KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

♪Mちゃん♪と☆おとうさん☆

2010-04-28 | KOFUKU日記
皆さんには「親友」っていらっしゃいますか?

私はたくさんの出会いの中で多くの友人に恵まれました。
お金も地位も何も持たない「ないないづくし」の私ですが、
ご縁とそこで培った信頼が自分の宝だと思っています。

以前、とても親しい年配の方が、

「あなたの話を聞いていると永遠の友とか魂の家族なんだとか、
どっかおかしいんじゃないの?って夢みたいなことばっかり言っていて、
私は、人間そんなに信頼できる人が居るわけないじゃないの、
友達って言ったって所詮、他人に決まっている、と思っていた。

けれど、あなたとあなたの周りに居る人の姿を見て、
本当に現実の世界でこんな風な友情を結んだり、
縁を繋げていけるものなんだって事実を見た。
そして、そういう形を作っていけてるのは、
自分自身が相手をそんな風に信頼するからなんだと分かった。

そう分かったけど、私は未だに人をそんな風に信じられない。
だから、私には本当の親友や友達がいない。
あなたたちが本当にうらやましい。」

そんな風に言ってくださったことがあります。

不思議なことですが、信じあえる仲間との間には
「この人を信じなきゃいけない」って感覚はありません。
きっと信頼とはその様に自然なものなのでしょうね。
だから、本当に信じあえる仲間がいると言うことは
本当に自分と言うたましいに与えられた祝福なんだと思っています。

出会った方々は、私の中ではいくつかのジャンルに分けられます。
たとえば、「大好きなお友達」とか「大事なお友達」とか
「兄」「姉」「妹」「弟」、「永遠の仲間」とか
「親友」とか「魂の家族」とか、いろいろです(笑)

もちろんどの人も私にはかけがえのない人。
これらは決して人に対するランク分けではないのです。
でもやっぱり、一人一人違うと言うか特別と言うか…。

しいて言えば、相手の方に対する自分の中の
信頼の預け方の違いや愛の傾け方の違いかもしれません。
とにかく、私個人の感覚によるある種のカテゴリーがあります。

そんな中、「私的親友」と言うカテゴリーがありまして、
そのステージでは数名の友人がいつもキラキラと笑っています(^^)

私にとって親友とは、いつどこに居ても、傍に居なくても、
特に思い出さなくても、決して心が忘れることがなくて、
その人を思うとき、いつも相手が自分を愛していることが感じられて
また相手も同じように感じていることが理解できる存在。

心から愛していて、普段その人に対して、何をどんな風に言っていても、
心の一番深いところでちゃんと相手を心底から尊敬出来ている、そんな人。

そして、何かあった時、家族にも、一番大事な人にも
大事だからこそ言えない様な心を出来る限り心を開いて
打ち明けることが出来る。

そしてお互いが愛と信頼で繋がっている、
何があっても縁の切れないたましいの家族の一人。
「私的親友」とはそんな友達の事です。

そんな「親友」の中に「Mちゃん」と言う女の子がいます。

彼女は赤毛のアンに出てくるダイアナと同じく
私にとっての「腹心の友」です。心から尊敬出る人。
そして永遠の愛で結ばれた「たましいの家族」の一人でもあります。

Mちゃんとの出会いから、もう15年が経ちました。
出会った頃、まだ成人式を過ぎて間もない若いお嬢さんだった彼女も
今では長野のシュタイナー幼稚園でりっぱに先生をしています。

Mちゃんは周りの反応を見る限り、いわゆる「天然」系らしく、
昔は「不思議ちゃん」と形容されていました(笑)

まず見た目はまるで妖精か天使のようにふんわりとしています。
そのせいか、なんだか年齢も良くわかりません(笑)
そして、それを裏切らない特徴のある声。
(アニメの女の子のようでみんなが第一声で必ず驚きます。)
そして、それを更に裏切らない性格。
完璧に純粋、、、と言う意味ではMちゃんは「天使」か「妖精」です。
そしてMちゃんは昔も今も私の中で特別な人です。

