今日も5時30分に起床し、ブログを書いています。
早起きすると何か良いことはないかと思いつつ書いていますが、未だその気配すら
ありません。
昔から「早起きは三文の徳」という諺があります。
ご存知のように、「早く起きると良いことがある」という意味ですね。
本当なのでしょうか?
そこで、今日はこの諺の由来について調べて見ました。
この言葉については次のような説があるようです。
1.「奈良説」
昔から奈良の地では「鹿は神の使い」として保護されていました。
しかし、鹿も何らかの原因で死ぬことがあります。その鹿の死体が偶然に自分の
家の前で発見された場合、その家主は罰金として「三文」を徴収されるという掟が
あったそうです。
そこで各家の主は皆早起きして、自分の家の前を確認しました。
もし鹿の死体があった場合は、こっそりと隣の家の前に移したそうです。
移された隣の人も早起きし、死体があればこっそりとその隣に移し、更にその隣の
人もまたその隣にと順番に移していき、最終的に一番遅く起きた家の家主が罰金
を払う羽目になったそうです。
このことから「早く起きると罰金三文を払わなくて良い」。
即ち「三文得した」と言われるようになったとする説。
2.「高知説」
昔、土佐藩・山内家の家臣で野中兼山という人が、洪水対策として仁淀川の下流
に八田堰工事をしたそうです。
その際、河川敷の堤防の土を固めるため、次のようなお触れを出しました。
「朝、早起きして堤防を歩いたものに、褒美として三文の金子(きんす)
を与えるものとする」
皆は「三文」を貰おうとこぞって早起きをして歩きました。
このことが言葉の始まりとする説です。
どちらの説も金銭が言葉の始まりとなっています。
では、「三文」とは今の金銭価値でどのくらいになるのでしょうか?
落語の「時蕎麦」から計算すれば約100円といったところでしょうか。
(時蕎麦における屋台のソバの値段が16文、現在の屋台のラーメンを500円と
すれば1文は31.25円、3文で93.75円になります)
「早起きは三文の徳」の意味は、「1文銭3枚で、きわめて価の低い意」と広辞苑では説明しています。
しかし、現在の100円は「わずかばかり」のお金でしょうが、昔は罰金を回避する
ために鹿の死体を移したり、早起きしてまで堤防を歩いて貰うほどの金額だったことから考えると、100円よりももっと大金だったのではないでしょうか?
そうだとすれば、この諺の説明では、当時の「三文」という金銭を現在の説明で余りにも低い価値観で捕らえているように思います。
皆さんはどのように感じられますか?
最新の画像[もっと見る]
- 「蛇の道は蛇」の由来 8ヶ月前
- 身近な野鳥「ムクドリ」 8ヶ月前
- 身近な野鳥「ムクドリ」 8ヶ月前
- 身近な野鳥「ムクドリ」 8ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 8ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 8ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 8ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 8ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 8ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 8ヶ月前
お尋ねの諺について知っている範囲内でお答します。
1.「早起きは三文の徳」奈良説について
この諺を誰が作ったのかは不明だそうですが、昔から奈良の地では「鹿は神の使い」として保護されていました。
そのようなことから、江戸時代、奈良では家の前で鹿が死んでいるとその罰金として三文の支払いを求められたことから、住民は毎朝早起きし、家の前を掃除して罰則を逃れたことがその語源にあると言われています。
なお、「文」は当時の貨幣単位の一つです。
現在の貨幣価値は物価の換算の仕方によりますが、30円から3600円までのようです。
これは、そば代、大工の手間賃、米価などで換算していることからこのくらいの幅が生じるようです。
2.「高知説」
ここに書いている通り、土佐藩・山内家の家臣で野中兼山という人のお触れが由来のようです。
この2説以外にもいろいろな説がありますが、本来の意味は金銭の「徳」を言っているのではなく、朝早く起きれば健康にも良いし、それだけ仕事や勉強がはかどったりするので得をするという意味です。
「三文」とは一文銭3枚のことで「ごくわずかな」と言う意味です。
僅か三文だとしても、得るものがあると言うことで、朝寝を戒める意味で使われます。
このブログは趣味で書いているだけなので、参考になれば幸甚です。
ご自由にお使いください。