らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

学校の掃除とチューラパンタカ

2023-07-27 | 雑学

学校では生徒たちが協力して掃除をしています。
今日はその由来を調べてみました。

「学校の掃除の由来」
室町時代はお寺で学問を教え、仏教のお経を通して人の道を説き、掃除をすることが修行の一つでした。
仏教では、根本説一切有部毘奈耶雑事(こんぽんせついっさいうぶびなやぞうじ)」に登場するお釈迦様の弟子チューラパンタカの逸話から、掃除をすることが修行のひとつとなっており、それがお寺の学校で取り入れられ、江戸時代の寺子屋にも引き継がれて、現在でも学校の掃除が習慣になっているのだそうです。

「チューラパンタカの逸話」
むかし、お釈迦様の弟子に2人の兄弟がいました。
賢く努力家な兄は「マハーパンタカ」で、お釈迦様の教えをよく理解し、深く仏教に帰依していました。
物覚えの悪いダメな弟は「チューラパンタカ」といい、ものを覚えるのが大変苦手で、お経は勿論、自分の名前すらも覚えられず、周りの弟子たちから、いつも馬鹿にされていました。
兄は弟を心配し、お釈迦様から聞いた教えを短い詩にまとめて、何とか弟に覚えさせようとしますが、朝には覚えられたと思っても、昼にはもうごちゃごちゃになってしまうのです。

そんな、ダメな弟にしびれを切らした兄は、チューラパンタカに対し、お前にはお釈迦様の弟子はつとまらないので、このお寺を去って父と母の元へ帰るように言ったのです。
お釈迦様の下で修業を続けたいチューラパンタカは、兄の厳しい言葉にショックを受け、お寺の前で泣いていました。

そこへお釈迦様が現れて言いました。
「自分が愚かであることに気付いている人は、智慧ある人なのです。愚かであるのに自分は賢いと思っている人こそ、本当の愚か者なのです。」
そして、1本のほうきを渡して、「塵(ちり)を払わん、垢(あか)を除かん」「この言葉を唱えながらお寺を掃除しなさい」と教えました。

翌日からチューラパンタカは、その言葉を一心に唱えながら、お寺を掃除したのです。
来る日も、来る日も、繰り返しその言葉を唱えながら掃除をして、3年が過ぎたある日、チューラパンタカは、ハッと気づきました。

毎日、毎日掃除しているのに、全然、塵や垢はなくならない。
「そうか! これは心の塵、心の垢と同じなんだ! どんなにキレイにしても心に塵や垢は出てくる。だから、これからも毎日心を磨き続けなくてはならないのだ!」と。

古いお経にはチューラパンタカは天眼を得たと書かれてあるそうです。
つまり、彼は悟りを得たのです。
チューラパンタカは悟りを得て賢くなったのではありませんでした。ましてや、仏法を教える側の先生になったのでもありません。
彼は仏法に教えられながら、教えを我が両眼として、一生涯を生きていく人となったのでした。
お釈迦様は言いました。
「悟りには多くのことを学ばなければいけないというのではないのです。ほんの短い教えの言葉であっても、その言葉の本当の意味を理解し、道を求めていくならば、悟ることができるのです。」と。

こうして、チューラパンタカは、他の人のお手本となるような立派な人物になったのでした。

「寺から学校へ」
このチューラパンタカの有名な逸話もあって、仏教では掃除をすることが修行のひとつとなったのだそうです。
それが、お寺の学校で取り入れられ、子どもたちは掃除をするようになり、これが江戸時代の寺子屋から、更に、明治から現在に至るまでの学校に引き継がれて、日本の学校では、掃除をするようになったという事です。
また、現在では「子どもたちが協力して生活していく」という教育目的でも、学校の掃除が行われているということです。