Mちゃんとであった日、私の第一印象は
「この人はどうやら普通の人間じゃないな」
でした(^^;)

なぜなら、Mちゃんには人間が生きていく上で必要で
みんな必ず持っているような「疑い」とか「嘘」とか
「憎悪」とかって暗い部分がまーったく存在しなかったからです。

Mちゃんは自分の中にそういうものが存在しないので、
他人にもそういうものを感じることがありません。
「疑わない」、というより「疑うことを知らない」訳です。

ハイ、はっきり言って危機管理能力がゼロの状態でした
私も廻りに言わせれば、そういう面で
かなりすっ呆けた人間であることは間違いないですが、
そのあたしから見ても、究極な線を行っていたのがMちゃんでした。

Mちゃんと言う人は昔は本当にボキャブラリィ少なかったのです。
(あ、それでも、今の若い人よりは全然よかった気がします。
それを考えると綺麗な言葉が失われていくのは悲しいです)
それをMちゃん特有の感性とテンポで変換して言葉にするため
Mちゃんと話をすると、大体はノッキングを起こすわけです。

たとえば亡くなったソウルメイトのお父さんが
「君と話していると、地球が七回り半するね」
と冗談をいうと、Mちゃんが本気で
「ええ~@@、そうなんですか~。
ななまわりはん、ってどんなことだろ~(笑顔で分かっていない)」
と答える…みたいな?(笑)

そんな会話が日常茶飯事で、Mちゃんには今も語り継がれる、
いろいろな言葉伝説が生まれました(笑)
仲間内で「M語録」という言葉集があるくらいです(^^;)

その上に天性の自由人と言う気質が備わっていて、
Mちゃんはその自由人のボーダーラインで生きているので、
ある意味なにもを恐れることのない「無敵」な人なのでした。

私も、今も昔もかなり世間と言う常識からはすっ飛んでますが、
その個人的なすっ飛んだ感性の隣で、常にハードな現実を生きてきた実績があります。
私は幼いときから現実世界で家族を担ってこなくてはなりませんでしたから、
そういう部分は他の人よりも発達させねばやってこれませでした。
ですから、Mちゃんとであった時、すでに現実を現実として生きる
そんなテクニックを持ってたかとおもいます。
特に生き延びることに必死だった時代をやっと乗り越えた頃だったから
そういう感覚には過敏だったのかもしれません。

それは簡単に言えば「偽る」と言うテクニックです。
そういうテクニックは一般社会では「一般常識」とも呼ばれるものでもあるでしょう。

まあ、私の本音を言えば何を「常識」とするかは
その人の良心(たましいの働きと選び)によって
自分ではなく、他者を思いやったところで
その人自身が最終決定し、選ぶことだと思うので、
あまり気にはしていないのですが…。

けれど、この世界に生きている以上は、
一緒に生きている世の人の動向も気にせねばなりません。
それが思いやりと言うものでしょう。
そうなれば、この偽りのテクニックは人生に不可欠とも言える物です。

しかし、若き日のMちゃんにはこれが欠片もありませんでした。
ゴーイングマイウェー、ならぬ、意識無しのゴーインにマイウエイです。
ええ、ええもう、そりゃあマイペースしっかり守ってました。
今思えば「あっぱれ」ですが、当時の私にはそれが「超不安」

Mちゃん、大丈夫?だまされてないよね?
そんなじゃ、生きていけないよ!
大丈夫なの??

なあんて、会うたびに言っていましたねぇ~。
ほんとうるさかったと思います。
だって~~~、私にとって本当に人間じゃなかったんだもん(笑)
ほんと宇宙から来たぐらいのレベルだよ~って本気で心配してました。
まだ若かった私は、この頃のMちゃんを不安に思ってました。
親代わりの立場に居た長女の性ですかね~。ホント心配でしたね~。
恐れを知らないので、なにも恐れないから、
危なっかしくてしょうがなかったんです。

でも、そうやって心から心配したのは、
Mちゃんに本当に偽りがなかったからなんです。
彼女は本当の意味で「純粋」で「無垢」でした。
大きな赤ちゃんが目を見開いて歩いているようだったのです。

