である心と認識される対象との対立があることだったが、ここでは、その課題を克服する認識はできたが、実践方法が見つからないレベル。

 

第九住心

極無自性住心

 

ここまで積み上げてきた認識や哲学を総合すると、現象(迷い)と実在(さとり)は、唯一の宇宙法界(法界=世界)におけるものであることになるが、これは、単なる客観的な世界観に過ぎず、哲学にすぎない。これでは依然として真の悟りではない。

 

第十住心

秘密荘厳住心

 

大日如来は、あらゆる仏と一つであって、迅速な力という三昧(トランス)に入り、自ら証した心理の世界の本体という精神統一を説くレベル。仏界に相当。

 

仏の位に入るとは、即身成仏のことで、大日如来と一体化することである。

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空海-1-即身成仏と業績

2024-01-09 03:11:00 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-23

◎青春期の垂直の道-23

◎悟りのプロセスと活躍

 

空海の悟りの道程を見ると、渡唐以前に土佐の室戸崎の洞窟で、明星が口の中に飛び込んできた。これが見仏に該当するのだろうと思う。

渡唐以前には、大日経を読んでもわからないところがあったということなので、大悟はまだだった。

唐に至り、師の恵果の指導によって、大悟覚醒すなわち即身成仏という中心太陽への突入を達成したと考えるのが素直な読み方だろう。

以後、超能力を使いまくって、日本の宗教、文化、皇室に大きな影響を与えた。逝去時に遺体を虚空に消滅させる尸解を行わなかったのは、日本人向けには必要ないという判断があったのだろうと思う。

空海の一般的な年譜のようなものは、外典の“科挙不合格組、不登校組-3-空海”に挙げたので、そちらも参照されたい。

 

スピリチュアル面での業績と考えられるのは次のようなものである。

  1. 真言密教という仏教の新風、それも奥義を持ち込んだ。これにより日本の垂直の道は、古神道、真言密教となった。
  2. 世界の存在レベルを、十住心論の十段階で表明した。悟った者は世界全体を語りたがるもの。
  3. 即身成仏について、大日如来と合体などという刺激的で誤解を招く表現はとらなかった。だが、人間が人間のままで仏に成れるようなイメージ誘導を行っている。
  4. 真言密教は死の世界をクリアすることである。『死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し。』(秘蔵宝鑰」(ひぞうほうやく)の序)とは、実際に何度も死ぬことにより(出口王仁三郎は六度死んだ)死の世界をどんどん極めて行って、その究極は神秘そのものである(冥し)というニュアンスではないかと思う。
  5. 声字実相義では、言霊の存在を指摘し、ア字本義を唱えた。いろは48文字で言霊を体系化。
  6. 後七日御修法とは、もともと弘法大師空海が開始せられた真言宗による国家鎮護の御修法である。承和元年(834年)から正月8日~14日、宮中中務省で、この修法をとり行った。以後何回かの中断をはさみながら現在も毎年修法されている。これにより天皇家は、古神道と仏教顕教、仏教密教の神事あるいは修法を行うことになった。

 

空海は、超能力を使いまくる一方で、天皇家の祭式を大きく変えさせるという大きなインパクトを与えた。これにより、日本人の精神性の中に密教を根づかせることに成功したが、朝廷と結びつくということは、現世利益が前面に出がちになるという弊害もある。

また、高野山も一時衰亡に瀕したが今は復活し、さらに世界的に知られる四国88ヶ所霊場のお遍路というイベントも盛んである。

空海は、数百年に一度のスーパー宗教者であったが、時代の制約のせいか、その悟りや即身成仏のより具体的な説明はなされなかった。

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役行者-5-役行者が己の骸骨に出会う

2024-01-08 03:06:55 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-22

◎青春期の垂直の道-22

◎トラウマを超えて

 

修験のパイオニア役行者の出現以前も以後も、奥駆けを中心とした山岳での修練が盛んに行われた形跡はない。それほど当時の山の生活は厳しいものであって、まして何十日も山を縦走しながら修行するというのは命懸けであったに相違ない。

大峯山は古くは金峯山(きんぷせん)と呼ばれ、吉野川の川岸から山上ケ岳あたりまでの山系の総称である。役行者でさえ未踏の新山に踏み込むには慎重であり、初めて大峯山上ケ岳に登ったのは37歳の時(役行者本紀)。

667年役小角は大峯の奥駆けをスタートし、吉野から熊野へ旅立った。役行者が山上ケ岳山頂付近の洞窟で孔雀明王と不動明王を一心に祈念していると一体の骸骨を見つけた。

その骸骨は右手に利剣、左手に独鈷杵を持っていた。すると御告げがあり、「役行者は、この山で生を受け生を終わること7回で、この骸骨は3回目のものである。」そこで千手陀羅尼と般若心経を唱えると骸骨は利剣と独鈷杵を小角に渡した。また釈迦ケ岳には第五生、小笹にはすでに眼窩から若木が生えた第六生の骸骨が残っているとされる。

