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レンブラントの妻、サスキア
パステル画教室というのをときどき受講している。
僕は絵を見るのは好きだが、かくほうは苦手である。
この教室も絵が好きな友達がいなければたぶん受講していなかったに違いない。
それは僕の人生にとって大変な損失だっただろう。
以前、やはり同じ友達とピアノを習ったことがあるのだが、才能のなさはいかんともしがたく、途中で挫折(自主的な退校)を余儀なくされた。
その時は、もうどうにもこうにもならない、という感じだった。右手と左手がどうしても一緒に動いてしまうのだ。
大人になってから楽器を習っても弾けるようになれるなんて嘘だとわかった(笑)
もちろん、個人差はあるだろう。
実際、僕よりも後に入った未経験(本人いわく、僕は信用してない)だったひとが、みるみる上達してあっという間にぺらぺらと弾けるようになっていくのを目の当たりにしたときは、
モーツァルトを羨望と嫉妬の眼で見たサリエリの心境がよくわかった(笑)
このパステル画教室もそうなるのかな、という不安がずっとあった。
でも、今回はピアノの時と違って、うまくなれるかどうかは知らないが、少なくとも「楽しめる」という実感を得ている。
うまくなれるかどうかなんて関係ない、楽しいのだから、とさえ思っている。
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描いている間はあらゆる不安や恐怖が消え去るのだ。
よく精神療法の一つとして昔から絵をかくといいといわれている理由がよくわかった。
描いている間は心が真っ白になる。
様々な色、とくに、突拍子もない色を混ぜるように先生に言われて、やってみると実際狙った微妙な色が出来上がるのを目の当たりにした時の驚きと喜びはなんとも言えない。
これはほんとうに精妙かつ熟練のクラフトマンシップ(職人気質)が要求される世界だなということも理解できた。
そして、一番目から鱗だったのは、絵は「線」で描くのではなく「色」で描くのだということだろうか。
学校で習ったのはまず線で輪郭を描いて、その中に色を塗るということだった。
しかし、僕が今回きづいた描き方は、ものを自分の目に見えるように「正確に」描くということ。
考えてみれば当然かもしれない。
幾何学的な物質ならともかく、自然物や人間の顔に「線」などあるはずはない。あるのは陰影と色の違いだけである。
それを大雑把にとらえて「線」と認識しているにすぎないのだから。
僕の先生は印象派的な絵をかくので余計そう思うのかもしれない。
いずれにしても、今はさまざまな「色」の織り成す世界に完全に魅了されている。
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