今日から11月になりました。
今朝は秋晴れの良いお天気です。
さて今日もまろぴぴぴさんたちはお元気です。
秋晴れの中、日向ぼっこしては家の中で涼んでいます(笑)

このお三方は非常に仲良子よしなのですが、特にこの二名は仲が良しです。

まろくんとぴぴさんですが、この二人、性格は違うものの
なんと言いますか、行動や考え方がまるで双子の様なのです。
いつも「シンメトリー」もしくは「シンクロ」してます。
仲が良いというのは善いことですな。

《寝ているまろくんを叩き起こすピピさん。
起きないので一緒に寝てしまいました(笑)》
こんなちびっこたちに日々癒されつつ暮らしているワタクシですが
なんだかいろんな検査の中、動脈硬化の進行度で引っかかっちゃったり、
肩こり検診で重度と判断され、またも新たな治療を始めねばなりません。
しかも、メンタルの方でも、うつ症状が顕著でしかも重いとやらで
とうとう、今までのPTSDや不安症に加えて、
うつ病の投薬治療も始まってしまいました…
でもこのところ、相方さんの一周忌も近いせいか、
昨年の事やら何やら、ひたすら思い出し、
さらに病状から、遠方まで出歩けないので一周忌も行けずでへこみ加減の日々。
親しい人の喜ばしいこともまったく喜べなかったり、
先々が不安になりすぎて落ち込んだり、いろいろでしたので
仕方がないのかなぁ~と思いつつも、やっぱりなにかとブルーなワタシでございます。
そんな時、ハロウィンがあり(今年はあえて何もしなかったんですが)
死者との交わりを思い、死者の日のことを思いました。
私は固定の宗教は持ちませんが、友人にはキリスト教のシスターや
仏教の僧侶の方など信仰を持ち祈りの生活をしている方が多くおります。
悪を崇拝するのでもない限り、私は他の宗教を否定しませんし
誰かがその宗教を信ずることも否定しません。
同じように宗教関係なく、善き教えは善きものとして
善き行いはよきものとして、自分の生活の中に取り入れます。
明日はカトリックの暦では「死者の日」になっています。
10年前家族を亡くして以来、8月やお彼岸などと同じように
11月の死者の月に亡くなった方に思いを寄せます。
19日は相方さんの一周忌です。
明日は相方さんの為にも祈りたいと思います。
こうして死を考えるとき、必然的に生きることを考えます。
なぜ自分が生きているんだろう?とか、いろいろです。
そして、こんな状態でも生きていかねばならないなら、
どんなふうに生きるかに思いをはせることになります。
私は本が好きで大好きな本と言うのは本当にたくさんありますが
生と死について書かれた本の中では
三浦綾子さんの「道ありき」
フィンの「アンナの小さな神様」
プラグの「もう一度逢えたら」
シスター鈴木の「死者は語る」
まだまだありますが、こういう本に感銘を受けました。
生き方に関してはディケンズの「クリスマス・キャロル」や
アッシジのフランチェスコの生きざまに強く惹かれるものがあります。
今日はこのフランチェスコ、聖フランシスの話をしたいと思います。
アッシジのフランチェスコは「平和の祈り」で知られるカトリックの聖人です。
この人の人生を語ったものの中で、心に深く残っているのは
「ロミオとジュリエット」で有名なゼッフェレリ監督の映画
「ブラザー・サン シスター・ムーン」です。
私の中では一番と言っていいほどの作品です。
彼は裕福な生まれでありながら、一切の富を捨て清貧に生きた一人の人間です。
その彼を神に導いたのは「ヒバリ」でした。

