近畿地方は5月29日に梅雨入りしたとの発表がありました。
5月の梅雨入りは10年振りのことだそうです。
このため昨日は午前中が雨模様、一昨日は一日中雨が降ったので畑仕事は出来ず、「晴耕雨読」ならぬ「晴耕雨ドラマ」で、撮り溜めていた昔のドラマを観ることにしました。
観たのは私の好きな「浅見光彦シリーズ」で、その第35弾「歌枕殺人事件」です。
「ドラマの展開」
ドラマは、浅見家の正月で、光彦がかるたクイーンの朝倉理絵と百人一首に興じているシーンから始まりました。
かるたゲームでは、理恵が「契り・・」で始まる札でお手つきをしてしまいます。
理絵の父・朝倉義昭が、清原元輔の和歌で歌われた、「契りなき かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」と歌われた宮城県多賀城市の「末の松山」で毒殺されており、事件は未解決のままだったのです。
残された義昭の手帳には、「白波松山を超ゆ」と記されていました。
浅見光彦はこの謎を追い、真相を求めてドラマが展開していきます。
「百人一首第42番」清原元輔の和歌
ドラマについてはこのくらいにして、ドラマに出てきた清原元輔について調べてみました。
清原元輔(908年-990年)は三十六歌仙の一人で、清少納言の父です。
祖父(一説には父)は清原深養父で、平安時代中期の貴族で歌人です。
そして、清原元輔の和歌が百人一首の第42番に撰ばれています。
「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪越さじとは」(清原元輔 第42番)
「意訳」
固く約束しましたね。お互いに涙で濡れた袖を何度も絞りながら、あの末の松山を波が越さないように、二人の仲もいつまでも変わるまいと。
・百人一首第42番 清原元輔の和歌です。
「末の松山」
この和歌に詠まれている「末の松山」には諸説ありますが、現在の茨城県多賀城市の末松山宝国寺の背後にそびえる巨大な松が有力のようです。
869年の貞観の大地震で、ここが地震と津波に襲われましたが、この末の松山は奇跡的にも飲み込まれずに残ったのです。
このことから、末の松山を浪が越すことはありえない、といわれ、「永久の約束」の象徴になりました。
「清少納言の父」
清原元輔は清少納言の父であり、祖父に清原深養父(きよはらのふかやぶ)がいます。
この3人の和歌はいずれも小倉百人一首に撰ばれています。
(参考)
・清原深養父の和歌
「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいずこに 月やどるらむ」(百人一首第 36番)
・清少納言の和歌
「夜を込めて 鳥の空音(そらね)は 謀(はか)るとも よに逢坂(あふさか)の 関は許(ゆる)さじ」(百人一首 62番)
ドラマから平安時代の歌人と和歌を知ることができました。