ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が続いています。
第二次世界大戦以降では、嘗て、1948年から1973年にかけて中東でも4次にわたって戦争が起こりました。所謂、中東戦争です。
これは1948年5月にイギリスによるパレスチナ統治が終了した日に、ユダヤ人がイスラエル建国を宣言したことに対し、分割に反対する周辺アラブ諸国がパレスチナへ侵攻し、第一次中東戦争が勃発したもので、その後4次に亘って戦争が繰り返されています。
一方で日本近辺では戦争こそ起こっていないものの、北朝鮮の核開発やミサイル発射、中国の武力を背景とした海洋進出などで平和が脅かされようとする状況が続いています。
この日本周辺、所謂、東アジア地域は、前記の中東に対して、極東と呼ばれています。
でも、なぜ日本を含む東アジア地域が「極東」なのでしょうか?
更に、極東の他にも近東、中東、と呼ばれる地域がありますが、皆さまはその由来をご存じでしょうか?
・極東と呼ばれている地域です。
「極東」
調べてみると、日本を含む東アジアは極東と呼ばれ、英語では「Far East」と言い、遠い東の果ての意味です。
でも、どこから見て日本が東の果てなのでしょうか?
実は、ヨーロッパから見てのことなのですが、正確にはイギリスから見て東の果てが「極東(Far East)」なのです。
同様に、「中東」「近東」もヨーロッパから見ての呼称になっています。
日本では一般的な世界地図は太平洋が真ん中に来る日本が中心の地図ですが、欧米では大西洋が真ん中に来る地図が一般的であり、それを見れば日本は地図の最東端、所謂「極東」に位置するという訳です。
19世紀初めの世界は7つの海を制した海洋国家・大英帝国(イギリス)を中心に回っていました。
更に、イギリスにある グリニッジ天文台は経度0度にあり、ここを基準として世界各国の標準時が決められており、それに基づくと 日本は経度135度となるため、グリニッジ標準時から9時間の差があることになります。
つまりイギリスから見れば、政治、経済的な外交ルートで見ても地理的な意味でも、日本は、紛れもない「東の果て」と言うことになります。
このように、ヨーロッパ・アメリカ、そして経度から見て、最も東方を指す地政学あるいは国際政治学上の地理区分により、 日本や中国の甘粛省、四川省、台湾、極東ロシア、朝鮮半島辺りの地域を極東と呼び、 歴史的にヨーロッパからみて最も遠くにある地域として名付けられました。
・伝統的中東とG8によって提案された拡大中東です。
「近東」
逆にヨーロッパから見て「近い東」はかつてオスマン帝国が支配していた地域で、その辺が「近東(near east)」と呼ばれるようになりましたが、19世紀には「中近東」(Near and Middle East)」の呼び方が一般的に使われていました。
「近東」は東方問題が焦点となる中でオスマン帝国の領域を可視化する呼称として形成されたようです。
広辞苑でも、「近東」とは、 「バルカン諸国・トルコ・シリア・エジプトなど旧オスマン帝国領に対するヨーロッパでの呼称。」と説明しています。
「中東」
中東とは、近東と極東の中間地域を指し、イギリスの最も重要な植民地であったインドやトルコ、エジプト、シリア、イラクなどの地域を指す呼称として形成されたようです。
広辞苑でも、(1)ヨーロッパから見て、近東と極東の中間。ペルシャとその周辺を指す。
(2)第二次大戦後、アフガニスタン以西の西南アジアと北アフリカ北東部の地域の総称。と説明しています。
「結論」
結局、極東(Far East)、中東(Middle East)、近東(Near East)などはイギリスからみた呼称として成立した概念であり、厳密にここからここまでと線引きがなされているわけではなく、時代によっても多少変わっているようです。