アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

OSHOバグワン-3-荘子としての前世-1

2024-01-23 03:42:41 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-30

◎青春期の垂直の道-30

◎坐忘で窮め、逍遥遊する

 

OSHOバグワンは、自分の前世は荘子だとは言っていないが、ダンテス・ダイジが、OSHOバグワンの前世は荘子だと喝破している。

荘子の生き方は、垂直の道の一つである道教の坐忘で究極に到達した経験を携えながら、意のままにこの世とあの世を逍遥し遊ぶという生き方である。その上で道(タオ)に覚醒した弟子を打ち出す必要性は承知していながらも、あまりその点についても熱心とは言えないところがある。わざわざ冥想コミューンを主宰したにもかかわらず。

荘子に出てくる個々のエピソードは、説明不足のせいか食い足りないし、一部の老子道徳経の文言より神秘的ではないので、あまりスピリチュアルではなく、深遠さも欠けていると思われがちである。

また荘子は哲学だと言われているが、哲学ではなく、道教の坐忘という冥想の達人であって、冥想の記録である。道(タオ)は無数の断片からなるが、その中の少数のエッセンスの断片から出してきたものが荘子である。

そして究極である道(タオ)を生きる人間の姿が逍遥遊である。死の世界を窮めた者のみがそれを知る。

OSHOバグワンの一生は、死の世界を窮めた者として、弟子たちの育成はそこそこに、ロールスロイス96台を並べて見たり、晩年読書三昧にふけっては講演は少々にしたりと、まさに逍遥遊な生き様だったように思う。

 

さて荘子に見られる最終解脱者としてのエヴィデンスは次のようなところである。

 

1.逍遥遊

『大意:

もし天意を体して、六気により世界をコントロールし、無窮に遊ぶ者は、もはや何を頼みとすることがあろうか。

至人は、ニルヴァーナを承知しつつ生きるので己れなく、神人は天意神意を生きるので功(いさおし)なく、聖人はなにもかもないところに生きるので名がない。』

※六気:天地間に存在する六つの気。陰・陽・風・雨・晦(かい)・明。または、寒・暑・燥・湿・風・火。

 

『六気により世界をコントロールし』というところが、超能力活用で、『無窮に遊ぶ』という姿が逍遥遊であって、垂直の道の極み。

(荘子・逍遥遊篇)

 

2.熟眠中に眠らない

熟眠中に夢を見ないのは、ウパニシャッドでもテーマになっていた。

『古の真人は、寝ても夢みず、覚めても憂いなし。

その食するものは美食ではないが、その息はとても深く、真人の息は踵をもってする。

衆人の息はのどをもってする。

屈服する者は、その言はものを吐き出すかのようであり、こだわりが強く強欲な者(嗜欲深き者)はその天機は浅い。』

(荘子 大宗師篇)

 

3.至道の姿

『すると広成子は、以下のようにアドバイスした。

「至道の精、窈窈冥冥たり

至道の極、昏昏黙黙たり

視ること無く 聴くこと無く

神を抱きて以て静ならば、形将(まさ)に自ら正しからんとす」

 

至道の精は、奥深くぼんやりしている

至道の極は、ひっそりとして暗く静かである

見るでもなく、聞くでもなく

神を抱いて、静ならば、その肉体は、自ずから正しく矯正していくものだ。』

(荘子 在宥篇)

 

究極とは、窈窈冥冥にして、昏昏黙黙で言葉では表現できないが、究極と一体になれば、その身は自ずと正しくなるもの。

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人震と地震

2024-01-22 03:42:37 | 時代にFace it

◎小人をして天下を治めしむれば天禄永く絶えん、国家混乱すれば、天災地妖到る

 

日本人には、日本人としての固有の特性がある。それは、外国の文化、文明を取り入れても、包容力に富んだその国民性により、それを上手に取り入れ本来の清よ明けき国民精神に動揺を来さなかったということである。

ところが時の為政者、国民があまりにも外来文化の悪影響を受け、祖国の山河が黙視看過できないほどになった場合、天変地異が忽然として起こるものである。

その腐敗爛熟の程度がやや大きくなければ「人震」が起き、腐敗爛熟が巨大にして深刻であれば、「地震」が起きるものである。

出口王仁三郎によれば、人震の例としては、天草四郎や由比民部之介、大塩平八郎、西郷隆盛を挙げているが、第二次世界大戦の敗戦もその一例であろう。

また彼は地震の例として、元和、寛永、慶安、元禄、宝永、天明、安政、大正(関東大震災)に起った大地震を挙げているが、1944年 昭和東南海地震 M7.9、 1946年昭和南海地震M8.0、1995年阪神淡路大震災M7.3、2011年東日本大震災M9.0もその一例。

 

現下の日本の混乱迷蒙は、L〇〇〇政策による家族の崩壊促進、一生のライフプランを立てられないほどになった五公五民と言われる苛斂誅求による税社会保険料・再生エネルギー賦課金による生活苦、非正規雇用からほとんど這い上がれない蟻地獄雇用実態、加えて外国人移民の野放図な受け入れ政策が典型的である。中国、韓国、北朝鮮、米欧の言いなりの政党、教団、マスコミが、これらを推進バックアップしてきたと言える。