人はそういう稀な人間像に出会った時、
反応が大体3つのパターンに別れると思います。
1*疑いがないという点から、そんなわけはないと人格を疑ってかかるか、
2*世の常識の基準から判断して人間として足りないものとバカにするか、
3*そこに素晴らしさや尊敬を見出し、友となっていくか、
どれかのような気がします。


私は最初こそ驚き、その性格から起こる
不思議なトラブルに戸惑ったりもしましたが(笑)
反面、そんな彼女がすぐに大好きになり、
その人間性だからこそ、とても尊いと思いました。
全く人を疑わず、憎しみも怒りももたない心に感動しました。

そんな人だから自分にも他人にも嘘は絶対に言いません。
だから、どんな美しい言葉を連ねてくれる人よりも、
どんな地位を持っている人よりも、私はMちゃんを誰よりも信頼できました。
それは、この長いお付き合いの中で一瞬たりとも変わることがありません。
彼女と出会えたこの人生に心から感謝しています。

えらそうな言い方で申し訳なくなりますが、
そんなMちゃんも年を経て、たくさんの経験をつんで
随分と人間らしくなりました。

つまり、自分以外の人とのバランスを
上手く取れるようになってきたのだと思います。
大人に、人になった、ということかもしれません。

「人」言う字は人と人が支えあって出来ているのは良く知られていますが、
たぶん、人として生きる上で、人と交われない限りは、
人間としては成り立っていないと言うことなのかもしれないですね。

彼女はちゃんと目の前に居る人と関わっているのでしょう。
以前の自分だけの感覚で生きている彼女ではありません。
だからもうあんなに心配することもないでしょう。
彼女は日々、美しく進化しています。
それが親友である私の誇りでもあります。


長く自分の世界中心に生きていたMちゃんが、
そんな風に変わってゆくきっかけになったのではないか?
と私が勝手に思っている出来事があります。
そこには彼女のご両親が大きな存在としてあると思います。

Mちゃんに出会って、良く思ったのは
「どんな人がご両親なのだろう?」と言うことでした。
どうやったらこの現世で人間をこんな風に純粋培養できるのか?
私の中の大きな謎でした。

そして、ある日、お母さんに遭遇!
Mちゃんのお母さんは、なんと、本当にこの人が産んだの?
というくらい、Mちゃんと見た目から内容(笑)まで違ってました!

美容のお仕事をなさるお母様は見た目も華奢なMちゃんと違って大柄で華やか、
そして、ものすごく金銭感覚と現実世界の生き方に長けている方でした。
なんというかMちゃんの正反対の世界におられたのです(笑)

でも、数回お会いしているうちに、物怖じしない豪快さや
細かいことを気にせず、感覚で進んでいかれるところなど
「ああ、Mちゃんの身軽さや強さの元はここにあるなあ」
と分かりました。やはり親子なんですねぇ。
ちなみに、私はその楽しいお母様が大好きです(^^)

そして、数年前に「おとうさん」と出会わせて頂きました。
良く出てくる、もう独りの親友リッキーと3人で
長野のMちゃんの家から帰った時の事です。

実は私は北海道にわたる前から、
「一度はMちゃんのお父さんに会いたい!」
と思っておりました。

Mちゃんのお父さんはある雑誌にコラムを書かれていて
何気に私はお父さんの文章のファンだったのです。
私はとにかく読むのがすきなのと、言葉(日本語表現)が好きで、
自分もあれこれと文章を書くのが好きなので強く引かれたのでした。

そして何よりも、そのお父さんの文章の中から感じる
お父さんご自身の世界観のなかにMちゃんの持つ精神性が見えました。
なんというか、一言で言えば「善」です。
Mちゃんの世界を美しい目で見つめる力は、
ここから引き継いでいるのだなと納得できました。

そして、出会った「お父さん」
そこにいたのは、本当に面白くて、とっても楽しいお人柄のおじ様でした。
いい意味でバッサリと裏切られました(笑)
Mちゃんの特有の面白さ、間違いなくお父さんと同じものだったんです。
なんか、面白いっていうか、もう笑えちゃって仕方なかったです。
そして、ものすごく、ホッとして、しっくりとなじんだことを覚えています。