役行者は、この独鈷杵を鋳直して孔雀明王像を作り、また利剣は八経ケ岳に埋めたがこれが八剣山とも呼ばれる由縁。

大峯と髑髏と言えば、陰陽師、安倍晴明が花山天皇の頭痛の原因を探ると、天皇の前世の髑髏が大峯の岩にはさまって、雨の日は膨張した岩でしめつけられるため、頭痛がするのだと奏上して快癒に導いた事件もある(古事談)。

 

役行者は大峯の洞窟で己の前世についてのアカシック・レコードを見たのだろう。

人は、前世やら過去やらで潜在意識に蓄積された傾向によって、その行動や思考を縛られている。例えばそれは、最後には必ず自分を振ってくれる人を恋人に選んだり、美少女ゲームにはまってしまうことや、オンライン・ゲーム中毒になったり、果ては、下着フェチや性倒錯や色情狂であることの原因にもなる。

人がこうしたことを繰り返すのは、基本的には自分の潜在意識の奥深くにあるトラウマ(外傷体験の記憶)により行動や思考の悪循環を起こしているためである。ところが本来の自分というものは、その悪循環を超えた本当の自由闊達さを生きることができるものなのだ。

役行者は過去世の骸骨を見たことをきっかけに、本当の自分に出会ったかも知れないが、平素からの真摯な冥想訓練により本来の自分に出会う練習がないと、たとえきっかけがあったとしても、なかなかそうなるものではあるまい。

また垂直の道の修行者であるからこそ、過去世の自分を問題にする。過去世の骸骨に出会って、より深まるきっかけとしたのだろう。

役行者はいつ大悟覚醒したのか、どのような修行法で覚醒したのか、悟境はどの程度のものだったかどうかは、判然としない。大物覚者であっても、そうした行跡が残っておらず、伝説だけということはままあるものだ。

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役行者-4-役行者が伊豆大島へ島流し

2024-01-07 03:54:12 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-21

◎青春期の垂直の道-21

◎超能力者は邪険にされる

 

一言主神は、葛城の山の神であったが、役行者に頼まれた吉野金峯山-葛木山間に石橋を作る仕事が怠慢であったため、役行者から早く工事を進めるようにと責めたてられた。役行者のこの厳しい責めに思い余って、一言主神の信奉者たちは、「役行者は朝廷に対し謀叛の計画がある」と密告した。

捕手が葛城に向かって、役行者に強引に縄をかけようとすると感電したように動けなくなり、金縛りとなるためどうしても逮捕できなかった。また捕手の役人が大勢で向かうと役行者は空に飛び上がるので逮捕できなかった。

最後に役人は、卑怯にも役行者の母である白専女が道場茅原寺にいるところをつかまえ、人質にしてしまった。弟子の義覚、義元らは怒って奪い返しに役所を襲うと息巻いてもいたが、役行者は自ら役所に出頭して、母を釈放させたのであった。

文武天皇3年5月24日(699年)、役小角は、伊豆大島に島流しにされた。役行者の過ごした岩屋は、東海岸の泉津村にあり、高さ6メートル幅6メートル奥行き15メートルだが、満潮の時は、潮にさえぎられて人が近づけないところにあるという。

役行者の島にいた当時、毎夜三原山に怪しいあかり=龍灯がともったという。昼は大島にいたが、夜は、富士山頂、天城、走湯、箱根、雨降、日向、江ノ島などを飛び回った。

役行者は、後に許されるとはいうものの、政府が、在野にいて民間に人気のある超能力者を危険であるとみなして刑務所に送るのは歴史上よくあること。役行者の罪状はともかくとして、捕手から逃れることを繰り返しているので、冤罪であったことは間違い有るまい。

 

超大物の超能力者を粗略に扱う悪しき日本の伝統は、これほどの昔からあった訳である。

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冬の片足立ちバランス改善と転倒防止訓練

2024-01-06 10:58:18 | 天人五衰、ロコモ、フレイル

◎身体バランス練習、シニア向け

◎バランスと歩行改善のエクササイズ・ベスト10

 

「60代以上のバランスと歩行改善のベスト10練習」(SENIORS OVER 60: BEST 10 EXERCISES TO IMPROVE BALANCE AND WALKING: COMPLETE COURSE/Proprioceptive Rehab by Dr. Doug Weiss DPT)

を初めて一通りやってみました。一時間弱かかりましたが、いくつかの発見がありましたので、コメントしてみます。

(これは、前後、左右、上下の転倒防止とバランス改善に特化した10の体操を紹介しているもの。英語ですが、字幕は日本語字幕に変換可能です(設定⇒字幕⇒自動翻訳⇒日本語を選択)。)