亀山上皇は、中国撃退を祈念し、日蓮も中国撃退を説いた。二度の元寇は撃退されたが、第二次世界大戦では、米軍には一敗地にまみれ、出口王仁三郎をして、外国の手による立替立直しと言わしめた。なお既にEEZに中国ミサイルは着弾済である。

奈良が滅び、京都が衰え、江戸は150年栄えたが、これからは・・・・。

『天変地異(わざわい)を指おりかぞえ

まつ虫の冬の霜先あわれなるかも

 

立替を世人(よびと)のことと勿(な)思いそ

立替するはおのが身魂(みたま)ぞ

 

手も足も動かさずして みろくの代(よ) はや来(こ)よかし と祈る曲神(まがかみ)』

以上三首 出口王仁三郎

 

今日からでも冥想を。

 

出口王仁三郎の随筆月鏡(昭和4年)から引用。

『我が日本神洲の国民は、古来、抱擁性に富んで居た。そして固有の民族性に少しの動揺を来さなかつた事は、世界の驚異とする所である。世界の文化を悉く吸収して、同化し、精錬して更により以上美しきものとして、更に之を世界に頒与する所に、日本人の生命があり、使命があるのである。然し横に世界文化を吸収して之を精錬すればする程、縦に民族性が深めらるべき筈だのに、現代の日本は外来文化の暴風に吹きつけられるほど、固有の民族性の特長を喪ひつつある状態は、恰も根の枯れたる樹木に均しいものである。

日本人は、日本人として決して何物によつても冒されない、天賦固有の文化的精神を持つて居る筈である。それが外来文化の浸蝕に由つて、失はれんとする事は、祖国の山河が黙視するに忍びざる所で無くてはならぬ。斯の如き時に際して、天災地変が忽焉として起り、国民に大なる警告と反省を促した事は、近代に始まつた事で無く、実に建国二千五百年の災変史の、黙示する所の大真理である。近くは元和、寛永、慶安、元禄、宝永、天明、安政、大正に起つた大地震と当時の世態人情との関係を回顧するも、蓋し思ひ半に過ぐるものがあるではないか。

 扨て我国の記録に存するもののみにても、大小一千有余の震災を数へる事が出来る。其中でも最も大地震と称されて居るものが、百二十三回、鎌倉時代の如きは平均五年目毎に大震災があつたのである。覇府時代には大小三十六回の震災があつた。然も我国の発展が、何時も是等の地震に負ふ所が多いのも、不思議な現象である。奈良が滅び京都が衰へ、そして江戸が大に興隆発展した歴史の過程を辿つて見れば、その間の消息が能く能く窺はれる。

全体我国の文化その物は、全く地震から咲き出した花の様にも思はれる。天神天祖、国祖神の我国を見捨て玉はぬ限り、国民の生活が固定し、腐敗堕落の極に達した度毎に、地震の浄火が忽焉と見舞つて来て、一切の汚穢を洗滌するのは、神国の神国たる所以である。古語に曰ふ「小人をして天下を治めしむれば天禄永く絶えん、国家混乱すれば、天災地妖到る」とあるのは自然と人生の一体たる事を語つたものである。人間が堕落して奢侈淫逸に流れた時、自然なる母は、その覚醒を促す為に、諸種の災害を降し玉ふのであつて而も地震は其の極罰である。

我国に地震の多いのも神の寵児なるが故である。自然否天神地祇の恩寵を被る事の多いだけ、それだけにその恩寵に背いた時の懲罰は一層烈しい道理である。若し地震が起らなければ、人震が発りて其の忿怒を漏らすに至る。近くは天草四郎や由比民部之介、大塩平八郎乃至、西郷隆盛の如き皆この人震に属するものである。』

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OSHOバグワン-2-アトランティスの前世

2024-01-21 03:45:41 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-29

◎青春期の垂直の道-29

◎冥想コミューン設立の約束

 

アメンティは古代アトランティスの中央官庁兼最高神殿のこと。アメンティは、政教一致のアトランティスの神の宮であり、その最奥殿にトースを中心とする12人の超人あるいはリーダー達がいた。彼らは組織的宗教を体現していた。そしてもうひとりダンテス・ダイジは13番目の超人としていた。

当時ダンテス・ダイジは、OSHOバグワンと友人であって、OSHOバグワンは1万2千年後の現代への再誕時には冥想コミューンを造る約束をしたという。これは、ダンテス・ダイジの伝承による。

OSHOバグワンが冥想コミューンを作り上げたのは、単なる今生の思いつきからではなく、アトランティス時代の約束を実現したものなのだ。

 

おそらくこの当時のことと思われるが、OSHOバグワンは、グル(師匠)なしで大悟するという恐ろしく困難な道をたどって実際に大悟を成し遂げた。そのことは著作の中で、彼は自分で自慢している。一人で悟る、独覚というのは、それほどまでに稀有であって大変なことなのだ。