「あー、親子って善いなー。
何だかんだいっても親子なんだよなぁ。
血ってすごいよなぁ~」
って思いました。


昔、昔、まだMちゃんが人間ではなくてM星から来たMちゃんだった頃(笑)
私は、「25歳までは可愛い、若いって許されるけど、
そんなんじゃあ、そのうち誰かを怒らすよ!しらないよ!」と言ってました。
それは、MちゃんがMちゃんなりの考え方の上でしか生きてなかったからです。
本人が善いものが善く、悪いものが悪く、
そこの間にいる人のことはあまり見えていなかったのです。

ある日、そんなMちゃんが「あれ?」と思うほど雰囲気が変わりました。
まず、格好が急に変わってきたのです。
いつも自分の好きな格好をしていたMちゃんでした。
そうしていると、Mちゃんがこんな事を話してくれました。

「お父さんにね、お前は○○家の恥だ!って言われたの」
「お母さんにひっぱたかれたの」

びっくりしてよく聞くと、ある時、法事に帰る際に
いつものピンクのオーバーオールを着て出て来たMちゃんに
お父さんが、いきなりそう言って怒鳴ったんだそうです。

そして、ガンかもしれないって病院で言われたお母さんの言葉に
返す言葉がなくて、思わず笑ってしまったら
お母さんがいきなり泣きながらひっぱたいたんだそうです。

でも、Mちゃんの言葉と姿の中から「心の理解」の様子が分かりました。
Mちゃんが話す言葉には「恥ずかしさ」とかではなく
なんというか「大きな愛」がありました。

多分、その時Mちゃんは、お父さんとお母さんの心をしっかり感じることが出来たのです。
それまで、全然別のところにあったお父さんの心やお母さんの心が
自分と共にあるんだということを、自分の魂で理解したのだと思います。
つまり、自分の行動の一つ一つは、自分だけのものでなく、
たくさんの人の思いを表したり、慰めたりすることを学んだのです。
その日から、Mちゃんは落ち着いた服を好むようになり
言葉遣いや人との関わりの中で人をしっかり見るようになりました。
Mちゃんの中に、大事なものが生まれたのです。

同じように私の中にもその話を聞いて大切な想いが生まれました。
私はその時のことを、自分の思い出のように大切にしています。


そんな、お父さん。公演にいらしてくださったり、
メールを下さったり、善いつながりを持たせていただいております。
しばらく病気の療養で臥せっておられましたが、
お元気になって、先日、洗足の工房へお越し下さいました。

いつもと変わらない、いつもにましてお元気で明るく
楽しいお姿に心から嬉しく思いました。
言葉の一つ一つから、子供への深い愛情、
そしてその近くに居る私への友愛を感じました。
そのことに心から感謝しつつ、またこれからもお元気で
そして変わらぬ友情を祈りつつ、お話させて頂きました。
あるエピソードにはカンナちゃんも笑顔で涙してました。

Mちゃんは素晴らしい家族がいます。
そしてその愛をしっかり感じてMちゃんは成長しています。
愛はちゃんと伝わるんですね。


お父さんが何度もシミジミと
「あなたはすごい。こんなに人に恵まれて、夢を生きている」
と言ってくれました。

いっつもいっつも中途半端に苦労してますが、
ああ、それでも真っ直ぐ生きてきてよかったな、
Mちゃんと友達になれて本当によかったなー、と思いました。

私は素晴らしい出会いを頂いて生きています。
いつも誰かが繋がってくれてます。

だからきっと夢を見ていられるんだ。
自分の現実(人から見ると「夢」かな)を生きてられるんだ、
そんな風に強く思ったのでした。

Mちゃんとおとうさん、
そしておかあさん、あったことのない弟さん、
Mちゃんファミリーは私の中で大きな存在です。
私は他人だけど、しっかりとつながってます。

家族って素晴らしい。
人のつながりってすばらしい。
やはりすべては愛の中にあるのですね。
大事なことだなと思いました。