あの50年間逃げ続けた人のことを未だに考えているのだが(笑)僕にとってはひとつの教訓を教えてくれているように思うのだ。
それは僕の好きな(笑)人間の良心とかそういうことではなく、人が生きていくに当たっての覚悟というか…そういうことだ。日本は先進国でも最も自殺者が多いことは統計的にもしられてる。
つまりこの国ではあの男ほどの極端なシチュエーションではないにせよ、追い詰められ居場所のなくなった人々が結構多いということだろう。あの男の生き方を思うにつけ、そんなとき我々には自殺以外の選択肢もあるということをあの男の人生は示唆してはいないだろうか…
あの男の追い詰められ方はハンパない、文字通り崖っぷちギリギリのところを這うように生きたそんな人生だ。でも、やつは生きた、生き抜けた。普通に働き、自由なときはスナックやクラブにいって酒をのみ音楽に合わせて踊ったりもした。あれほど追い詰められているのにだ。普通ならなん十回自殺してもおかしくない、そんなところまで追い詰められていても『いきることを選択すればいきられる』ということをやつの人生は教えてくれているような気がする。定年までに2000万円なければ生きていけないとか、年金が減らされるとか、いろんなネガティブな情報が流れていて、その度に僕らは不安に駆られる。
でもどんな状況であろうとも『いきることを選択すれば』生きていけるのだ。先のことは考えない、そんな考えても仕方のないことは考えない。ただ、『今』をいきる。生ききる。そこに集中する。それを楽しむ。そしてあとは…開き直る。こういう生き方もあるのだということを、実際にそれができるということをやつの生き方は教えてくれている。
犯罪者の生き方から学ぶなんて!と思う向きもいるかもしれない。相手が誰であろうと関係ない、この世はある種の厳しいサバイバルゲームと同じような世界だ。だからこそ大勢の人がいきることを諦め自らの命たっている。でも、それでも『生き抜いた人もいる。』
しかも普通に人生を楽しみながら。『そういう生き方もある、そういう選択もできるのだ、全ては僕らの❪選択❫なのだ』ということをやつの人生は教えてくれているようなきがする。
あの男がやったことはいうまでもなく絶対に許されないことだ。しかし、そんな男でもひとつだけ、たったひとつだけどこの超厳しい過酷な世界で生きている我々に非常に大切なことを教えてくれたんじゃないかと僕は感じる。
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