またアトランティスのことについてまともに言及しているのは、プラトンのティマイオスかエドガー・ケイシーのリーディングくらいのものである。

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OSHOバグワン-1-三つの前世からコミューンへ

2024-01-20 03:05:24 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-28

◎青春期の垂直の道-28

◎OSHOバグワンの手がかり

 

OSHOバグワンには、著作はないが、講演録ばかりである。究極について演繹的、体系的に述べたものは、厳密に言えばない。だが、その言及範囲は広く、世のほとんどの宗教に及び、例外的に西洋錬金術についてはあまり言及がなかったのが特徴とされるほど。

だから初めてOSHOバグワンの著作にとりかかろうとする人は、その富士山のすそ野の如く広大な姿に茫然とすることがあるのではないだろうか。そこでOSHOバグワンの前世から今生という流れでOSHOバグワンを眺めてみたい。

なおOSHOバグワンは、最晩年に禅宣言という本を出して禅を推したが、彼は決して禅者でなく、筋金入りのクンダリーニ・ヨーギである。よって垂直の道の成道者として分類される。

 

前提知識なしでOSHOバグワンの講話を読めば、何か素晴らしいことがこの人にはあるようだが、時に冗長だが、中にはドキリとする発言もあるという感じは受けるが、殊更にオレゴンやインドのプーナに行って、オレンジの服を着て弟子入りしようなどとは思わないのではないかと思う。

それほど弟子ファーストではない、気まぐれな印象をそこはかとなく受けるのだ。

OSHOバグワン存命当時は、フリーセックスと薬物フリーの環境を求めてコミューンに行った人もいるのだろうが、今はどうだろうか。

 

さて、彼の語る範囲は、道教内丹からスーフィー、ウパニシャッド、キリスト教、チベット密教、クンダリーニ・ヨーガ、禅、ヴィパッサナーと広く、彼の意図通り全容を理解できる人がそう多いとも思えない。

また彼のスピリチュアル理論の白眉は、七つの身体論。七つの身体論の根幹はダンテス・ダイジによってその冥想方法が明らかにされたが、ディテールは明らかにされていない。ところが七つの身体論の枝葉は、OSHOバグワンが出なければ明らかにならなかったと言える。

7つの身体論は、ダンテス・ダイジとOSHOバグワン併せて、ようやく概要を理解しえるようになったと言えるのではないだろうか。

全貌を捉えにくいOSHOバグワンが、なぜ今生において、七つの身体論を軸にしつつ、冥想コミューン建設に邁進したかを知るには、その前世と今生を見ていく必要がある。

特に3つの前世と今生に注目することでより理解しやすくなるように思う。

彼は、アトランティスでの前世のことは語らっていない。だが、アトランティスでの約束どおり、冥想コミューンを造り、1970年代~90年代において、世界に大きなインパクトを与えた。

また彼は荘子としての前世のことは語っていないが、その生き様は荘子そのものだ。

そして、彼はチベット密教僧としての前世は語っている。

そして忘れてはならないのは、OSHOバグワンの父。彼は、毎日4,5時間坐れていた人物であって相当な人物だった。

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空海-6―空海の病気治療と人間観

2024-01-19 03:50:25 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-19

◎地水火風の不調と悪霊のたたりと悪いカルマ

 

空海の秘密曼荼羅十住心論序に病気治療観が書いてある。

曰く、

病気の原因は、地水火風の不調と悪霊のたたりと悪いカルマにしぼられる。

そこで身体の病気を治す方法に8あり。温泉、散薬、丸薬、酒、針、灸、まじないといましめ(呪禁)。さらに薬ではたたりや悪い報いを退けることはできないが、呪法は、一切の病を治すことができるとまで言っている。

一方心の病は五蔵(修多羅(しゅたら)、毗奈耶(びなや)、阿毗達磨(あびたつま)、般若、総持)で治すと言う。この五つは、経と律と論と般若(知恵)と陀羅尼(マントラ)などの教えである。

要するにオカルティックかつホリスティックな人間観にもとづく治療であり、このまま現代で治療すれば、医師法違反で捕まってしまうが。

 

この人間観の特徴は、

1.人間は肉体だけでなく微細身を有し、肉体の健康は微細身レベルからも影響を受けている。

2.人間は今生だけでなく、前世のカルマも引きずりながら生きており、今生で善行を積んでばかりいる人がひどいめに遭うこともままある。(ヨブ記をヨブの前生があったと見ればそういうことも出て来よう)

3.人間は、肉体と微細身複合体であり、肉体に対しては微細身が大きく影響を与えるのだが、微細身へのコントロール手法として、まじないといましめ(呪禁)を挙げる。

針、灸は、経絡刺激なので対エーテル体療法と見られる。

4.心の病は、経と律と論と般若(知恵)と陀羅尼(マントラ)と、潜在意識も含めた知情意のコントロールで治す。

 

このような空海の人間観は、今の人間には肉体しかないという現代医学からは馬鹿にされるが、空海は宮中祭祀には、今も隠然たる威儀を有しており、後七日御修法はその一例である。

翻って、現代科学の人間観は、ノーマルでもトータルでもなく偏狭であると言える。

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空海-5-国家鎮護―後七日御修法

2024-01-18 03:41:56 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-18

◎空海と日本人の安閑

 

