母が倒れ、今までの母の様ではなくなってしまったせいだろうか?
このところよく昔の事を思いだします。
こども時代の思いで。
時おり子ども時代の話をすると、みんなが「へえ~っ、いいなあ!」
と驚いて下さるので自分がとても幸せな環境に居たことを知りました。
わたしの家は4部屋の平屋で、家を囲んでコの字がたのお庭がありました。
田舎だったので、子どもの頃はまだ薪でお風呂を沸かしてましたね~(^^;)
以前も何度か書きましたが父と母はそーとー面白い人たちです(笑)
かなりわが道を行ってます。わが道しか行けてなかったって言い方も出来るけど。
まあ、色んな意味でぶっ飛んでましたから、家族や子供として生きてくにはそりゃあ大変でしたが。
おかげでまわりの人はもっと大変だろうと想像していたようです(^^;)
まあ、そんな大変な家庭の中にも喜びはあったわけです(笑)
私はいたってフツーだと思って居ましたが、
意外とその頃からそうじゃなかったんだな~と今思います。
と言うのは、うちはそれはそれは「てしごと」と「季節」があふれた家だったからです。
庭は母が植えた花や木や果実がいつも実っていました。
そして家を取り囲むように父が作った遊び道具がおいてありました。
まず玄関を抜けると鉄棒、タイヤの跳び箱、ブランコ、屋根のついたお砂場
(夏はプール)ジャングルジムとすべり台、平均台。
ぜんぶ廃品を利用した手作り物でした。
家の中では「着せ替え人形」が欲しいといえば、
母が絵を描いて一緒に相談しながら服を切り抜いて着せました。
庭の花のしぼんだのを取ってきて、そのしぼり汁でハンカチや雑巾を染めました。
ままごとがしたいというと、母は庭から細い竹を切ってきて、
目の前で桶やひしゃくやコップを作りました。
貝殻のお皿やお玉もありましたね。
空き箱でレンジやオーブンやトースターもあっという間に作ってくれました。
おやつはタマゴに濡らした紙を歌いながら貼って、
火鉢の灰に埋めて焼き卵をしたり(ゆで卵よりプリンとしている)、
えんどう豆を鞘から出して、塩茹でにして、
それをきれいなガラスの器に入れ、薄い色のおつゆをはって食べました。
それはそれはきれいで美味しかった。
夏になると同じガラスの入れ物に冷やしたトマトがきれいに角切りにされて、
お砂糖がかけられてでました。赤と白がきれいだった。
そしてこれはびっくりするほど美味しいのです。
散歩をすれば、これはお団子の葉っぱ、これはお薬になるはっぱ、
このお花はたべられると教えてもらいました。
春、野原に咲くすみれの花に「お家に来てください」とお願いしてから摘み、
ひとつひとつ卵白を筆で塗ってグラニュー糖をまぶして「すみれの花の砂糖漬け」を作りました。
秋、りんごや桃はうつくしいコンポートになって出てきました。
春、4月。お花見をして、桜の花びらでくびかざり。
5月、こいのぼりを飾って、おだんごの葉っぱを積んだり、
たけのこの皮を集めてお団子やあくまき(粽)つくり。
6月 雨降りの家の中、窓から見える紫陽花の花の色の移り変わりを
ハギレでカーテンにくっつけたり(家中花畑^^)
箱庭を作ったり、家中の本でドミノ(笑)
7月 屋根の上に寝て星見して、七夕にはたくさんの飾りを飾りました。
母の手からは嘘みたいに編みやちょうちんや切り紙が出来ました。
8月 父さんは海に潜り、サザエをとって帰ってくる。
私たちは皆で貝殻をひろい、小さな箱に標本を作った。
9月 秋になってく森でアケビさがし。
10月 おいも掘り
11月 銀杏を拾い、色とりどりの葉っぱを服に縫い付けて飾ったり、
たくさんのアクセサリーにしました。
12月 父さんは門松を作り、おそばを打ち、お母さんはおせちを作り、みんなで年越し。
1月 年を迎えてあいさつ、一番水でお茶をのんで、
次の日の食事は全部高膳にならべられておとそから始まった。
2月 みんなで豆をまいて、次の日、立春大吉を祈りました。
