◎人が冥想に真剣に取り組むモチベーションあるいは分水嶺
人は欲望が充足・実現すれば満足するが、同時にむなしさ、虚無を感じるものだ。
一般に人はあらゆるレベルで多数の欲望を抱えており、手あたり次第あるいは順序にそれを実現しようとするのだが、次々に人はそれをクリアしては喜びを感じ、同時に願望実現したことでの倦怠感をも都度感じるものだ。
人が冥想に真剣に取り組むモチベーションあるいは分水嶺は、実はその虚無感、倦怠感にある。
冥想には、二つの方向性しかない。
一つは各人の最もふさわしい欲望を生きるということ。もう一つは、「何も無い」ということを逃げずに生きるということ。
個人の最も相応しい欲望を生きるとは、欲望実現のことだが、その際の願望実現の虚無にまじまじと向き合って初めて、「何も無い」ということを逃げずに生きるということに本気で進んで行ける。
人は、その欲望の大小を問わず、実現したとたんに、喜びと満足感と同時に虚無を感じることを何千回、何万回繰り返してきたこともほのかに感じているのではないか。
ところが、現代は、願望達成時の喜びと満足感と同時に虚無が出た瞬間、別の欲望に引き込む罠がとても発達してしまった。
具体的には、買い物依存、ブランド依存、ネットポルノ依存、モバゲー依存、ギャンブル依存、アルコール依存、薬物依存など。
これらは依存症につながるものだが、そういう願望でなく健全な願望であっても、人生経験を積んで行けば、願望実現への努力が始まる段階で願望実現後の虚無やら倦怠感まで予感してしまうものではなかろうか。そういうのが人間の成熟であって、それを積むと人間の卒業、輪廻転生の終わりが近いということだと思う。
願望実現時にちらりと兆す虚無感、倦怠感は、さっとやり過ごされてしまうのかもしれないが、実はそれがメリットのない冥想、効果を求めない冥想の入口である。
(芭蕉)