1.最初はつかまってよい。左前足のかかとが後ろの足のつま先に触れて20秒間立ったまま。これを3回繰り返す。次に左右の足を替える。最後は椅子などにつかまらない。先にかかとで着地し次につま先を意識する。これだけでできるまで数週間かかることもある。

初日コメント:ほとんど椅子の背につかまりっぱなし。ファッション・モデル歩きの基本。

 

2.正面のいすなどにつかまりながら、両かかとを1,2秒間上げて下す。これを10回やって1分休憩を×3セット。

初日コメント:半分くらいつかまる。

 

3.正面のいすなどに両手でつかまりながら、右足で立つ。次にその手を放す。最初は1秒もできないかもしれないが、段々伸ばしていって20秒が目標。20秒を3回連続でできれば卒業。左足も同様。

初日コメント:ほとんど椅子の背につかまりっぱなし。つかまりながらも身体が揺れ出すのには参った。これがバランス不安定の核心かもしれない。

 

4.正面のいすなどに両手でつかまりながら、左に一歩、次に右に一歩サイドステップ。大股でまたぎ越すイメージ。目標は両手を放して右に一歩、左に一歩で三往復。

初日コメント:ほとんど椅子の背につかまりっぱなし。

 

5.椅子から手をつかわないで立ち上がる。できない場合は、おしりに枕を1個か2個当てて座面を高くしてやる。目標は10回立ち上がって1分休憩のセットを3回。

初日コメント:これはできるが、効果は大。膝がしっかりする。

 

6.片手で椅子につかまりながら、綱渡りのように、前足のかかとが後ろ足のつま先に触れるように前方に3,4歩歩いて反転を3回。慣れてきたら手を放してこれを行う。

初日コメント:ほとんど椅子の背につかまりっぱなし。きつい。ファッション・モデル歩き。

 

7.後ろ向きに三歩あるいてUターンして後ろ向きに三歩。これを3回繰り返す。慣れたら手を放してやる。これは、前かがみ歩行の予防。

初日コメント:ほとんど椅子の背につかまりっぱなし。

 

8.両側につかまれるものを用意して、片手で椅子につかまりながら、高さ15cmほどの踏み台を片足ずつ足指でタップする。左右各20回が目標。慣れたら手を放してやる。

初日コメント:ほとんど椅子の背につかまりっぱなし。

 

9.片手で椅子につかまりながら15cmほどの棒をまたぎ越し、戻る。左右各足で10往復ずつ。慣れたら手を放し前後20回が目標。

初日コメント:ほとんど椅子の背につかまりっぱなし。

 

10.椅子につかまりながらゆっくりと高さ10cm踏み台を後ろ向きに降り昇る。右足で降り、右足から昇る。これを10回。左足で降り、左足から昇る。これを10回。慣れたら手を放す。

初日コメント:ほとんど椅子の背につかまりっぱなしだが、椅子の背ではつかまるものとして低い。極めてゆっくりでないと危なくて、できない。

 

1.踏み台は、créerのを使っています。

2.おけたに整骨院の片足立ち1分youtubeを半年くらいやっていますが、所要3分なので、片足立ちバランスのバロメーターとして半年以上継続中。

3.”【日替わりトレーニング総集編】立ったまま靴下が履きたい等バランスを良くしたい方に向けた片足立ち向上を目的としたトレーニング集/フラミンゴの介護予防チャンネル

これは、あまり知られていないバランス用の筋肉強化メニューが中心で、見るべきものはある。だが私にはあまり効果がなかった。

 

4.最近の室内ウォーキング(室内散歩)

Olivia Lawsonの30分ものを(20分と10分に分割して)中心にやっています。竹脇まりなよりハードですので、そのままでなく、できないのはやわやわと無理せずにやっています。室内散歩メニューがとても豊富で、選曲が抜群で、元気が出ます。

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役行者-3-蔵王権現の謎

2024-01-06 03:16:22 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-20

◎青春期の垂直の道-20

◎人工的イメージの匂い

 

金峯山秘密伝によれば、天智天皇の御世に、役行者が金峯山の大峰山頂で修行をしていた。役行者は、末法の世にふさわしく、濁世に現れる魔物を退治できる強力な仏の登場を祈願したところ、まず過去仏として釈迦が現れ、次に現世仏として千手観音が現れ、次に未来仏として弥勒菩薩が出現した。

役行者はこの三仏の出現に納得せず、更に祈念を凝らしたところ、突然忿怒の顔をした青黒い蔵王権現が出現したので、これを降魔の尊像としたとされる。

 

一方最も早く金剛蔵王が登場するのは、天平の頃。

天平19年(747年)大仏の鋳造が開始された。その時、聖武天皇は良弁法師に、「金峯山の土地は皆黄金だという噂なので、金剛蔵王に祈って金を手に入れて、大仏鋳造に役立てたらどうだ」と申しつけた。

