懿宗は無能であり我が儘で、妻の郭妃の言いなりで、宦官や腐敗した宰相達に政治を任せて仏教や遊興にふけりました。仇甫、龐勗の乱や南詔の侵攻がありましたが、宣宗の余光がまだあったのでなんとか体制は維持されていました。
皇太子は決められておらず、懿宗の死後、神策中尉劉行深、韓文約は、白痴的で幼少な五男普王儼[僖宗]を擁立しました。これも一瞬皇太子です。唐朝滅亡の始まりです。
皇太子は決められておらず、懿宗の死後、神策中尉劉行深、韓文約は、白痴的で幼少な五男普王儼[僖宗]を擁立しました。これも一瞬皇太子です。唐朝滅亡の始まりです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます