KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

お空の高みから

2008-04-12 | KOFUKU日記
今日は誕生日です。
螺旋の階段を一段のぼりました。巡りは続きます。
たぶん、永遠に。

さて、生まれて初めて自分から誕生日です、と言ってみています。
主張しないので、しつこく誕生日を覚えてくれている友達や兄弟とか以外、
殆どの人には忘れ去られています。一緒に住む家族も忘れているほど。
おかげで自分も自分の年があんまり良くわかりません(笑)

私は祝うのは好きだけど、自分があんまり祝われることとか、
騒ぐこととか好きでは在りません。理由はよくわかんないんだけど。
祝われるのはそりゃあとっても嬉しいのですよ。

私は過去、自閉症やら虐待児童だったせいなのか、
日常において自分の感情を表現するのがとても苦手です。
何かしてもらってとってもとっても嬉しくても
行動や言葉で「わ~い!うれしい!にこにこ!」とかって
かわいく喜べるタイプの人間では全くなくて、
じーっと自分の奥でただぎゅうっとじいっと嬉しいなあと思うほうなので
見た目、とってもつまらなそうに、関心なさそうに見えるようです。
それを見た祝ってくれた人がそれはがっかりするのを見て以来
出来るだけ自分の祝い事は主張しないようになりました。

それともうひとつ、お誕生日はなんとなく複雑だからです。
私にはなぞが多いので(これはまたの機会に)それを思い出す日となりますし、
私は生まれた日、死んで生まれてきたので、
なんとなく他の子どもとは違う感覚があります。

先日、響きの授業で「ラ」の音、ペンタトニックの音を体験したら、
みんなには希望の明るい音に聞こえたのに、私にはやみの音に聞こえました。
死んでると生きてるではこうも違うのか。。と自分でも納得。

とまあ、こんなネガティヴなイメージを語っている私も
20歳までは生きていられないだろうと言われながら
何とかここまでコロコロと生きて来れたわけで、
この奇跡はすごいもんだな、と感じる今日この頃です。

常、そんな静かな日に何で自分から
「お誕生日です!」なんて言っちゃってるかって言うと
朝、親友から手紙が届いたからです。
それは美しい手作りの絵本でした。
なんとなく「生」に複雑な感情を持つ私も
その美しい絵と言葉にココロ深く深く波がたったからです。
これは間違いなく「嬉しい」気持ちでしょう。

文章を皆様にご紹介します。

**************
むかしむかし ずっとむかし
空の上に子どもたちが
天使といっしょに暮らしていました。

一日に一度
子どもたちは静かに
机の前に座りました
机には金色のお皿とコップを並べました。
そうして青い服を着た主人がやってくると
子どもたちのお皿にお星さまのパンをのせて
お星さまのジュースをいれてくれました。

ある日のこと ひとりの子どもが
お城の外に天使といっしょにお散歩にゆきました。
雲の上をずっと歩いてゆくと
雲の間からずっと下の方が見えました。
やさしそうな女の人と男の人が歩いていました。
それをみた子どもは
「わたし あの人のところへゆきたい」
といいました。

それをきいた天使は子どもといっしょに
たくさんの たくさんの
お星さまの柱をとほって
おてんとさまの柱をとほおって
お月さまの柱をとほおって
虹の橋のところまできました。

そこで天使は子どもに

「さぁ あなたはお空のお家のお洋服を脱ぐんですよ
このお洋服はあなたがまたここに戻ってくるまで
持っておいてあげる」

といいました。

こどもがお家のお洋服をぬぐと、今度は天使が

「あなたにお月さまの銀色の糸と
金色の糸でつくったお洋服を着せてあげましょう」

といいました。

子どもはそのお洋服を着ると急に眠くなりました。

ちょうどその頃
ずっとしたの地球では
子どもがみた あの女の人と男の人が
とても美しい夢の街をみました。
天使が赤ちゃんのやってくることを
知らせてくれる夢でした。

子どもが目を覚ますと
目の前にお空の上で見た
女の人と男の人
そうお母さんとお父さんが
そばにいました。
そして名前をつけてくれました。
命に光がともりました。


わたしは清らかな
お空の高みから
エンジェルシューレ(魂の自由)をまとい
光に導かれて降りてきました。

この大地で
  しっかりと生きていくために

LOVE HUG YOU


*************

この世には私のように「誕生日」を不安定に過ごす人も多いでしょう。
誕生日のわからない人もたくさんでしょう。
寂しい人も多いでしょう。

けれども、「生まれた」のは「本当」です。
「本当」は「真実」です。
「真実」は「愛」です。

清らかなお空の高みから
この世に舞い降りたすべての魂に
この美しい物語をささげます

2008・4・12 美しい昼にエンジェルシューレから世界へ

物語を贈ってくれた天使にココロからの愛と感謝をささげます
あんじゅ
    

愛しさの育て方

2008-04-12 | 相方さん(米澤観児氏について)
今夜もシューレで一人、徹夜仕事をしています。
とにかくスタッフが一人の状態で、今は寝る間もないような状態です。
はああああ、カラダも限界だあ!と言うときもあるけれど、
私は元来、忘れっぽく、さらに根が能天気なせいか、
その時、幸せな気分になる種さえ見つければ、
7代祟るような憎しみさえも忘れてしまう様です。
決してポジティブな人間じゃあないのですけどね~。
まあ、同じように苦労も苦労と思わずに出来る瞬間が
自分の内に生み出せる自分はかなりお得なのかも~と思う今日この頃です。

なんでそんなこと書くかと言いますと、前回書いた私には麗しき思い出話を
「リアル妹」がミクシー上にて「えええ???そんな素敵だったか?」
と全く違う視点から書いていて大爆笑したから。
後から「確かに面白かったが別にしなくて良かったんじゃ・・?
ってか、経験しないほうがよかったんじゃ??」とメール貰い、また爆笑。
そう、家の実家はたぶん、他人様から見てもかなり過酷、
中に入ったらさらに想像を絶するほどの過酷な貧しい環境のお家だったからです。
妹も書いてましたが、私が幼いころは地元でも相当裕福な家庭で会ったこともあり、
一転転落の途を辿り、ほぼホームレスでサバイバルな状況になってしまってから
物心ついた妹たちにとっては、なんだそりゃ?は話でありましたでしょう。
が、妹も書いてた通り、生き方のベースは貧しくなっても
ぜんぜん変わりませんでしたから、何も変わらなかったともいえますね。

私はずいぶん、小さいころから働いていました。
中学生のときから高校卒業して家を出るまで、夏休みや冬休みは休んだことなかったんです。
それはずーっとアルバイトをしていたから。
でも自分の為にお金を使ったのは、17歳のとき、お正月に1冊の漫画の本を買っただけです。
後はみーんな、お家の生活費や学費になって消えました。
人が聞くとびっくりします。自分でもびっくりします(笑)
決して楽だったわけじゃない。ずーっと立ちっぱなし、
働きっぱなしの毎日はカラダが弱かった自分にはとても苦しかった。
けれど、どれだけ思い出しても嫌だったことがないんです。
それは何でだろう?と考えてみたら、
それはきっと愛しい人たちの為に働いていたからだと思います。
それをこうして一人仕事をしながらしみじみ思い出しました。

ひざにぴーちゃんを乗せ、眠らせながら、
エンジェルシューレのお名前シールを作って、
備品にひとつひとつ貼って行きます。

「ああ、こうやってきょうだいのも貼ったなあ」

と懐かしく思いだしました。

私は兄弟の一番上でした。だから何でも一番先にいろんな出来事を体験しました。
小学生のとき習字道具が買えなくて、習字のある日は休みました。
ノート一冊買うのも、難しかったのです。
なぜ同じ日に休むのか?と先生に聞かれたとき、
私は思い切って「道具が買ってもらえないんです」
と打ち明けると、先生は本気でぷっと笑って
「いまどき100円のノートも買えないなんてあるわけない」と言いました。

家に帰り、まだ小学校に入ったばかりの妹が
釣り糸で破けた上履きを繕おうとするのを見たとき、
私は初めて「働こう」と思いました。
どうしても妹に上履きを買ってあげたかったのです。

中学のとき、私の家は制服が買えずに、
14年前に卒業した人の制服を貰ってそれを着て登校してました。
私のだけ、色も生地も違いました。
けれど母が苦労して手に入れてくれたかと思うと
悲しいどころかとても嬉しかったのです。
ただ指差されて笑われるので、妹や弟たちには
そんな思いはさせたくないなあ、と心の中で思いました。

それからです。私が必死こいて働くようになったのは。

夏休み、終業式の後、制服のままバイト先に行って、
一日仕事して、そのまま31日まで働いてました。
でもお金もらって、母に渡すとホッとした顔をする。それが嬉しくて。
そのたびに妹や弟が何か買ってもらえる。それでよかった。
いいえ、それが良かったんです。

妹の小学校の入学式の日に、バイトしたお金で
母が算数のお道具セットを買ってきました。
一緒に名前を書いたシールを貼りました。
自分が働いたお金で妹は新しい道具を使える。
それだけで幸せだった。

母たちが仕事をするので妹や弟は私が面倒を見てました。
おかずを作るお金から、1円、10円とためて、
卵と片栗粉を買って練り合わせ、ひとつずつ丸めて卵ボーロを作りました。
弟も妹もおいしそうに食べてくれました。

家族は夜中に仕事をしていて、夜中、弟が夜泣きをするので
11時くらいから3時、4時まで抱いてゆすって歌を歌って・・。
星を見ながら眠るまで外を歩きました。
でも、ぜんぜん嫌でもつらくもありませんでした。
なぜならそうやって腕の中で眠っていく弟がとてもかわいかったからです。

次の日学校で眠る私を、事情を知っていた小学校時代の
唯一の優しかった担任の先生は、みんなが「居眠りをしてる!」
と私にいじめにかかるのを「いいの、眠らせてあげなさい」
と黙って眠らせてくれました。

そうして、振り返ってみると、確かに妹の言うように、
普通なら人のしなくて良い苦労はたくさんたくさんしたけれど、
その苦労して手間ひまをかけた時間と言うものが
いろいろなものへの愛しさをさらに大きく育ててくれたように思うのです。
苦労すればするほど、家族に愛しさが募りましたから。

おかげ様で私は誰かと分け合う楽しさ嬉しさを知ることが出来ました。
お金はなくとも心は王様でいられることも知りました。
工夫をすることの喜びを知りました。
動物や小さいものをいじめるような気持ちを持つことはありません。
同じいのちだと思えるようになりました。
なんにでも感謝があることを知りました。
そういう経験をしたからこそ、私はみんなと
分かち合いたいと思うようになりました。
優しい場所を作りたい、と思えるようになりました。

それはきっとこうして苦労して一つ一つの出来事に
手と心をかけたからなんではないかと思うのです。

今、ひざの上にチワワのぴーちゃんがいます。
大事な友達がある日、彼女を抱いてこういいました。

「ぴーちゃんは抱っこして貰うためにちいさく生まれたのよ」

その時、ああ本当だ、と思ったのです。

ちいさいときはみんな抱いてもらう為に、優しくしてもらうために
お世話してもらうために、きっとちいさく生まれているのだな。
そのためにゆっくりゆっくり育つのだな。

そう思いました。
動物はきっとずっとそれが必要だから小さいままなんでしょうね。

そして大きい人たちは、そうして優しくすることで愛を育てていくのでしょう。

クレヨンに小さいシールを一枚一枚貼りながら笑みがこぼれました。
まだ見ぬ生徒さんへの愛が育っていくのがわかったからです。

愛しさと言うものは手間隙かけて育てるもの。
私の手とこのココロを誰かの為にココロのそこから喜んで使うこと。

手しごとの、いえ、愛の基本はそこにあるのかも知れません。


追伸:今日からポスティングが始まって、
エンジェルシューレにたくさんのお問い合わせとご来訪を頂きました。
ご連絡くださった皆様、いらしてくださった皆様、
どうもありがとう御座いました。
ぜひまた、遊びにいらしてくださいね。