良弁は、早速金峯山に登って祈願したところ、金剛蔵王が夢に現れて、この山の黄金は採掘してはならぬと禁じたという。

 

このようにして当時から様々な人の潜在意識下に登場したはずの蔵王権現であるが、その彫像を見るとほとんどすべてが右手を上げ右足を上げたスタイルなのはどうしたことだろうか。

霊界の永続するイメージとして蔵王権現が存在しているならば、いろいろな人が、生き生きと活躍する蔵王権現を見て、その塑像が作成されているはずだが、そうではなくこのポーズだけである。その理由としては、見た人が良弁や役行者に限られ、蔵王権現を見なかった人が説話から想像のみで制作してしまったか、あるいは、実際蔵王権現のビジョンを見た人がいないか、どちらかではないかということである。

蔵王権現は、元は金峯山のローカル神霊ではあるが、鎌倉から南北朝にかけていろいろな説話が付け加えられてはいるが、全くポーズが同じということから、人工のイメージの匂いを感じてしまう。単純に忿怒ポーズのバリエーションが少ないということでもないと思う。

古神道には忿怒尊はなく、なにより図像はない。ちゃんとした密教もなかった当時で、どうして密教由来っぽい神霊を殊更に用いるのだろうか。

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役行者-2-みろくの時代の御宝

2024-01-05 03:10:42 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-19

◎青春期の垂直の道-19

 

役行者について、出口王仁三郎が公式に見解を述べたものはほとんどない、だが、

1.奈良の大仏

  役行者は20年かけて全国を渡り歩いて全国の金鉱の地図を作製し、奈良の大仏の下に置いてある金板に地図がある。これは奈良の大仏を鋳つぶしてしまわないと出て来ない。

「よき人のよくぞよくみて よしといひし よしのよくみよ よき人よくみつ (聖武天皇)」

(出典:新月の光 下巻/木庭次守編/八幡書店P63)

これは、出口王仁三郎によれば仏の終わりにならぬと判らぬということで、みろくの神に渡すということだそうな。

京都の空襲などがあった後、大仏も鋳つぶされる時節があるのだろう。

 

2.役行者

聖武天皇が役行者に勅命で、日本金鉱地図を作らせた。20年かけて夜に金気の昇るのを見て作った。吉野の金峯山にははな(露頭)が出ている。

(出典:上掲書P114)

これが、役行者の超能力の達者なところだが、時の最高権力者が恣意的に使える金鉱脈でなかったところが、垂直の道らしい。

 

3.吉野山

出口王仁三郎の師匠大石凝真澄は、吉野山の金鉱脈は厚さ三寸、幅三里、長さ13里と見ていた。それでもって宮内省に行って、宮様以上はみろくの世になれば、金の柱の家に住まれると申し出たら狂人扱いされたそうだ。出口王仁三郎もその場に居合わせたが、バカらしくなって帰った。

後、出口王仁三郎が吉野に見に行き、吉野山にはない、金峯山や八幡山にはあることをチェックした。しかしその鉱脈は、現代では出ない。みろくの世になってからである。UFOの反重力装置みたいに次の時代にならないと出ないようだ。

(出典:上掲書P105)

 

これは、塩沼亮潤大阿闍梨が見た、身長三メートルくらいのぼろぼろの衣を着て杖を持った仙人が空中に出現し、「金(かね)の御嶽(みたけ)金の御嶽と言う愚か者どもよ、ここは神の御嶽なり」と言うなりすーっと消えていった話につながる。その仙人は役行者だったか。

 

関連歌:いろは神歌(雑誌神霊界54号から引用)

『○むかしより花に名高き吉野山、八幡の山の奥深く、ミロクの世まで隠されし、音姫どのゝ御宝の、在所尋ねて千代八千代、動かぬ御代の大本の、千歳の松の神の子が、

鶴殿君に従ひて、未だ散り終えぬ八重桜、日本心の大丈夫が、高天原を立出て、折も吉野の上市に、一夜を明かし妹背山、吉野の川に隔つれど、誠心の隔てなき、浅野、豊本、牧、村野、梅田、秋岡、出口王仁、星田、多慶子や金谷の、清き身魂は吉野川、

流れに添ひて上り行、十里の道も山吹の、一重の花に引かされて、神の教へのかしこくも、早柏原に着にけり。

雲井の空の神人と、ひなに育ちし賤の男が、深山の奥に手を曳きて、峻しき山を辿りつゝ、御国の為に赤心を、尽すも神の引き合せ、黄金の山の奥深き、神の経綸は白雲の、花の吉野の水清く、治まる御代の礎を、踏み固めたる千代の鶴、八千代の亀の末長く、開け行く世を楽しみに、松まの長き真鶴の首。』

(冒頭に御宝のありかが。)

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阿比留文字と阿比留草文字

2024-01-04 16:22:38 | 古神道の手振りneo

◎阿比留草文字こそ正統

(2012-06-16)

 

