稲村の火
11月5日は 「世界津波の日」でした。
世界各地で地震にともなって津波が発生し、甚大な被害がもたらされています。
記憶に新しい2011年の東日本大震災にともなう大津波を始め、1960年にはチリ地震の津波があり、1976年にはフィリピンで、1998年のパプアニューギニア、1999年のトルコ、2001年のペルー、2004年のインド洋沿岸諸国、そして2009年のサモアおよびトンガ沖など、世界の各地で津波が発生しており、津波の脅威は多くの世界共通の課題となっています。
この様なことから、2015年(平成27年)12月22日の第70回国連総会本会議で「世界津波の日」を定める決議が全会一致により採択されました。
「世界津波の日」の制定の由来となったのは、濱口梧陵の「稲村の火」の精神を全世界に発信し、次世代に過去の災害の教訓を伝えることで、津波防災意識のさらなる向上を目指していくことにあります。
そこで今日は世界津波の日の由来となった「稲村の火」について調べました。
「稲村の火」
稲村の火は、安政南海地震での津波の際に、紀伊国広村(現在の和歌山県有田郡広川町)であった濱口梧陵(儀兵衛、1820-1885)の逸話に基づく故事です。
以下、広川町の「稲村の火の館」よりその逸話をご紹介します。
(逸話)
今から150年ほど前のある冬の朝、広村に地震が起こりました。
いつもと違う海に、村人たちは津波を心配して広八幡神社に避難しましたが、被害がなかったことを喜びあいました。
ところが次の日のお昼過ぎ、あわてて濱口梧陵さんの家にかけ込んできた村人が言いました。
「えらいこっちゃ、井戸の水が枯れているぞ!」
夕方の4時頃のことです。きのうの地震とは比べものにならない大きな地震が起きました。
家が倒れ、かわらが吹き飛びました。ドーッという、大砲がとどろくような音が何度も聞こえ、黒いすじ雲がみるみる広がっていきました。
そして、ついに大きな津波が押し寄せてきました。
「にげろ!丘にあがれ!津波が来たぞ!」
梧陵さんは波にのまれながらも必死で村人たちにそう叫んで、広八幡神社へと避難を呼びかけました。
この地震はのちに安政南海地震と呼ばれ、全国で2000~3000人が亡くなりました。
津波は川をさかのぼって家や田畑を押し流したあと、今度はすごい勢いで海へ引いていきました。
あたりはひどいありさまで、おとなも子どもも家族をさがして叫びまわっています。
梧陵さんは、暗やみでどこへ逃げればいいのかわからず、さまよっている人がいるにちがいないと考えました。
とっさに、「そうだ。もったいないが、あの丘の稲むらに火をつけよう」と、積み上げられた稲の束に火をつけてまわりました。
すると、逃げおくれた村人が次から次へと火を目指して丘にのぼってくるではありませんか。
「ああ助かった、この火のおかげや」9人目の村人が避難を終えたそのときです。
さらに大きな津波が押しよせて、稲むらの火も波に消されていきました。
このときの津波がいちばん大きく、この後も何度も津波が押し寄せては引いていきました。
津波で家族や家、仕事を失った村人たちはうろたえるばかりでした。 村を捨てて出て行こうとする人もいました。
梧陵さんは考えました。
「このままでは村がほろびてしまう。広村で生きていける方法はないものだろうか…。よし、浜に堤防を築こう。村人に働いてもらってお金を払い、生活に役立ててもらおう。そうすればきっと、生きる希望もわいてくるはずだ。」
地震のあとの炊き出しで、蔵の米もすっかりなくなっていましたが、梧陵さんは家族や店の人に村を守りぬくための協力を求めました。
梧陵さんの家は、広村と千葉県の銚子というところで昔からしょうゆを造っていました。
店や工場ではたくさんの人が働いていました。
「濱口梧陵(はまぐちごりょう)」
梧陵は、千葉県銚子市に本社がある現在のヤマサ醤油の当主に当たります。
梧陵は地震の前年に家督を継ぎ、出身地の広村と銚子を行き来していたようで、地震のときは偶々(たまたま)広村にいました。
地震が起きたのは16時半ごろで、冬至に近く日暮れが早い時期です。
梧陵は、高台にある広八幡神社への道を示して住民を津波から避難しやすくするため、自分の田んぼにあった藁の山に火をつけて明かりを灯し、村人を高台に誘導しました。
地震後には、村人に仕事を与えることも兼ねて4年間かけて広村堤防を造り、90年後の昭和南海地震の津波から村を救うことにも寄与しました。
梧陵は地震の後、和歌山県の副知事に相当する職や、郵政大臣に相当する職、和歌山県の初代県議会議長なども務めました。
そして、1885年(明治18年)、世界旅行中にニューヨークで病死しました。
広村堤防の近くには、昭和三陸地震が起きた1933年(昭和8年)に濱ロ梧陵の偉業とその徳を称えた感恩碑が建立され、毎年11月には津浪祭が催されています。
また、津波について学ぶことができる「稲むらの火の館 濱口梧陵記念館・津波防災教育センター」も建設されています。
「ご参考」
和歌山県広川町へ行く機会がありましたら、見学されたら如何でしょうか?
「 稲村の火の館 濱口梧陵 記念館 」
〒643-0071 和歌山県有田郡広川町大字広1500番地 TEL 0737-63-1122(代)
FAX 0737-62-2407
開館時間
・午前10時〜午後5時 (⼊館時間は午後4時まで)
休館日
・毎週月曜日(祝日の場合はその翌平日)11月5日の世界津波の日は開館
・年末年始(12月29日~1月4日)
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