宣宗は無能な長子の鄆王[懿宗]より、弟の蘷王滋を後継にしたいと思っていました。しかし長幼の順を乱すことを憚り、また宦官勢力に遠慮して立太子をせず、信愛する内樞密使王歸長や馬公儒等が蘷王を擁立することを望んでいました、しかし軍權を握る神策中尉王宗實は鄆王を擁立し即位させ、王歸長等を殺害しました。蘷王は殺されることはなく、4年後に卒しました。これも一瞬皇太子の形をとります。
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