江戸時代の古神道研究者の平田篤胤(1776-1843)は、今のハングルみたいな文字の文書を何通か手に入れ、この奥書によれば、この文字は日文(ひふみ)四十七文字であって、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)(中臣氏の祖神)から対馬の占いを職掌とする阿比留家に伝承されたものであることから、阿比留文字と呼ばれた。

さてハングルは、1446年朝鮮李朝の世宗の時代に公布した文字であり、平田篤胤の時代よりも更に古い。ゆえに常識的にはハングルは対馬経由で入ってきて、これを一部アレンジしたのが阿比留文字になったと判断される。それほどハングルと阿比留文字は似ている。

なお李氏朝鮮時代にはハングルは公文書に使用されることはなかったが、日本統治時代にハングル教育を推進したので、戦後はなんだかハングルが南北朝鮮で公用にされているそうだ。

 

平田篤胤は、更に阿比留家に伝承されている別の文字が、阿比留文字を崩したような形であることからこれを阿比留草文字(アヒルクサ文字)と称した。

さてアヒルクサモジは、日本古代の有力寺社のほぼ三割の神璽、守符で発見されている。そのことからしても、阿比留草文字は、仮名以前つまり空海以前には遡ろうということで、ハングルの成立よりはるか以前のこと。

また神璽、守符に採用されていることから当然にこの文字は神聖文字である。平田篤胤の言うようにハングルが楷書であってその崩し字である草書が阿比留草文字であるとすれば、そうした格の劣った文字を神璽、守符に採用するはずはない。よって、阿比留草文字こそが正格の文字であると認められていたと考える。

 

だから阿比留草文字と阿比留文字の正偏にあまりこだわる必要はなく、両者はとりあえず別物と考えることで良いのではないかと思う。

やはり主題は、古神道の源流がアヒルクサ文字を採用していたということと、その由来にからむ聖者列伝が残っていないかどうかではないかと思う。

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役行者-1-役行者の意義

2024-01-04 06:47:24 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-18

◎青春期の垂直の道-18

 

出口王仁三郎は、空海と役行者は艮の金神様の生まれ変わりだと言っている。(出典:新月の光下巻/木庭次守編/八幡書店P135)

艮の金神とは、善玉神の親玉のことであって、神の世界は三神系で成るのだが、善玉神一グループと、二種の悪玉神グループの総称のこと。三神系が、この世のあらゆる悲喜劇を創出する原動力となっているのである。

 

わざわざそのような貴顕神アヴァターラが世に出てくるのは、時代が危殆に瀕している時期である。役小角(634年~701年)の生涯で特筆すべき事件は、

645年 蘇我入鹿暗殺、大化の改新

663年 白村江の戦い

671年 唐国の使人郭務悰等約2千人の唐兵や百済人が日本に上陸。

672年 壬申の乱

712年 古事記編纂。

 

役行者は、699年に伊豆大島に流罪になって、大赦により奈良県御所市茅原に戻り、701年大阪府箕面市にある箕面山瀧安寺の奥の院にあたる天上ヶ岳で入寂した。

 

役行者は、一般に修験道の開祖と認識せられているが、私は彼の業績について以下のように考えている。

 

1.古神道のエッセンスを修験道に持ち込んで、古神道の延命護持を図ったこと。その成果が古事記である。古事記は、上巻、中巻、下巻の三巻に分かれるが、とりわけ上巻は、古神道の奥秘開示と現代に至る予言書となっている。

また上巻の予言内容については、現代すなわち至福千年到来までの時期にすべて現実化する、と出口王仁三郎は述べている。

 

2.白村江の戦い以後、それまでの日本の言語文字であったらしい神代文字は地下に潜行した。漢字のみの言語を日本に押し付けようとする唐国勢力に対し、原日本語を漢字と仮名で残そうとするため、アイウエオの仮名を創出せしめた。これは、日本語の言霊を残さしめたということで決定的だった。

 

(1)神代文字と古神道

 吾郷清彦によれば、由緒ある神社であればあるほど、神社の神璽(神符)や守符(お守札)が神代文字で書かれているものだそうだ。

 

最も由緒ある元官幣大社では、58社中22社が神代文字の神璽または守符を採用している。該当する元官幣大社は、生国魂神社、大和神社、石上神宮、宇佐神宮、伊弉諾神社、鹿児島神宮、吉野神宮、日吉神社、日枝神社、月山神社、平安神宮、浅間神社、氷川神社、稲荷神社、三島神社、阿蘇神社、大神神社などである。

さらに該当する元官幣中社には、鎌倉宮、金鑚神社、生田神社、住吉神社、また元国幣中社では、寒川神社、伊佐須美神社、志波彦神社、出雲神社、函館八幡宮、塩釜神社、金刀比羅宮などビッグ・ネームが並ぶ。

