気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

諸事雑感

2014-08-23 02:06:18 | 日記
 まず、アフリカでエボラ出血熱に感染していた米国人医師が完治したそうだ。
致死率90%といわれていたが、まだ認可が下りてない新薬を投与した結果とも言われている。
 
 この医者、普通の医者ではなく、ミッショナリー、つまりキリスト教の組織から派遣されていた医者らしい。
いわば現代のシュバイツアーだ。こういう人もこの世にはいるんだな、と思いながらかれの記者会見を見ていた。
彼はアフリカにいるときからエボラ出血熱が流行ってきていることがわかっていたという。

 それでもあの地にとどまって医療行為を続けていた。
当然、自分も感染して死ぬことも半ばは覚悟していただろう。
こういう人もこの世に入る…それだけで十分だ、それを知った人に再び生きていく意味を与えることができる、たったそれを知るだけでも。

 彼の地には国境なき医師団のメンバーとして、日本人看護師(女性)も行っているという。
彼等は怖くないのか、いや怖いだろう人間だから。でも使命感が彼等を動かしている。
それを思うと僕はどうしても神という存在を思わざるを得ない。その人に信仰があるとないとにかかわらず。そうでなければ説明がつかないからだ。

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 広島の災害はニュースを見れば見るほどその被害の規模が大きかったことを感じる。
明日はどうなるかわからないというのは、僕も東日本大震災の時感じたが、では明日死ぬことがわかっているとして今日何をするかと言えば、やはり普段と同じことをするだけだろう。
ただ一つだけ違うことをするとすれば…現在不仲になっている人々にひとことあたたかい情を込めた言葉を送るだろう。

 ただ、僕はまだ生かされると思っている。
なぜなら、まだ道半ばであることがわかるから。僕は自分がなぜ生まれてきたのか人生半ばにしてわかった。前半生が何のためにあったのか、そして、それが後半生をどう支配するのかも。
だから、僕はまだまだ生きなければならないだろう。死ぬことはまだ許されないだろう…そんなきがする。

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 映画「項羽と劉邦・鴻門の会」という映画を借りてきてみた。
例のアクションものの軽い映画かと思っていたら、いい意味の期待外れだった。
 全体を通して重厚で、考えさせられる作品だった。

 劉邦と彼の臣下で、彼が天下の覇者になることを大いに助けた名将韓信との関係を中心に描いている。
劉邦と韓信の関係は良好だったが、劉邦が皇帝になって以降次第に険悪になっていき、最後には韓信は劉邦に殺される。

 僕はこれを見て、毛沢東と彼の部下でやはり戦術戦略家として極めて優れていたホウトクカイ(漢字が出てこない)との関係が重なってきた。
共産党が中国を支配下に置いて以後、毛沢東の大躍進運動の失敗で中国全土に数百万という餓死者が出たことがある。
 ホウトクカイは地方に調査にいき、いかに民が苦しんでいるかを知り悲しみ驚愕し、これを放置していてはいけないと現状改善を求めて毛沢東に手紙を書き送った。

 しかし、自分の行った政策が失敗したことを認めたくない毛沢東は、それを握りつぶしただけでなく、猜疑心と復讐心に燃えてホウトクカイを失脚に追い込み、監禁した。
ホウトクカイは劣悪な状態で監禁されたまま死んだ。毛沢東が殺したようなものである。
 
 韓信がホウトクカイほど高潔な人物であったかどうかはわからない。たぶん違うだろう。
しかし、やはりこの4人の人物の人生が僕の中では不思議なほど重なってくる。
いやそれだけではない。劉邦臣下でもっとも知謀人徳ともに篤かった名宰相蕭何と、やはり共産党政権下で最も高徳の士であり知謀すぐれていた名宰相周恩来も重なるのだ。この符号はいったいなんだろう!とおもうほど。

 かつては革命の理想に燃えて共に戦った同志。
 ここで一言述べておくと、世間一般では毛沢東を悪人視する向きが多い。
だが、それは極めて表層的、浅薄な見方であり、現実は違う。

 かれも若いころは理想主義者だった。それは彼が若いときに書いたものを読めばわかる。
いかに中国の貧しい農村に、都市部の貧困に苦しむ民に、明日の糧に困らない生活を与えるか、どうやったらそのような社会ができるのか、そのことばかり考えていた節がある。

 もし、毛沢東が、仮に蒋介石やスターリンのように独裁的な権力をつかみ乱用することしか考えていない人物であれば、あのような文章は書けない。
さらには、人徳高潔な周恩来やホウトクカイのような人物が彼についていくはずがない。『彼は変わった』のである。
 
 この映画の脚本家あるいは監督は、劉邦の妻に与えた役回りから、念頭にシェイクスピアの「マクベス」を置いていたのではないかと思う。目的を達成しひとたび権力の座に着くや、その同志に対する猜疑心が生まれ、最後は死にまで追いやってしまう。
 この映画では、それを権力というものに対して人間が持っている「欲望」の故であるとほのめかしている。

 僕は欲望などという単純な定義ではくくりきれない、集中的な権力を持った時の人間の心に宿る、いや、そもそも潜在的には本質的に持っている『魔』のようなものだと思う。
もし「マクベス」を念頭に置いていたのなら、そこまで描いてほしかった。

 この映画にはそこまで踏み込んでほしかった、それが惜しい。

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 とまぁ、これらのことを最近考えていた。

 

 
 


 
 

 

 
 
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