今日は誕生日です。
螺旋の階段を一段のぼりました。巡りは続きます。
たぶん、永遠に。
さて、生まれて初めて自分から誕生日です、と言ってみています。
主張しないので、しつこく誕生日を覚えてくれている友達や兄弟とか以外、
殆どの人には忘れ去られています。一緒に住む家族も忘れているほど。
おかげで自分も自分の年があんまり良くわかりません(笑)
私は祝うのは好きだけど、自分があんまり祝われることとか、
騒ぐこととか好きでは在りません。理由はよくわかんないんだけど。
祝われるのはそりゃあとっても嬉しいのですよ。
私は過去、自閉症やら虐待児童だったせいなのか、
日常において自分の感情を表現するのがとても苦手です。
何かしてもらってとってもとっても嬉しくても
行動や言葉で「わ~い!うれしい!にこにこ!」とかって
かわいく喜べるタイプの人間では全くなくて、
じーっと自分の奥でただぎゅうっとじいっと嬉しいなあと思うほうなので
見た目、とってもつまらなそうに、関心なさそうに見えるようです。
それを見た祝ってくれた人がそれはがっかりするのを見て以来
出来るだけ自分の祝い事は主張しないようになりました。
それともうひとつ、お誕生日はなんとなく複雑だからです。
私にはなぞが多いので(これはまたの機会に)それを思い出す日となりますし、
私は生まれた日、死んで生まれてきたので、
なんとなく他の子どもとは違う感覚があります。
先日、響きの授業で「ラ」の音、ペンタトニックの音を体験したら、
みんなには希望の明るい音に聞こえたのに、私にはやみの音に聞こえました。
死んでると生きてるではこうも違うのか。。と自分でも納得。
とまあ、こんなネガティヴなイメージを語っている私も
20歳までは生きていられないだろうと言われながら
何とかここまでコロコロと生きて来れたわけで、
この奇跡はすごいもんだな、と感じる今日この頃です。
常、そんな静かな日に何で自分から
「お誕生日です!」なんて言っちゃってるかって言うと
朝、親友から手紙が届いたからです。
それは美しい手作りの絵本でした。
なんとなく「生」に複雑な感情を持つ私も
その美しい絵と言葉にココロ深く深く波がたったからです。
これは間違いなく「嬉しい」気持ちでしょう。
文章を皆様にご紹介します。
**************
むかしむかし ずっとむかし
空の上に子どもたちが
天使といっしょに暮らしていました。
一日に一度
子どもたちは静かに
机の前に座りました
机には金色のお皿とコップを並べました。
そうして青い服を着た主人がやってくると
子どもたちのお皿にお星さまのパンをのせて
お星さまのジュースをいれてくれました。
ある日のこと ひとりの子どもが
お城の外に天使といっしょにお散歩にゆきました。
雲の上をずっと歩いてゆくと
雲の間からずっと下の方が見えました。
やさしそうな女の人と男の人が歩いていました。
それをみた子どもは
「わたし あの人のところへゆきたい」
といいました。
それをきいた天使は子どもといっしょに
たくさんの たくさんの
お星さまの柱をとほって
おてんとさまの柱をとほおって
お月さまの柱をとほおって
虹の橋のところまできました。
そこで天使は子どもに
「さぁ あなたはお空のお家のお洋服を脱ぐんですよ
このお洋服はあなたがまたここに戻ってくるまで
持っておいてあげる」
といいました。
こどもがお家のお洋服をぬぐと、今度は天使が
「あなたにお月さまの銀色の糸と
金色の糸でつくったお洋服を着せてあげましょう」
といいました。
子どもはそのお洋服を着ると急に眠くなりました。
ちょうどその頃
ずっとしたの地球では
子どもがみた あの女の人と男の人が
とても美しい夢の街をみました。
天使が赤ちゃんのやってくることを
知らせてくれる夢でした。
子どもが目を覚ますと
目の前にお空の上で見た
女の人と男の人
そうお母さんとお父さんが
そばにいました。
そして名前をつけてくれました。
命に光がともりました。
わたしは清らかな
お空の高みから
エンジェルシューレ(魂の自由)をまとい
光に導かれて降りてきました。
この大地で
しっかりと生きていくために
LOVE HUG YOU
*************
この世には私のように「誕生日」を不安定に過ごす人も多いでしょう。
誕生日のわからない人もたくさんでしょう。
寂しい人も多いでしょう。
けれども、「生まれた」のは「本当」です。
「本当」は「真実」です。
「真実」は「愛」です。
清らかなお空の高みから
この世に舞い降りたすべての魂に
この美しい物語をささげます
2008・4・12 美しい昼にエンジェルシューレから世界へ
物語を贈ってくれた天使にココロからの愛と感謝をささげます