吾郷清彦の集計では、官幣大社、官幣中社、官幣小社88社の中で神代文字の神璽(神符)や守符(お守札)が採用されているのは27社で、30.7%にも達するという。同様に国幣大中小社86社中の神代文字採用は24社で27.9%と高い。

使用されている神代文字はアヒルクサ文字が大半である。

神社建立の由緒を考えれば神璽(神符)や守符(お守札)のデザインはおいそれと変更できるものではないから、日本の主要な神社は、もともと漢字・仮名文化ではない宗教を持つ部族によって建立されたであろうことが推察される。

そしておそらくそれはアヒルクサ文字の教義体系を有する古神道だった。アヒルクサ文字は中国にはないから、役行者が日本に持ち込んだということではないだろう。つまり大化の改新以前に、アヒルクサ文字の古神道体系が既に日本列島には根を下ろしていたのではないか。そしてアヒルクサ文字の古神道体系のエッセンス(冥想手法、カリキュラム)は、実は道教のそれに類似する同じ垂直の道だったのだろう。

 

(2)空海との関係

修験の山大峯では、役行者信仰一辺倒だそうだが、その大峰でも修行した近藤得海氏の言葉。

『神奈川県大和市の近藤得海師(75歳)。一本歯のゲタで、のし歩く。

「まあ、役行者さんのあとのくくりをしているのが、お大師さんだな。イロハはお大師さんがつくったろ。

じゃ、アイウエオはだれがつくったんだ。役行者さんよ。そういう関係だよ。」

当方絶句するほかなかった。』

(異界を駈ける/藤田庄市/学研P133-134から引用)

 

3.役行者は土地神を平定した。

これは、前鬼後鬼を服従させた伝説にうかがえるが、彼が修験道で歩いた全国各地やアストラルで行った諸方で土地神を平定したということが多かったのではないかと思われる。それにより、神霊レベルでの古神道の全国普及、統一を図った。この辺はいわゆるご神業に属することであって、例えばチベット密教の開祖パドマサンバヴァもチベットの土地神を帰順させまくったが、その内容は俗人が知るべきことでなく、あまり伝わっていないのと同様と思う。

 

4.道教を日本に入れなかったこと

この時代の政権は唐の文字、文化、宗教を取り入れる圧力が強く、道教もしつこく導入を迫られたものと思うが、古神道をあくまで守る姿勢があって、道教排斥についても活発に動いたものと思われる。

 

役行者は、日本が唐という外国勢力により立て直しを迫られる中で、諸国の土地神の帰順により古神道そのものを整理し、仮名創出で原日本語の粋を残させることで、日本人の根幹である日本精神、大和魂を継承させることに成功したのだろうと思う。

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イエス・キリスト-5-単独なる者、選ばれた者

2024-01-03 03:32:41 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-17

◎青春期の垂直の道-17

 

新約聖書は、水平の道寄りに書かれてあるが、もともとイエス・キリストはバリバリの垂直の道の修行者。見神経験はあったが、超能力の相当な使い手であって、神人合一は十字架にかかる以前はなかった。トマス福音書は、垂直の道寄りのことが書かれている。

 

新約聖書外典トマス福音書から。

『一七

イエスが言った、「私はあなたがたに、目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、手がまだ触れず、人の心に思い浮かびもしなかったことを与えるであろう」。 』

(ナグ・ハマディ文書 2 福音書/荒井献/〔ほか〕訳/岩波書店P24から引用)

 

これは、父母がまだ生まれていない以前の自分のことであって、自分がそのきっかけになることを言っている。

 

『一八

弟子たちがイエスに言った、「私たちの終りがどのようになるかを、私たちに言って下さい」。

イエスが言った、「あなたがたは一体、終りを求めるために、初めを見いだしたのか。なぜなら、初めのあるところに、そこに終りがあるであろうから。初めに立つであろう者は幸いである。そうすれば、彼は終りを知るであろう。

そして死を味わうことがないであろう」。』

(上掲書P24から引用)

 

初めも終わりも等しいものは、宇宙意識にして世界全体にして過去現在未来も生も死も一緒くたになったもの。第六身体。

 

『二二

 

イエスは乳を与えられている小さな者たちを見た。彼は彼の弟子たちに言った、「乳を与えられているこの小さな者たちは、王国に入る人々のようなものだ」。

彼らは彼に言った、「私たちが小さければ、王国に入るのでしょうか」。

イエスが彼らに言った、「あなたがたが、二つのものを一つにし、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、あなたがたが、男と女を一人にして、男を男でないように、女を女(でないよう)にするならば、あなたがたが、一つの目の代わりに目をつくり、一つの手の代わりに一つの手をつくり、一つの足の代わりに一つの足をつくり、一つの像の代わりに一つの像をつくるときに、そのときにあなたがたは、[王国に]入るであろう」。』

(上掲書P26から引用)

 

