汴州宣武軍節度使は江淮からの漕運を黄河に移転する要地で、唐朝にとっては非常に重要で確保したい場所ですが、うまみのある土地なので有力な藩鎭が発生しやすく、唐末には後梁を建国する朱全忠が位置しました。朱全忠については当然の事ながら膨大なデータがあり別シートに新旧唐書の記事をつけました。宋州シートもつけています。藩鎭年表[汴州宣義軍節度使]を更新公開
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