後七日御修法とは、もともと弘法大師空海が開始せられた真言宗による国家鎮護の御修法である。

宮中にては、正月1日~7日に神事をとり行うのに対して(先七日)、正月8日~14日の後七日に行われる仏事すなわち国家鎮護の御修法を後七日御修法と呼ぶ。

空海は、天長5年、後七日御修法において、顕教スタイルの金光明最勝王経が講義されるのを聞き、このままではいけない、本格的な祈祷もなければならないと発心したのか、翌年に上奏し、承和元年(834年)から正月8日~14日、宮中中務省で、密教の修法をとり行った。

翌承和二年、勘解由という役所を改めて真言院とし、後七日御修法を永代恒例の厳儀とし、長安青龍寺恵果より招来した法具で荘厳した壇で、空海自らが大阿闍梨を務めこの修法を行った。

以後顕密双方の法式が執り行われることになった。空海はこの年高野山にて没す。

しかしながら、南北朝の戦乱で宮中真言院が廃絶、修法も中絶。

1432年普光院将軍(足利六代将軍義教)が真言院を再興し、後七日御修法も再開。

ところがまたも室町時代の戦乱で、後花園天皇の長禄年間(1457-60)に仏事廃止となったのと同時に後七日御修法も廃止となった。

江戸時代になり、東寺長者義演大僧正の奏請で、後水尾天皇が後七日御修法の再興を勅許。1623年から宮中で恒例として行われた。

更に明治4年9月太政官令にてこれが廃止せられた。

明治16年年初より、後七日御修法が再開、以後大東亜戦争末期も含め、後七日御修法は連綿として続けられている。

(参考:密教の神秘思想/山崎泰廣/大阪書籍)

 

宮中の国家鎮護の修法そのものは、このように、何千年も継続していたわけではない。ただし、修法中断の期間に国家鎮護されていなかったわけではない。

その中断期間においては、真言宗周辺の名も知れぬ篤信者が、国家鎮護の重心を担っていたのだろうと思う。これこそ日本の奇蹟ではあるが、誰もそんなところは騒ぎ立てず当たり前だと思っているようなところが日本らしい。この辺が日本人のおひとよしを育んだのだろうか。

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カルトの時代が過ぎた今

2024-01-17 16:37:40 | 時代のおわりneo

◎自由求道者の群れの60年

(2013-06-14)

 

1960年代、アメリカの大勢のヒッピーが世界を求道のために遊行し、ビートルズが、インドのリシケシまで行ってマハリシ・マヘッシ・ヨギに会って、超越冥想TMの指導を受けたりした。ヒッピーたちは、当時日本の禅刹にも多数押し寄せたという。

1960年代に20代の若者だった者はすでに70代に突入した者も出始め、この老人たちが奇特な求道、冥想の雰囲気を伝え得たか、あるいはちゃんとした覚者を多数輩出しえたかといえば、決してそうではないところに、日本の現在の問題と将来の課題がある。

本山博のいうように人は物を沢山持てば、自意識が確立しやすいものだ。第二次世界大戦でアメリカは自国をほとんど戦場とすることなく、戦勝国側となって、戦後復興経済の主力となったので、1950年代は物質的にとても豊かな生活を国民の大多数が享受できたのではないだろうか。日本では食料配給の時代だったが、1950年代のアメリカ映画にはアメリカの中流家庭がよく出て来るが、テレビ、大型冷蔵庫、洗濯機など、普通に持っていたものだ。

そうして自意識が確立に向かうと、人は求道することに向かうもので、若者のかなりの部分が共産主義ユートピア教という偽宗教(イデオロギー)にだまされ、1991年のソ連崩壊まで、その幻想は破られることはなかった。

それ以外のやや少数者がインド、日本などに回り、クリヤ・ヨーガや禅などに向かうこととなった。そうした内向的若者達のニーズにマッチして出てきたのがOSHOバグワンであった。

OSHOバグワンの書籍は、70年代の日本でも当時相当読まれた。西荻窪のプラサード書店なんかは、バグワン・フリークのメッカの一つだったように記憶している。

けれどもOSHOバグワンのムーブメントは、アメリカ官憲に追われたことで、尻すぼみに向かった。1986年には、ニュー・エイジのリーダーの一人クリシュナムルティが亡くなり、1990年代初めまでには、ダンテス・ダイジ、OSHOバグワンという大物覚者が逝去し、大物覚者たるリーダー不在の20年に入った。

この20年はカルトが猖獗を窮めた。もちろん1990年以前にも1978年の人民寺院などカルト事件はあったのだが、1993年にブランチ・ディビディアンの事件、1995年のオウム真理教事件をもってカルトが猛威を振るった時代のピークとなった。

カルトはこれ以後、コミューンというスタイルをとらず、以後カルトの様々な勧誘手口が、ネットワークビジネス(ねずみ講、マルチ商法)や詐欺的金儲けに応用されて世の中を混乱させることになって、現在に至る。

この二十数年、まじめな求道者にとっては、グルの絶対数が不足しているということは大きな問題だった。いやむしろまじめな求道者の絶対数がさほど多くはなかったという状況だったのかもしれない。

3.11東日本大震災、福島原発事故を経て、ようやく日本人はこの異形の文明の正体に気がつき始めている。人は本当の自分に出会わなければ、何もまともなことなどできやしないのだ。

メソッドとモチベーションそしてグルとの出会いがなければ、悟りに至ることは難しい。

しかし杜子春ではないけれど、本当に願えばグルはやって来ようというものだ。

 

※2024年1月17日追記

ソ連崩壊後、表面の美辞麗句とは裏腹に左翼的考え方を持った人々が政界やマスコミを実質的に支配し、世界中ができそこないの共産主義的ユートピアみたいになっているが、これを醜悪と感じている人は実は少なくないのではないか。

極まれば反転するが、極まり方も反転の仕方も問題である。

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空海-4-空海の仕掛け

2024-01-17 03:35:25 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-17

◎同行二人

 

もとより聖なる部分、本当のところは、言葉では語り得ず、動画でも、静止画でも描き得ない。だからといって伝達の労を取らなければ、まあ何も伝わることはない。聖なるバイブレーションは残るだろうが、それを感得できる程の感受性を持つ人は極く限られる。

 

空海の『法はもとより言なけれども、言にあらざれば顕はれず。真如は色を絶すれども、色を持ってすればすなわち悟る』(御請来目録)とは、このことを言っている。だから真言の寺では、派手な天蓋や絵や音曲や香りを用いて五感を総動員させて、法・真如についての直観を与えようとする。これは密教に対する前提知識のない大衆に密教を広めようとする仕掛け。

 

四国八十八箇所霊場を巡回するお遍路さん。

背中には、白衣に南無大師遍照金剛の黒いゼッケン。そして同行二人の遍路傘。これは、単純に歩く広告塔ということではない。肉体を持たぬ精妙なボディの空海が「呼べば」同行してくれることを約束してくれているということ。

密教系、クンダリーニ・ヨーガの修行記や伝法のいきさつを読めば、どうみても肉体を持っていないと思われるグル・師匠が、肝心のところで重要な指導をしてくれる場面に出くわすことがある。このクリティカルな指導を空海がしてくれると保証するのが同行二人なのだと思う。

長く様々なトラブルの待つ修行の道程を、最後まで面倒を見ると空海がギャランティーしてくれるのが「同行二人」なのである。これは真剣に取り組んでいる修行者への空海の仕掛け。

高野山奥の院で、空海はまだ生きているというささやきを聞いたなら、それを単純に非常識なことと退けるわけにはいかない背景がここにある。

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空海-3-不空三蔵

2024-01-16 03:28:28 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-16

◎政権との結びつき

 

空海に授法したことで、恵果のことは日本でも知られているが、恵果の師である不空三蔵はいま一つ知名度が低い。

 

不空三蔵の生い立ちは、諸説あるが、父は北インドのバラモン系の人物で、母はサマルカンド付近にいた康国人と考えられている。705年、不空が生れたが、幼時にして、両親を失い、母方の叔父に育てられた。初っぱなから不条理の巷に投げ込まれる人生を、最初から選んできたわけである。

10歳で甘粛省の武威に移り、13歳には早くも長安に入った。

幼年より出家の志を持っていた不空は、719年長安にやってきたばかりの金剛智三蔵に14歳で弟子入りし、翌年には出家した。

 

数年後、師の金剛智三蔵から金剛頂経系の密教を伝授された。

741年金剛智三蔵が入寂した。これを契機に不空は、インド、スリランカ方面に渡って、密教経典の収集を行い、普賢阿闍梨から当時のテンポラリーな密教を受法することができ、746年長安に戻った。

ここに人が亡くなると地を巡るの法則が見られる。

 

749年一旦都を離れ、広東に4年住むが、753年安禄山と並ぶ巨大軍閥であった河西節度使哥舒翰の後援を得ることに成功し、金剛頂経系の経典翻訳や布教を長安で行なうことができるようになった。

755年から763年の安禄山の乱の最中にも長安に踏みとどまり、大興善寺で護国の修法を続けた。

不空は774年、大興善寺で入寂。

 

不空は皇帝守護、国家安穏の修法を、何回も宮中内の道場にて行なったが、皇帝の支援を得るためにはこうした現世利益を見せながら、布教や修行のできる体制を維持していく方針だったと見える。

日本でも世俗権力を結びつきながら密教は護持されていくが、そもそも大衆宗教になりにくいクンダリーニ・ヨーガ系の密教が国家支配層の中で命脈を維持していったのは、中国では一旦邪宗のレッテルを貼られたら、徹底的に駆逐されがちなので、それを他山の石として、こうした方針をとったように思う。

(参考:中国密教/春秋社)

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日本のソフト・ランディングと金

2024-01-15 20:34:09 | 時代のおわりneo

◎OSHOバグワン来日せず

(2012-02-22)

 

日本は良くなり過ぎたという自覚なく、滅亡を待って居るのかもしれないとは、禅僧嶋野栄道氏の見方であった。

 