『二つのものを一つにし、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、あなたがたが、男と女を一人にして、男を男でないように、女を女(でないよう)にする』とは、選り好みをしないことであって、両性具有の実現のこと。その時、大悟覚醒できる。だが、LGBTQのことではない。

その時、自分が世界全体なので、目も手も足も一であり、禁じられている像を造ろうが造るまいが問題にはなるまい。

 

『四九

イエスが言った、「単独なる者、選ばれた者は幸いである。なぜなら、あなたがたは王国を見いだすであろうから。なぜなら、あなたがたがそこから(来て)いるのなら、再びそこに行くであろうから」。』

(上掲書P33から引用)

 

単独なる者は、既に両性具有を果たした者、選り好みをしなくなった者。そうであれば、垂直の悟りを達成できる。

 

『七五

イエスが言った、「多くの人々が戸口に立っている。しかし、新婦の部屋に入るであろう者は、単独者(だけ)である」。』

(上掲書P40から引用)

 

多くの人は、垂直の悟りの可能性は有している。だが、その誰もが新婦の部屋に入れるわけではなく、両性具有を果たした者、選り好みをしなくなった者である単独者だけが入れる。

グノーシスにおける単独者とは、原人、完全な人のこと。それは、エデンの園追放以前のアダムのことである。

フィリポによる福音書§71にエバと分離する以前のアダムが完全体、原人であることが示される。そのやり方は、エバを再び合体させることであって、それが聖なる結婚となる。

見神した人にもいくつかの段階があり、両性具有を果たす段階というのもあり、その先にさらに新婦の部屋に入る段階というのがあるのだろう。

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イエス・キリスト-4-超能力で木を枯らす

2024-01-02 03:57:40 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-16

◎青春期の垂直の道-16

◎いちじくの木を超能力で枯死させる

 

イエスは、超能力でまるで呪いのようなことをして、いちじくの木を枯死させた。これは、ユダヤ教の教団関係者でなくとも、理由を問う場面である。

 

『21:18朝はやく都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。

21:19そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。そこでその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。

21:20弟子たちはこれを見て、驚いて言った、「いちじくがどうして、こうすぐに枯れたのでしょう」。

21:21イエスは答えて言われた、「よく聞いておくがよい。もしあなたがたが信じて疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく、この山にむかって、動き出して海の中にはいれと言っても、そのとおりになるであろう。 21:22また、祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」。

 

21:23イエスが宮にはいられたとき、祭司長たちや民の長老たちが、その教えておられる所にきて言った、「何の権威によって、これらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか」。』

(口語訳新約聖書(1954年版) 【マタイによる福音書】から引用)

イエスは、超有力の動機の善悪については説明せず、疑いを入れず信じ切れば物事は超能力で即時に実現すると断言した。だが、動機の善悪についてどう考えているか聞きたいところである。

 

続き。

『21:24そこでイエスは彼らに言われた、「わたしも一つだけ尋ねよう。あなたがたがそれに答えてくれたなら、わたしも、何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言おう。

21:25ヨハネのバプテスマはどこからきたのであったか。天からであったか、人からであったか」。すると、彼らは互に論じて言った、「もし天からだと言えば、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。

21:26しかし、もし人からだと言えば、群衆が恐ろしい。人々がみなヨハネを預言者と思っているのだから」。

21:27そこで彼らは、「わたしたちにはわかりません」と答えた。すると、イエスが言われた、「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい。

21:28あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。

21:29すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。

21:30また弟のところにきて同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。

21:31このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。

21:32というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。』

(口語訳新約聖書(1954年版) 【マタイによる福音書】から引用)

 

これは、中国の道家魏伯陽が弟子に毒薬を飲めというテストを行った故事と同じである。

また達磨は、『師の教えに頼らず、事上に法を見る人は、利根とよばれる。師の教えにしたがって答えを得るものは鈍根とよばれる』とした。

あるいは釈迦は、鞭の影を感じて走る馬は上根とし、鞭で叩かれないと走らない馬は下根とした。

イエスのこの説明の仕方は、今風の感性で言えば、やや不親切だが、実は求道者にとっては、とても親切であると思う。

 

続き。

『21:33もう一つの譬を聞きなさい。ある所に、ひとりの家の主人がいたが、ぶどう園を造り、かきをめぐらし、その中に酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。

21:34収穫の季節がきたので、その分け前を受け取ろうとして、僕たちを農夫のところへ送った。

21:35すると、農夫たちは、その僕たちをつかまえて、ひとりを袋だたきにし、ひとりを殺し、もうひとりを石で打ち殺した。 21:36また別に、前よりも多くの僕たちを送ったが、彼らをも同じようにあしらった。 21:37しかし、最後に、わたしの子は敬ってくれるだろうと思って、主人はその子を彼らの所につかわした。

21:38すると農夫たちは、その子を見て互に言った、『あれはあと取りだ。さあ、これを殺して、その財産を手に入れよう』。 21:39そして彼をつかまえて、ぶどう園の外に引き出して殺した。

