建中4年4月
永平宣武河陽等軍節度都統檢校司徒平章事李勉が淮西招討使となり、儔と哥舒曜、荊南張伯儀、山東賈耽、江西嗣曹王が副となりました。
哥舒曜軍は穎橋で潰乱し襄城に退きました。希烈將李光輝が襄城を攻めました。
建中4年8月
希烈は大軍で哥舒曜を襄城に攻めました。
希烈將曹季昌が隨州をもって降りましたが、將康叔夜が殺して復帰しました。
建中4年9月
李勉將唐漢臣、劉德信が扈澗で大敗し東都が危険になりました。德宗皇帝の指示の誤りです。
舒王謨を荊襄江西沔鄂節度諸軍行營兵馬都元帥とし希烈を討つ総大将となりました。
建中4年10月
涇原姚令言に東都支援を命じましたが京師で反しました。
希烈軍は襄城を陥し、食が尽きた哥舒曜は東都へ奔りました。
建中4年11月
淮南陳少游、浙江韓滉は自衛し貢納を送らなくなりましたが、江西曹王皋だけが輸送しています。
建中4年12月
希烈は汴、鄭二州を陥しました。永平節度李勉は宋州に奔ります。
滑州刺史李澄は城を以って希烈に降りました。
希烈は襄邑を陥し、劉洽將高翼は敗死しました。さらに寧陵を攻めます。
淮南陳少游は希烈に通じました。
希烈の勢力は絶頂期となり東都を狙います。
興元元年正月
追いつめられた德宗皇帝は大赦を発し、朱泚・朱滔以外の反者の既得権を認め歸順を求めます。魏博田悅・成徳王武俊・淄青李納はそれに応じましたが、絶頂期にある李希烈は拒否しました。
宣武劉洽が汴滑宋毫都統副使となり李勉に代わって指揮をとることになりました。
希烈は將楊峰を淮南に派遣して壽州を帰服させようとしましたが、刺史張建封は峰を斬り、希烈に対抗しました。
希烈は將杜少誠を淮南節度使とし、壽州を攻めましたが建封に撃退され、ついに南寇して蘄、黄州を取ろうとしましたが、曹王皋將蘄州刺史伊慎に永安戍で大破され、少誠は敗走しました。
希烈將董侍が鄂州を攻撃しましたが、刺史李兼に撃退されました。兼は鄂岳沔都團練使となりました。
希烈の淮南方面への侵攻は、曹王皋によりすべて阻止されてしまいました。
興元元年2月
希烈は自ら五萬で寧陵を囲みました。濮州刺史劉昌が死守しています。
その後韓滉將王棲曜が来援し強弩を以って脅かしたため、希烈は撤退しました。
希烈に降った滑州刺史李澄は密かに帰国を求め、德宗は澄を汴滑節度使としましたが、澄は希烈を懼れて両端を持しています。
興元元年3月
宣武劉洽が同平章事權知汴滑宋毫都統兵馬事となりました。
永平宣武河陽等軍節度都統檢校司徒平章事李勉が淮西招討使となり、儔と哥舒曜、荊南張伯儀、山東賈耽、江西嗣曹王が副となりました。
哥舒曜軍は穎橋で潰乱し襄城に退きました。希烈將李光輝が襄城を攻めました。
建中4年8月
希烈は大軍で哥舒曜を襄城に攻めました。
希烈將曹季昌が隨州をもって降りましたが、將康叔夜が殺して復帰しました。
建中4年9月
李勉將唐漢臣、劉德信が扈澗で大敗し東都が危険になりました。德宗皇帝の指示の誤りです。
舒王謨を荊襄江西沔鄂節度諸軍行營兵馬都元帥とし希烈を討つ総大将となりました。
建中4年10月
涇原姚令言に東都支援を命じましたが京師で反しました。
希烈軍は襄城を陥し、食が尽きた哥舒曜は東都へ奔りました。
建中4年11月
淮南陳少游、浙江韓滉は自衛し貢納を送らなくなりましたが、江西曹王皋だけが輸送しています。
建中4年12月
希烈は汴、鄭二州を陥しました。永平節度李勉は宋州に奔ります。
滑州刺史李澄は城を以って希烈に降りました。
希烈は襄邑を陥し、劉洽將高翼は敗死しました。さらに寧陵を攻めます。
淮南陳少游は希烈に通じました。
希烈の勢力は絶頂期となり東都を狙います。
興元元年正月
追いつめられた德宗皇帝は大赦を発し、朱泚・朱滔以外の反者の既得権を認め歸順を求めます。魏博田悅・成徳王武俊・淄青李納はそれに応じましたが、絶頂期にある李希烈は拒否しました。
宣武劉洽が汴滑宋毫都統副使となり李勉に代わって指揮をとることになりました。
希烈は將楊峰を淮南に派遣して壽州を帰服させようとしましたが、刺史張建封は峰を斬り、希烈に対抗しました。
希烈は將杜少誠を淮南節度使とし、壽州を攻めましたが建封に撃退され、ついに南寇して蘄、黄州を取ろうとしましたが、曹王皋將蘄州刺史伊慎に永安戍で大破され、少誠は敗走しました。
希烈將董侍が鄂州を攻撃しましたが、刺史李兼に撃退されました。兼は鄂岳沔都團練使となりました。
希烈の淮南方面への侵攻は、曹王皋によりすべて阻止されてしまいました。
興元元年2月
希烈は自ら五萬で寧陵を囲みました。濮州刺史劉昌が死守しています。
その後韓滉將王棲曜が来援し強弩を以って脅かしたため、希烈は撤退しました。
希烈に降った滑州刺史李澄は密かに帰国を求め、德宗は澄を汴滑節度使としましたが、澄は希烈を懼れて両端を持しています。
興元元年3月
宣武劉洽が同平章事權知汴滑宋毫都統兵馬事となりました。