3月 ひな祭り お人形は全員母の手作りのお洋服をきてました。
春、夏、秋、冬、面白いくらいいろんな事がありました。
棄てるものも本当に少なかったように思います。
私たちの服は全部母の手作りで、お人形も皆おそろいを来ていました。
ハギレは皆取ってあり、袋やなんかのいろんなものになりました。
短い短い糸は結んで繋いで芯に巻き付けて刺繍のある手まりになった。
小さい頃の服は縫い直されて次の子のすてきなドレスになりました。
セーターはほどかれて編みなおされて、また新しいセーターになりました。
絵のお道具もみんな父が作ってくれたのです。画板もイーゼルも。
毎日、毎日、たくさんの歌を歌っていました。
雨上がり、虹が出ると父は私たちを乗せ、
虹が消えるまであれをくぐるのだと追いかけました。
美しい景色の見える山道で指を挿し
「俺達は何てきれいなところに生まれたんだろう」と彼は言いいました。
絵を描くと一度キャンバスを全部水色にぬり
「俺達は空の真ん中に居る」といって風景を描く人でした。
父も母もきれいなものが好きでした。
自分たちが気に入った美しいものをたくさん与えてくれました。
こんな父母のおかげですっかりこんな人に育ちました(笑)
いま、シュタイナー系の活動に関わっていると
お家で出来ることと歌われている事は私がしてもらったことばかり。
「シュタイナー教育」は素晴らしいと思います。
でも「シュタイナー教育だから素敵なこと」なんじゃなくて
私がそれを当たりまえと思っていたように、
それらが「普通」になって当たりまえの世界になったら
もっともっといいよなあと思っています。
たくさんたくさんの美しいものをくれた家族に感謝しつつ。
この世の全てのうつくしさに「ありがとうございます」
今日の写真はエンジェルシューレで遊ぶぴーちゃん。
目の前に持っているのは「鈴入りの羊毛ボール」
彼女にこれを作ったのは5年もまえのこと。
彼女はこれを大事に大事に使って遊ぶのです。
そして決して壊さない。えらいです(^^)
このところよく昔の事を思いだします。
こども時代の思いで。
時おり子ども時代の話をすると、みんなが「へえ~っ、いいなあ!」
と驚いて下さるので自分がとても幸せな環境に居たことを知りました。
わたしの家は4部屋の平屋で、家を囲んでコの字がたのお庭がありました。
田舎だったので、子どもの頃はまだ薪でお風呂を沸かしてましたね~(^^;)
以前も何度か書きましたが父と母はそーとー面白い人たちです(笑)
かなりわが道を行ってます。わが道しか行けてなかったって言い方も出来るけど。
まあ、色んな意味でぶっ飛んでましたから、家族や子供として生きてくにはそりゃあ大変でしたが。
おかげでまわりの人はもっと大変だろうと想像していたようです(^^;)
まあ、そんな大変な家庭の中にも喜びはあったわけです(笑)
私はいたってフツーだと思って居ましたが、
意外とその頃からそうじゃなかったんだな~と今思います。
と言うのは、うちはそれはそれは「てしごと」と「季節」があふれた家だったからです。
庭は母が植えた花や木や果実がいつも実っていました。
そして家を取り囲むように父が作った遊び道具がおいてありました。
まず玄関を抜けると鉄棒、タイヤの跳び箱、ブランコ、屋根のついたお砂場
(夏はプール)ジャングルジムとすべり台、平均台。
ぜんぶ廃品を利用した手作り物でした。
家の中では「着せ替え人形」が欲しいといえば、
母が絵を描いて一緒に相談しながら服を切り抜いて着せました。
庭の花のしぼんだのを取ってきて、そのしぼり汁でハンカチや雑巾を染めました。
ままごとがしたいというと、母は庭から細い竹を切ってきて、
目の前で桶やひしゃくやコップを作りました。
貝殻のお皿やお玉もありましたね。
空き箱でレンジやオーブンやトースターもあっという間に作ってくれました。
おやつはタマゴに濡らした紙を歌いながら貼って、
火鉢の灰に埋めて焼き卵をしたり(ゆで卵よりプリンとしている)、