21:40このぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか」。

21:41彼らはイエスに言った、「悪人どもを、皆殺しにして、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに、そのぶどう園を貸し与えるでしょう」。

21:42イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、

『家造りらの捨てた石が

隅のかしら石になった。

これは主がなされたことで、

わたしたちの目には不思議に見える』。

21:43それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。』

(口語訳新約聖書(1954年版) 【マタイによる福音書】から引用)

 

これは、権利の上にあぐらをかく者は云々ということではない。神の民は、昔は神の民だったが、いつまでも神の民であるわけでもないということ。

そこで、ユダヤ・キリスト教では、人に打ち捨てられた石が北東に置かれるのだが、それが長い年月の末に、滅びることのない神の神殿の基礎となるという伝承があるのだ。

これは、世界の北東の辺境だった日本が世界の中心になるという予言である。

 

なおイエスがいちじくの樹を枯らせたのは、ちょっとやり過ぎだったと思う。

のこぎりを用いず超能力でやるのが、垂直の道の修行者である。

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イエス・キリスト-3-磔刑

2024-01-01 03:21:48 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-15

◎青春期の垂直の道-15

◎イエスの遺偈(エリ、エリ、レマ、サバクタニ)

 

イエスの最後の一言が、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」であったのは、知られているが、文字通りのそれだけであったならば情けない話しである。

ところが、詩篇に『わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。』という言い回しがある。これによって、まず十字架上で、イエスが「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と最初に朗唱し、平常時であれば、続いて当時のユダヤ教の風習に従って周りにいた人たちがそれに続く詩篇の言葉を合唱したのだろうが、それはなく、ここはイエスが独り心の中で詩篇の続きを唱えて、その後に「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」、「すべてが終った」と云ったと見る考え方もある。

 

心理学者C.G.ユング風に言えば、実はすべての人は、その身に光も闇も、天国も地獄も、明も暗も、善も悪も、そうした相反するものを一身に抱えているのだが、イエスは自ら十字架にかかることで、それを万人が明らかにわが身のことであるとわかるように、明らかに見せてしまった。

よく教会では、イエスの重い軛(くびき)の一部を背負うことで、自分もイエスをいさかかなりともサポートしましょうみたいな言い回しを聞くかもしれない。だが、その言い回しは気休めにすぎないことを、万人は自分自身が最もよくわかっているのではないだろうか。実は自分自身が負うている軛とイエスの負っている軛の重さに変わりはないのではないかと。

 

さて、イエスは天佑神助を祈る詩篇をとなえたが、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」の後で何かが起きたと見るのだろう。十字架上では、終始一人称では語っていないからである。自分と父が一体であるという立場では語っていないからである。だが、脱身して神人合一したことを語る部分はない。

それとも、肉の苦しみはあるが、それであっても何の問題もないということを改めて確認したということも考えられる。

 

『27:45さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。

27:46そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。』

(口語訳新約聖書(1954年版) 【マタイによる福音書】から引用)

 

『19:29そこに、酢いぶどう酒がいっぱい入れてある器がおいてあったので、人々は、このぶどう酒を含ませた海綿をヒソプの茎に結びつけて、イエスの口もとにさし出した。

19:30すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた。』

(上掲書【ヨハネによる福音書】から引用)

 

『23:46そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。

23:47百卒長はこの有様を見て、神をあがめ、「ほんとうに、この人は正しい人であった」と言った。

23:48この光景を見に集まってきた群衆も、これらの出来事を見て、みな胸を打ちながら帰って行った。

23:49すべてイエスを知っていた者や、ガリラヤから従ってきた女たちも、遠い所に立って、これらのことを見ていた。』

(上掲書【ルカによる福音書】から引用)

 

『第22篇

聖歌隊の指揮者によってあけぼののめじかのしらべにあわせてうたわせたダビデの歌

22:1わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。

 

22:2わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。

22:3しかしイスラエルのさんびの上に座しておられるあなたは聖なるおかたです。

22:4われらの先祖たちはあなたに信頼しました。彼らが信頼したので、あなたは彼らを助けられました。

22:5彼らはあなたに呼ばわって救われ、あなたに信頼して恥をうけなかったのです。

22:6しかし、わたしは虫であって、人ではない。人にそしられ、民に侮られる。

22:7すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、くちびるを突き出し、かしらを振り動かして言う、

22:8「彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ。主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ」と。

22:9しかし、あなたはわたしを生れさせ、母のふところにわたしを安らかに守られた方です。

22:10わたしは生れた時から、あなたにゆだねられました。母の胎を出てからこのかた、あなたはわたしの神でいらせられました。

22:11わたしを遠く離れないでください。悩みが近づき、助ける者がないのです。』

(口語訳旧約聖書(1955年版) 【詩篇】から引用)

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