あんじゅ
螺旋の階段を一段のぼりました。巡りは続きます。
たぶん、永遠に。
さて、生まれて初めて自分から誕生日です、と言ってみています。
主張しないので、しつこく誕生日を覚えてくれている友達や兄弟とか以外、
殆どの人には忘れ去られています。一緒に住む家族も忘れているほど。
おかげで自分も自分の年があんまり良くわかりません(笑)
私は祝うのは好きだけど、自分があんまり祝われることとか、
騒ぐこととか好きでは在りません。理由はよくわかんないんだけど。
祝われるのはそりゃあとっても嬉しいのですよ。
私は過去、自閉症やら虐待児童だったせいなのか、
日常において自分の感情を表現するのがとても苦手です。
何かしてもらってとってもとっても嬉しくても
行動や言葉で「わ~い!うれしい!にこにこ!」とかって
かわいく喜べるタイプの人間では全くなくて、
じーっと自分の奥でただぎゅうっとじいっと嬉しいなあと思うほうなので
見た目、とってもつまらなそうに、関心なさそうに見えるようです。
それを見た祝ってくれた人がそれはがっかりするのを見て以来
出来るだけ自分の祝い事は主張しないようになりました。
それともうひとつ、お誕生日はなんとなく複雑だからです。
私にはなぞが多いので(これはまたの機会に)それを思い出す日となりますし、
私は生まれた日、死んで生まれてきたので、
なんとなく他の子どもとは違う感覚があります。
先日、響きの授業で「ラ」の音、ペンタトニックの音を体験したら、
みんなには希望の明るい音に聞こえたのに、私にはやみの音に聞こえました。
死んでると生きてるではこうも違うのか。。と自分でも納得。
とまあ、こんなネガティヴなイメージを語っている私も
20歳までは生きていられないだろうと言われながら
何とかここまでコロコロと生きて来れたわけで、
この奇跡はすごいもんだな、と感じる今日この頃です。
常、そんな静かな日に何で自分から
「お誕生日です!」なんて言っちゃってるかって言うと
朝、親友から手紙が届いたからです。
それは美しい手作りの絵本でした。
なんとなく「生」に複雑な感情を持つ私も
その美しい絵と言葉にココロ深く深く波がたったからです。
これは間違いなく「嬉しい」気持ちでしょう。
文章を皆様にご紹介します。
**************
むかしむかし ずっとむかし
空の上に子どもたちが
天使といっしょに暮らしていました。
一日に一度
子どもたちは静かに
机の前に座りました
机には金色のお皿とコップを並べました。
そうして青い服を着た主人がやってくると
子どもたちのお皿にお星さまのパンをのせて
お星さまのジュースをいれてくれました。
ある日のこと ひとりの子どもが
お城の外に天使といっしょにお散歩にゆきました。
雲の上をずっと歩いてゆくと
雲の間からずっと下の方が見えました。
やさしそうな女の人と男の人が歩いていました。
それをみた子どもは
「わたし あの人のところへゆきたい」
といいました。
それをきいた天使は子どもといっしょに
たくさんの たくさんの
お星さまの柱をとほって
おてんとさまの柱をとほおって
お月さまの柱をとほおって
虹の橋のところまできました。
そこで天使は子どもに
「さぁ あなたはお空のお家のお洋服を脱ぐんですよ
このお洋服はあなたがまたここに戻ってくるまで
持っておいてあげる」
といいました。
こどもがお家のお洋服をぬぐと、今度は天使が
「あなたにお月さまの銀色の糸と
金色の糸でつくったお洋服を着せてあげましょう」
といいました。
子どもはそのお洋服を着ると急に眠くなりました。
ちょうどその頃
ずっとしたの地球では
子どもがみた あの女の人と男の人が
とても美しい夢の街をみました。
天使が赤ちゃんのやってくることを
知らせてくれる夢でした。
子どもが目を覚ますと
目の前にお空の上で見た
女の人と男の人
そうお母さんとお父さんが
そばにいました。
そして名前をつけてくれました。
命に光がともりました。
わたしは清らかな
お空の高みから
エンジェルシューレ(魂の自由)をまとい
光に導かれて降りてきました。
この大地で
しっかりと生きていくために
LOVE HUG YOU
*************
この世には私のように「誕生日」を不安定に過ごす人も多いでしょう。
誕生日のわからない人もたくさんでしょう。
寂しい人も多いでしょう。
けれども、「生まれた」のは「本当」です。
「本当」は「真実」です。
「真実」は「愛」です。
清らかなお空の高みから
この世に舞い降りたすべての魂に
この美しい物語をささげます
2008・4・12 美しい昼にエンジェルシューレから世界へ
物語を贈ってくれた天使にココロからの愛と感謝をささげます
あんじゅ