えんどう豆を鞘から出して、塩茹でにして、
それをきれいなガラスの器に入れ、薄い色のおつゆをはって食べました。
それはそれはきれいで美味しかった。
夏になると同じガラスの入れ物に冷やしたトマトがきれいに角切りにされて、
お砂糖がかけられてでました。赤と白がきれいだった。
そしてこれはびっくりするほど美味しいのです。
散歩をすれば、これはお団子の葉っぱ、これはお薬になるはっぱ、
このお花はたべられると教えてもらいました。
春、野原に咲くすみれの花に「お家に来てください」とお願いしてから摘み、
ひとつひとつ卵白を筆で塗ってグラニュー糖をまぶして「すみれの花の砂糖漬け」を作りました。
秋、りんごや桃はうつくしいコンポートになって出てきました。
春、4月。お花見をして、桜の花びらでくびかざり。
5月、こいのぼりを飾って、おだんごの葉っぱを積んだり、
たけのこの皮を集めてお団子やあくまき(粽)つくり。
6月 雨降りの家の中、窓から見える紫陽花の花の色の移り変わりを
ハギレでカーテンにくっつけたり(家中花畑^^)
箱庭を作ったり、家中の本でドミノ(笑)
7月 屋根の上に寝て星見して、七夕にはたくさんの飾りを飾りました。
母の手からは嘘みたいに編みやちょうちんや切り紙が出来ました。
8月 父さんは海に潜り、サザエをとって帰ってくる。
私たちは皆で貝殻をひろい、小さな箱に標本を作った。
9月 秋になってく森でアケビさがし。
10月 おいも掘り
11月 銀杏を拾い、色とりどりの葉っぱを服に縫い付けて飾ったり、
たくさんのアクセサリーにしました。
12月 父さんは門松を作り、おそばを打ち、お母さんはおせちを作り、みんなで年越し。
1月 年を迎えてあいさつ、一番水でお茶をのんで、
次の日の食事は全部高膳にならべられておとそから始まった。
2月 みんなで豆をまいて、次の日、立春大吉を祈りました。
3月 ひな祭り お人形は全員母の手作りのお洋服をきてました。
春、夏、秋、冬、面白いくらいいろんな事がありました。
棄てるものも本当に少なかったように思います。
私たちの服は全部母の手作りで、お人形も皆おそろいを来ていました。
ハギレは皆取ってあり、袋やなんかのいろんなものになりました。
短い短い糸は結んで繋いで芯に巻き付けて刺繍のある手まりになった。
小さい頃の服は縫い直されて次の子のすてきなドレスになりました。
セーターはほどかれて編みなおされて、また新しいセーターになりました。
絵のお道具もみんな父が作ってくれたのです。画板もイーゼルも。
毎日、毎日、たくさんの歌を歌っていました。
雨上がり、虹が出ると父は私たちを乗せ、
虹が消えるまであれをくぐるのだと追いかけました。
美しい景色の見える山道で指を挿し
「俺達は何てきれいなところに生まれたんだろう」と彼は言いいました。
絵を描くと一度キャンバスを全部水色にぬり
「俺達は空の真ん中に居る」といって風景を描く人でした。
父も母もきれいなものが好きでした。
自分たちが気に入った美しいものをたくさん与えてくれました。
こんな父母のおかげですっかりこんな人に育ちました(笑)
いま、シュタイナー系の活動に関わっていると
お家で出来ることと歌われている事は私がしてもらったことばかり。
「シュタイナー教育」は素晴らしいと思います。
でも「シュタイナー教育だから素敵なこと」なんじゃなくて
私がそれを当たりまえと思っていたように、
それらが「普通」になって当たりまえの世界になったら
もっともっといいよなあと思っています。
たくさんたくさんの美しいものをくれた家族に感謝しつつ。
この世の全てのうつくしさに「ありがとうございます」
今日の写真はエンジェルシューレで遊ぶぴーちゃん。
目の前に持っているのは「鈴入りの羊毛ボール」
彼女にこれを作ったのは5年もまえのこと。
彼女はこれを大事に大事に使って遊ぶのです。
そして決して壊さない。えらいです(^^)