姥桜
2014-05-15 | 雑学
サクラの季節は過ぎましたが、今日はもう一つのサクラ「姥桜(うばざくら)」について取り上げます。
「姥桜」のテーマを掲げたので、女性の反感を買うかもしれませんが、この言葉の本来の意味をご紹介しますので怒らないでください。
「しょせん私は姥桜・・・」なんてセリフをよく聞きますが、これは「しょせん私は、盛りを過ぎた女・・・」というように自分を卑下して使っているのだと思います。
しかし、「姥桜」の本来の意味はそうではなく、娘盛りを過ぎても美しい女性に対して使われる褒め言葉なのだということを知ってください。
姥桜とは、ヒガンザクラやウバヒガンなど、葉が出るよりも先に花が咲く桜の俗称で、娘盛りが過ぎても、なお美しさや色気が残っている女性を指して言う褒め言葉なのだそうです。
広辞苑にも、葉に先立って花を開く桜の通俗的総称で、ヒガンザクラ、ウバヒガンなどと説明しており、実際のヒガンザクラ(姥桜)は本当に美しい桜です。
ではなぜ、そんな美しいヒガンザクラ(姥桜)が「老女」をイメージさせる言葉となってしまったのか?
姥桜は、その桜の花が散るまで枝に葉をつけないことから、姥桜が咲いている時は葉がありません。
そこからダジャレで「葉がない」が「歯がない」となり、「入れ歯が必要な老人」となって、「老女扱い」の意味となっているものです。
本来は褒め言葉である「姥桜」。
もし、あなたの近くに「所詮私は姥桜」と嘆く女性がいたら、姥桜の本来の意味を教えてあげてください。