OSHOバグワンは、その日本の物質的豊かさと日本人の精神の卑しさを毛嫌いして、ついに日本に来日することはなかった。このねたみ、そねみに満ち満ちた日本に。

日本の物質的豊かさは、ねたみ、そねみを増長させることはあっても、人間の本源的豊かさに向かわせることはなかったというべきだろう。東北関東大震災は、残された我々にとっては、まさにウォーニング・ランプ。

気がつけば、公務員の平均所得は民間人の倍になり、貧窮にあえぐ民間人が消費税や社会保険料引き上げに黙って耐えて、豊かな公務員の生活を支えている。これぞ役人栄えて国家滅びんとするの図である。

かつてさる覚者が、日本人は自分の給料・所得を半分にできるかどうかが、日本がソフト・ランディングできるかどうかの試金石となると言ったが、本当に試金石になろうとしている。民間人の所得は年々減少しているが、役人の所得は減っておらず、このままでは民間の3倍になる日も近いだろう。日本の将来は、まずは役人がその豊かな生活を捨てられるかどうかにかかっているということなのだろうと思う。

このまま進めば、出口王仁三郎のいう「日本人は2%しか残らない」という未来が待っているのだろう。しかし、自分の懐を痛めずに生き延びようという手合いばかりでは、最悪のシナリオは近いかもしれない。(ノストラダムスが1999年と予見していたカタストロフィーは13年目の延長に入っているし・・・・)

悟りを求める修行の場で、飽食してたっぷり寝て快適な住環境で娯楽も適当にあってというような場所はない。

日本というもともと豊かな国土を、何人の悟った人間を出せるかという実験的修行場であると考えれば、コンビニやスーパーで毎日大量の食品を捨て、ほとんどの人が毎年別のモードの衣服を買い替え、24時間快適な温度の住まいに住む生活までは必要ないのではないか。

日本を冥想修行の実験場と見れば、神は日本人は今の半分の収入で充分、生活水準も今の半分で充分とみているのではないか。

OSHOバグワンをはじめ、アセンションを説く人々は、もらう金が多かろうが少なかろうが問題にはしない。覚者であれば決してそんなことは問題にはしないものだ。だからこんな視点での未来予測はほとんど出て来ない。「金でつぶれる世の中」とは日月神示でもいうらしいが、それは何も石屋の仕組みの国際金融マフィアだけのせいではない。冥想修行に必要である以上の生活と収入を求めて飽かない巷のほとんどの日本人のせいでもあるのだ。

財産の半分を置いてけ、さもないと・・・・・と迫られていることに気が付いていない日本人たち。

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空海-2-空海と神道

2024-01-15 03:20:12 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-15

◎別の高級神霊群との共存

 

神道家友清歓真(ともきよよしさね)によれば、空海は、弘仁二年二月一日大中臣智治麿から神道灌頂を受けた。

 

また空海の御遺告の中に、丹生津姫命という高野山周辺の土地神から高野山の寄進を受けた話がわざわざ出てくる。本来は、神道を外道として退けるのが密教の第一人者の採るべき判断だと思われるが、高野山で真実の法を守る、そして空海自身も永遠に高野山に帰るという自らの方針に沿って、神道をないがしろにせず、共存する姿勢が見える。

 

つまり空海の本音としては、密教と並んで、神道も、独自の高級神霊群を持つ、一つの確固としたクンダリーニ・ヨーガ体系として認めていたのではないかと考えられるのである。

 

また空海伝とされる神道の著述は、天地麗気17巻、両宮形文深釈二巻、中臣祓秘訓解一巻、十種神宝図一巻、丹生大神儀軌一巻他がある由。これらは、仏教側の定説としては、鎌倉期に作られた両部神道の著作とされているが、空海の神道のとのかかわりは、このように意外と深いものが感ぜられ、これらの著作を一概に空海作でないと断ずることにはやや疑問を持つ余地があるように感じられる。

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空海-1-即身成仏義の偈

2024-01-14 03:12:10 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-14

◎帝釈天の網のように世界をフルカバー

 

空海の即身成仏義の偈。

 

帝釈天の網のように世界をフルカバーする立場は、第六身体アートマンと我の合体であり、これが入我我入。帝釈天の網の結び目の宝珠に世界が映し出されるかもしれぬが、それを見ている自分が残っている限りは、即身成仏にはなるまい。

 

大意:

世界の構成元素の六大(地,水,火,風,空,識)は、融通無碍にして相互に結びつき感応している。

四つの曼荼羅に照応する世界は相互にバラバラではなく離れることがない

身口意の坐相・マントラ・心の三密で加持(仏の大悲と人の心を相互に感応させることを繰り返す)していけば、その効果は直ちに現れる。

帝釈天の網のように世界をフルカバーしたのを即身成仏と名づける。

 

法のままにあらゆる智恵を得ているが

心の作用、心の主体は、あまりにも多すぎる。

五智のすべてと仏智を備えているとは、

欠けることのない智恵であるので、あるがままにさとる智恵である。

 

書き下し

『六大無碍にして常に瑜伽なり  (体)

 四種曼荼各離れず       (相)

三密加持すれば速疾に顕はる  (用)

