you tubeを聴きながら、仕事していました。
すると、操作をどこをどう間違えたのか、違う曲に変わりました。
スキマスイッチの「奏」に。
別のパソコンでアプリを楽しんでいた長女サーヤが、
「この歌を聴くと、なんだかとってもウルウルする・・・」とつぶやきました。
9年間お世話になった山口市から、八戸に転勤が決まって、
勤務先の仲間たちが準備してくれた送別会。
灯りの消えた部屋に通された私の目の前には、私に関わった人たちや、
場所、イベントの写真を集めたスライドショーと
この「奏」の合唱・・・・・・。
~・・・こんな歌だったら 僕らは何処にいたとしても つながってゆける~
本当に、この歌が、私たちと山口の仲間達とを繋げてくれています。
ううん。歌はなくとも、繋がっていたと思います。
だけど、この歌をふと耳にするたびに、タイムスリップして、
私は、山口の中心商店街の真ん中に立っています。
「てとてと」に、もしかしたら、ふーっといるかもしれないよね。
八戸に来て、丸4年が経ちました。
そんな4年前の3月の送別会でスライドショーとして見せてくれたDVDアルバムは、プレゼントされ、私の宝物としてずっと棚の奥に入れてありました。
そして、そのDVDは、ずっとその棚の奥深くに眠ったまま、
ずっとその時を待っていました。
そうです。
送別会で見せていただいてからは、一度も見返すことなく、
4年という月日が経っていたのです。
観ると、心が動揺して、ドキドキして、悲しくて、つらくて、
きっと数日、いえ数週間は立ち直れないと思ったからです。
心の準備がなかったのです。
落ち込んでも、それを支えるものがなかったのです。
棚の奥のDVDは、奥にあるのに、いつも存在感がありました。
いつでも観ていいんだからね
そんな風に、自然体で、なにも構えず、憂えず、
ただ淡々と過ごしてくれていました。
棚のほかの物を探すとき、家事で一瞬手を止めたとき、
ふと山口の香がよぎるとき、
いつでも心のどこかに、あのDVDはちゃんと存在していました。
そして、それは、やっぱり「その時」を待っていたように思います。
「その時」が、まさか昨夜だったなんて、思いもせず。
思いがけないサーヤの言葉に反応して、
条件反射のように棚に足を向け、奥から贈られた手紙や色紙と一緒に
入れてある袋を取り出しました。
「待っていた」
私の心がそう叫んでいました。 今が、観るときなのかもしれないと。
一緒に、観ました。
BGM用に、ちゃんと「奏」が入っていました。
歌が流れながら、思い出の写真のスライドショーが始まりました。
こんなに 重厚な思いがあふれるものは
今まで観たことがありませんでした
こんなところ、写真撮ってったけ?
あんな人まで、写ってるし!
あそこ、行ったよねぇ・・・
ここで、働いたよねぇ・・・
みんなで笑ったよね・・・
泣いたしね・・・
励まして、 励まされて、
生きてたよね・・・
もう涙で、画面がよく見えませんでした。
サーヤは、とめどなく溢れる涙を、叫びとともに流していました。
我慢していた感情が、泉のごとく
いえ、噴火した火山のごとくに、噴出していました。
私たちにとって、「山口」という場所は、
硬い地盤のようなもの。
ゆるぎない愛と、あるがままを認める風とは、
私たち親子を今も包んでいます。
何かを引き剥がされるような思いで、八戸に来ましたが、
ここ八戸から去るときも、きっと同じ思いで苦しくつらいことでしょう。
その八戸の人たちの支えがあるから、
昨夜、このDVDを観ることができたのです。
山口と八戸が、繋がった夜でした。
心の深い深いところで、人と繋がることができるって、
すごい幸せなことです。
ありがとう、山口
ありがとう、八戸
すると、操作をどこをどう間違えたのか、違う曲に変わりました。
スキマスイッチの「奏」に。
別のパソコンでアプリを楽しんでいた長女サーヤが、
「この歌を聴くと、なんだかとってもウルウルする・・・」とつぶやきました。
9年間お世話になった山口市から、八戸に転勤が決まって、
勤務先の仲間たちが準備してくれた送別会。
灯りの消えた部屋に通された私の目の前には、私に関わった人たちや、
場所、イベントの写真を集めたスライドショーと
この「奏」の合唱・・・・・・。
~・・・こんな歌だったら 僕らは何処にいたとしても つながってゆける~
本当に、この歌が、私たちと山口の仲間達とを繋げてくれています。
ううん。歌はなくとも、繋がっていたと思います。
だけど、この歌をふと耳にするたびに、タイムスリップして、
私は、山口の中心商店街の真ん中に立っています。
「てとてと」に、もしかしたら、ふーっといるかもしれないよね。
八戸に来て、丸4年が経ちました。
そんな4年前の3月の送別会でスライドショーとして見せてくれたDVDアルバムは、プレゼントされ、私の宝物としてずっと棚の奥に入れてありました。
そして、そのDVDは、ずっとその棚の奥深くに眠ったまま、
ずっとその時を待っていました。
そうです。
送別会で見せていただいてからは、一度も見返すことなく、
4年という月日が経っていたのです。
観ると、心が動揺して、ドキドキして、悲しくて、つらくて、
きっと数日、いえ数週間は立ち直れないと思ったからです。
心の準備がなかったのです。
落ち込んでも、それを支えるものがなかったのです。
棚の奥のDVDは、奥にあるのに、いつも存在感がありました。
いつでも観ていいんだからね
そんな風に、自然体で、なにも構えず、憂えず、
ただ淡々と過ごしてくれていました。
棚のほかの物を探すとき、家事で一瞬手を止めたとき、
ふと山口の香がよぎるとき、
いつでも心のどこかに、あのDVDはちゃんと存在していました。
そして、それは、やっぱり「その時」を待っていたように思います。
「その時」が、まさか昨夜だったなんて、思いもせず。
思いがけないサーヤの言葉に反応して、
条件反射のように棚に足を向け、奥から贈られた手紙や色紙と一緒に
入れてある袋を取り出しました。
「待っていた」
私の心がそう叫んでいました。 今が、観るときなのかもしれないと。
一緒に、観ました。
BGM用に、ちゃんと「奏」が入っていました。
歌が流れながら、思い出の写真のスライドショーが始まりました。
こんなに 重厚な思いがあふれるものは
今まで観たことがありませんでした
こんなところ、写真撮ってったけ?
あんな人まで、写ってるし!
あそこ、行ったよねぇ・・・
ここで、働いたよねぇ・・・
みんなで笑ったよね・・・
泣いたしね・・・
励まして、 励まされて、
生きてたよね・・・
もう涙で、画面がよく見えませんでした。
サーヤは、とめどなく溢れる涙を、叫びとともに流していました。
我慢していた感情が、泉のごとく
いえ、噴火した火山のごとくに、噴出していました。
私たちにとって、「山口」という場所は、
硬い地盤のようなもの。
ゆるぎない愛と、あるがままを認める風とは、
私たち親子を今も包んでいます。
何かを引き剥がされるような思いで、八戸に来ましたが、
ここ八戸から去るときも、きっと同じ思いで苦しくつらいことでしょう。
その八戸の人たちの支えがあるから、
昨夜、このDVDを観ることができたのです。
山口と八戸が、繋がった夜でした。
心の深い深いところで、人と繋がることができるって、
すごい幸せなことです。
ありがとう、山口
ありがとう、八戸