ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

再会~34年ぶりに会う母(草稿4)

2009年11月28日 | 手放す~しがみつくのをやめる時
まるで小説を書いているような錯覚を覚える。

いや、私の経験したことが小説だったのではないか?と勘違いしてしまうほど、

他人事のようにも思えてくる。


時が過ぎ、いろんなことを冷静に考えられるようになった今、

このブログという媒体に、これ以上掲載することに

戸惑いを隠せない。

書き始めた以上、書かねばなるまい、という責任もある。


・・・と様々に考えをめぐらすと、

禅師のおっしゃった「考えすぎるな」という言葉が通り過ぎる。


私は、とりあえず記しておきたい。

その欲求があるのなら、それに従うのみである。

読みたくない方は、これ以上は読み進めないようにお願いしたい。

わがままですみません。

◇◇◇   ◇◇◇   ◇◇◇


「子どもの頃の、君の写真を見たことがあるんだよ。

面影があるね。」

私は、その弟に言った。 不器用そうな弟は、恥ずかしそうに笑い、

「え、そうですか。」と言った。

君の過去に思いを馳せて、しばらくしてやめた。

君も、苦しんできたね。


母は相変わらず、弾丸のごとくに話していた。

私の辿ってきた道のりに思いを転じることはなく、ただただ

まるで今までの自分の人生を回顧するがごとくに、

母の半生は続いた。 反省はどこにも見られないのだが。


ふと気がつくと、電話台の下に新聞紙に包まられた包丁が見えた。

柄が大きかったので、魚を捌くためのものか?

なぜ、厨房が隣りにあるのに、ここにあるのか? 不安がよぎる。

そして、一種の諦めも同居した。

人は死ぬときは死ぬもんだ。

命の時間は、私ではなく神様に委ねた。

かといって、怖くなかったわけじゃない。 怖くて怖くて、

夜寝床についても、しばらく眠れなかった。


綺麗に片付けられた部屋。 トイレ。 厨房。

そして、綺麗に掃除されたお風呂に入れさせていただいた。

母はとても綺麗好きだった。 知らなかった。


二階の部屋には暖房はなく、とても寒かった。

私の布団の中に、一個しかないであろう湯たんぽを入れてくれた。

ありがとう。

母は、寒くなかったんだろうか? 昨年癌の手術をした傷口が、

寒さで痛んではいないだろうか? 

そんなことを考えながら、さっきの包丁を思い出しながら、

なかなか寝付けない自分がいた。

財布は、手にもっていたバッグから、スーツケースの奥底に隠した。

なぜか不安がよぎっていたから。 怖い夜だった。





板橋興宗禅師

2009年11月28日 | 観劇・読書・感想記
曹洞宗の大本山は、永平寺と總(総)持寺と二つあるそうでございます。

そのうち、總(総)持寺の貫首(住職)をお勤めになられたご経歴のある、

板橋興宗禅師が、このたび八戸と三沢に来られ、ご講演されました。


坐禅をさせていただいたご縁で、今回三沢での講演のお手伝いを

させていただき、なんと光栄な勤めをいただいたものだと、

誘ってくださった方々のお気持ちに、とてもありがたく、

このタイミングで、この勤めという運命にも、

神様の御計らいと思わずにはいられませんでした。

感謝に感謝を重ねても、尽くしようがございません。


禅師は、末期の癌を患いながら、このように今でも全国を廻られ、

毎日朝夕の二時間の坐禅も欠かさずに行っているということでした。

ほんとうに病いが体に巣食っているのかと思われるほど、

顔の色艶よく、ほがらかに笑われる、大きな方です。


「人間は、考える動物になってしまったばかりに、考えてばかりいる。

考えても結論が出ないものを考えて、自分を苦しめている。

仏教とは、頭の中を空(から)にすること。

空っぽにするのではなくて、風通しをよくすること。

オープン ザ ドア じゃなくって、

オープン ザ ヘッドなんだな。」


「次々に考えることを、煩脳という。 煩悩を捨てなさい。

今この時に、動くもの、聞こえる音に反応する自分。

その反応することが命そのもの。

その命を感じることに集中して、そのことに考えをめぐらせないこと。」


深すぎて、尊すぎて、大きすぎて、高すぎて、

私には到底到達できないようなお話でしたが、

今の自分に語りかけられているこの言葉の重み一つ一つを、

メモに取り、心の中にしまっておく作業が、

次への自分へ繋げてくれる、そう感じました。


帰りの新幹線にお見送りに行かせていただけ、

握手をさせていたけましたことも、

たいへん光栄、恐れ多いことでございました。

が、禅師の気さくで、お茶目で、同じ目線に降りてくださる

大きさを、間近で感じることができ、

とてもとても幸せでした。


ほんとうの偉人は、

偉ぶらない

おごらない

高ぶらない

どこまでも やさしく

どんなものでも 受け容れる

そういう方なのですね


ありがとうございました。

この機会を与えてくださった、すべての皆様に感謝申し上げます。

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