重重帝網なるを即身と名づく  (無碍)

 法然に薩般若を具足して

 心数・心王、刹塵に過ぎたり

 各五智・無際智を具す

 円鏡力の故に実覚智なり   (成仏)』

 

※四曼荼羅:

1.諸尊の形像を描いた大曼荼羅、

2.諸尊の持物や印契を描いた三昧耶曼荼羅、3.諸尊の真言・種子などを示した法曼荼羅、4.諸尊の威儀・動作を表した羯磨曼荼羅。

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空海-5-この身このままで仏となる

2024-01-13 03:26:47 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-27

◎青春期の垂直の道-27

◎秘宝忽ちに陳じて、万徳すなわち証す

 

この身このままで仏となったのは、唐での大悟の際だろうと思う。

 

空海は、大日如来と合体などという露骨な表現はとらないで、大日経悉地出現品を引いて

「この身このままで、思うまま行動できる不思議な力を得て、大いなる空の境地において自由に振る舞いしかも聖なる身体(身秘密)を完成することができる」という言い方や、龍猛菩薩の菩提心論を引いて「真言密教の教えと行法においてのみ、この身このままで仏となれる」というような言い方で、人間が人間のままで仏に成れるようなイメージ誘導をしており、ややはぐらかした表現をとっている。

クンダリーニ覚醒プロセスについては、はっきりとは書かないのが、クンダリーニ・ヨーガの道の伝統なので、このようなはぐらかした言い方であることには、特に問題はないと思う。

またその境地の高みについては、十住心論で10段階の世界観を提示している。その十番目が、第十住心・秘密荘厳住心である。これには、顕薬塵を払い、真言、庫を開く。秘宝忽ちに陳じて、万徳すなわち証すとある。

つまり真言が蔵を開くと秘宝が展開し、数知れない徳がはっきりすると説明している。ところが、ここでその秘宝や徳の中身を具体的、羅列的に説明しないところが、エチケットであり、思わせぶりなところであるが、ここはそれを承知している者の作法と見るべきだろう。

更には、この時代にあって人間を超えるという言い方をしても理解できる自我意識の発達はなかったため、こうしたおとなしい表現になったのだろう。

 

そして晩年の著書「秘蔵宝鑰」(ひぞうほうやく)の序には、

『三界の狂人は狂せることを知らず

四生の盲者は盲なることを識らず

生れ生れ生れ生れて生(しょう)の始めに暗く、

死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し。

 

あらゆる世界の狂っている人は、自分が狂っていることを知らない。

生きとし生けるもので、眼の見えないものは、自分が眼が見えないことを知らない。

人は何度も生まれるが、生の初めに暗い。

人も何度も死ぬが死の終わりに冥い。

』とある。

まず生の始めに暗いとは、単純に出生後に前世の記憶がすべて無くなるとか、アストラル的な認識能力が無くなってしまうことを暗いと言うとは思えない。

チベット仏教の死のプロセスで言えば、原初の光という宇宙意識(神、仏、大日如来、タオ)の光明を見て、さらに中有から転生の行く先を選んでいくステージがあるが、こういった宇宙意識を知覚・体験していた思い出・感触をすべてなくした無知・デフォルトの状態で生まれることを暗いというのだろう。

次に垂直の道の冥想でもって何度か肉体死を経験した者だけが、死の世界の秘密を極め、「死に死に死に死んで」、死の終わりに冥(くら)い神秘なる死の世界にまた帰っていくという感慨がここにあるように思う。生の世界は死の世界のごく一部なのだ。従って生の始めには暗いだけだったのが、死の終わりにはその世界の秘密を知った結果、冥いと表現が変わるように思う。

 

つまり垂直の道系冥想の基本形である、死の世界を極めることにより、生の世界を知るという行き方をここに見ることができると思う。

また空海は、広義のクンダリーニ・ヨーギ(密教者)らしく、その超能力を用いた伝説が無数にある。そして、このようにその著書から、死の世界を極めることを前提にした発想が推測できることで、空海こそ手練のクンダリーニ・ヨーギの一人であると考えられる。

 

さて空海御遺告に、空海が遣唐船に乗る時点では、大日経の中にわからない点が多々あり、問える人もなかったと率直に語っている。

また長安の恵果の俗弟子の呉殷の記録では、「日本の沙門(空海)がやってきたが、この人は並の者ではなく、そのレベルは十地の下から3段目の発光地にある菩薩である。」とあり、誰がこれを語ったのかという問題はあるものの、恵果または周辺の眼力のある人物が、空海は、 菩薩の五十二段階レベルの中で、上から10番目の発光地にあると断定していたということである。

これは、空海の弟子にそこまで眼力のある人物は少なかっただろうから、空海がその死を前に、自分の入唐時のレベルを弟子達に対して殊更に語っているシチュエーションである。

さらには、空海が恵果のもとを去る時までには、「(仏の位を継ぐ密教の秘法である)五智灌頂を受け、胎蔵金剛両部の秘密法を学び云々」、とあるので、大日如来との合体を果たした可能性があるように思う。

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小寒の片足立ちバランス改善と歩行改善、転倒防止

2024-01-12 20:19:54 | 天人五衰、ロコモ、フレイル

◎身体バランス練習、シニア向け

リハビリの道30年のDr. Doug Weissの

How to WALK to prevent Falls

(英語ですが、字幕は日本語字幕に変換可能です(設定⇒字幕⇒自動翻訳⇒日本語を選択))

を見て、歩行改善について以下考えさせられました。

 

彼の説明では、歩行とは、

  1. 背筋を伸ばし、前かがみにならず正しい姿勢で行うもの。
  2. 両手を振りながら、手と足は左右交互に出るもの。
  3. かかとが先に着地し、つま先が後に着地が正常。つま先が先に着くと転倒しやすい。つまづくという表現があるとおり。
  4. 足は、並行にそろえて前に進むのが正常。バランスが崩れてくると、転倒が不安なので、左右両足の角度が開いてきて、足と足の横の距離も広がる。こうなるとますます転倒しやすくなる。
  5. またバランスが崩れてくると、前かがみになりやすいが、ますます転倒しやすくなる。
  6. 転倒は身体の重心移動がうまくいかなくなって起きる。よって転倒防止は重心移動の練習である。筋トレはあまり重要ではない。(と言いながら、バランス改善の10エクササイズには、椅子スクワットなど筋トレが2種入っている。)
  7. 歩行時のバランスがとれないというのは、バランスを取る機能が失われたということ。幼児は、はいはい、つかまり立ち、二足歩行と進んで歩行時のバランスを取る機能を獲得した。老年になってその機能は失われつつあるが、幼児のようにその機能を練習によって獲得することができる。
  8. 歩行練習するとバランスが悪いから転倒するかもしれないということでおっくうになり歩行練習しないと、ますますバランスは悪くなる。杖や歩行器の使用は、常時使用するのは歩行機能回復に悪いという意見もあるが、バランス改善練習時には、杖や歩行器を使うことで歩行距離が延び、関連筋肉も強化されバランスも改善するのだからどんどん使用するべきである。

 

感想としては、椅子スクワットと足首上げで最低限の筋トレはまず必要。その次にバランス系エクササイズ。バランス系エクササイズは、脳に来るので慣れるまで、転倒しないように1歩1歩気をつけてやり続けるしかないのでしょう。

きくち体操で、空中にボールを投げて片手でつかむ練習があるが、重心移動ではない。

なおProprioceptiveという言葉は、空間認知という訳が適当だと思います。

また『バランス改善の10エクササイズ』は、合間の休憩時間も入れると30分くらいかかり、1日2回は結構大変です。

Good day.

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空海-4-うつ病

2024-01-12 03:08:27 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-26

◎青春期の垂直の道-26

◎出家前の厭世観

 

空海は三教指帰で、自分の出家前の気分を説明している。

『こうして私は世俗の栄華を一念一念に厭うようになり、山林にたちこめるもやを朝夕に慕うようになった。

軽くてあたたかい衣服を着、肥えた馬にまたがり、流れる水のように速い車に乗る暮しを見ては、稲妻や幻のような無常のありさまを歎く心がたちまちに起こり、醜い者や貧しい人を見ては、前世の業の報いを悲しむ心がやまなかった。

目に触れるものはみな私に出家をすすめた。吹く風をつなぎ止めることができないように、だれがこの出家の志を止めることができようか』

(弘法大師空海全集第六巻/筑摩書房P6から引用)

 

空海も無常で厭世な気分に陥った。うつ病になると厭世的な人生観になる。うつ病には6人に一人が罹る時代(うつ病の生涯有病率は13~17%ともいわれる)

空海がうつ病だったとは思わないし、逆にうつ病の人がほとんど大悟したり神人合一したりするわけでもない。

一方で、およそ悟る者は、あらゆる実感を経た者であるとされる。あらゆる体験をし尽くし、あらゆる実感をほとんど終えて、そこにすべてが空しいと感じる気分が起こる。釈迦も一休も道元も。仏教といえば厭世。

うつ病が日本でこれだけ蔓延しているのを見ると、現代人のかなりの割合が輪廻転生の最後のサイクルに近い人が転生してきているという巷間の説にも根拠がないわけでもないように思う。

冥想をすればうつ病が治癒するというものではないが、それでも坐るのが求道者。

 

参考:厚労省HPの「地域におけるうつ対策検討会報告書」に掲載されている「うつ対策推進方策マニュアル  -都道府県・市町村職員のために-」http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/01/s0126-5b2.html

から以下引用

『うつ病を疑うサイン-自分が気づく変化

1.悲しい、憂うつな気分、沈んだ気分

2.何事にも興味がわかず、楽しくない

3.疲れやすく、元気がない(だるい)

4.気力、意欲、集中力の低下を自覚する(おっくう、何もする気がしない)

5.寝つきが悪くて、朝早く目がさめる

6.食欲がなくなる

7.人に会いたくなくなる

8.夕方より朝方の方が気分、体調が悪い

9.心配事が頭から離れず、考えが堂々めぐりする

10.失敗や悲しみ、失望から立ち直れない

11.自分を責め、自分は価値がないと感じる など 』

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