《映画のワンシーンとカンナちゃん作のフランチェスコドール》
彼は野に咲く花、歌を歌い空を舞うヒバリを見て、
自分もそのように生きたいと願い、そのように生きようとするのです。
Brother sun, sister moon-San Francisco-(Franco Zeffirelli)
《ブラザーサンシスタームーンより、ヒバリによる目覚めのシーン》
そしてこう祈ります。
主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
争いのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りのあるところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
悲しみのあるところに喜びを、
闇のあるところに光をもたらすことができますように。
ああ主よ、わたしに、
慰められるよりも、慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを求めさせてください。
わたしたちは与えるので受け、
ゆるすのでゆるされ、
自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。
最初は家族も人もバカにしますが、裕福な友たちは彼の姿に打たれ
自分たちも次々に富を捨てて神の道に入ります。
St. Francis Prayer - Brother Sun, Sister Moon
《映画より、平和の祈りの歌と聖女クララの入信の決意のシーン》
言葉ではうまく語れませんが、純粋に生きようとする道にまっすぐに
愛を真実に忠実に迷わず進む姿に私は大きな共感を覚えるのです。
特にこの「ヒバリのように自由に愛を歌って生きるだけでいい」
それだけで素晴らしい恵みの中にいるじゃないか、
だからヒバリのように生きたいと願う心に共感します。
ブラザー・サンシスター・ムーン
《映画よりヒバリのように生きる為の法王との対話のシーン》
一部をご紹介しましたが、機会がありましたら
どうぞ映画をご覧になってみてください。
このフランチェスコのヒバリのように生きたいと願う心は
同じように私の中にあります。
人生本当に色々です。できるときもあればできないときもある。
けれど、どんな時にもヒバリの様に生きられるようにと願える心でありたいと思います。
そして、フランチェスコの様にそのための生き方を選べる人間でありたいと思います。
その為の生き方のできる、わが道を信じ、自分から逃げない、
そんな生き方のできる人間でありたいと思います。
今朝は秋晴れの良いお天気です。
さて今日もまろぴぴぴさんたちはお元気です。
秋晴れの中、日向ぼっこしては家の中で涼んでいます(笑)

このお三方は非常に仲良子よしなのですが、特にこの二名は仲が良しです。

まろくんとぴぴさんですが、この二人、性格は違うものの
なんと言いますか、行動や考え方がまるで双子の様なのです。
いつも「シンメトリー」もしくは「シンクロ」してます。
仲が良いというのは善いことですな。


《寝ているまろくんを叩き起こすピピさん。
起きないので一緒に寝てしまいました(笑)》
こんなちびっこたちに日々癒されつつ暮らしているワタクシですが
なんだかいろんな検査の中、動脈硬化の進行度で引っかかっちゃったり、
肩こり検診で重度と判断され、またも新たな治療を始めねばなりません。
しかも、メンタルの方でも、うつ症状が顕著でしかも重いとやらで
とうとう、今までのPTSDや不安症に加えて、
うつ病の投薬治療も始まってしまいました…

でもこのところ、相方さんの一周忌も近いせいか、
昨年の事やら何やら、ひたすら思い出し、
さらに病状から、遠方まで出歩けないので一周忌も行けずでへこみ加減の日々。
親しい人の喜ばしいこともまったく喜べなかったり、
先々が不安になりすぎて落ち込んだり、いろいろでしたので
仕方がないのかなぁ~と思いつつも、やっぱりなにかとブルーなワタシでございます。
そんな時、ハロウィンがあり(今年はあえて何もしなかったんですが)
死者との交わりを思い、死者の日のことを思いました。
私は固定の宗教は持ちませんが、友人にはキリスト教のシスターや
仏教の僧侶の方など信仰を持ち祈りの生活をしている方が多くおります。
悪を崇拝するのでもない限り、私は他の宗教を否定しませんし
誰かがその宗教を信ずることも否定しません。
同じように宗教関係なく、善き教えは善きものとして
善き行いはよきものとして、自分の生活の中に取り入れます。
明日はカトリックの暦では「死者の日」になっています。
10年前家族を亡くして以来、8月やお彼岸などと同じように
11月の死者の月に亡くなった方に思いを寄せます。
19日は相方さんの一周忌です。
明日は相方さんの為にも祈りたいと思います。
こうして死を考えるとき、必然的に生きることを考えます。
なぜ自分が生きているんだろう?とか、いろいろです。
そして、こんな状態でも生きていかねばならないなら、
どんなふうに生きるかに思いをはせることになります。
私は本が好きで大好きな本と言うのは本当にたくさんありますが
生と死について書かれた本の中では
三浦綾子さんの「道ありき」
フィンの「アンナの小さな神様」
プラグの「もう一度逢えたら」
シスター鈴木の「死者は語る」
まだまだありますが、こういう本に感銘を受けました。
生き方に関してはディケンズの「クリスマス・キャロル」や
アッシジのフランチェスコの生きざまに強く惹かれるものがあります。
今日はこのフランチェスコ、聖フランシスの話をしたいと思います。
アッシジのフランチェスコは「平和の祈り」で知られるカトリックの聖人です。
この人の人生を語ったものの中で、心に深く残っているのは
「ロミオとジュリエット」で有名なゼッフェレリ監督の映画
「ブラザー・サン シスター・ムーン」です。
私の中では一番と言っていいほどの作品です。
彼は裕福な生まれでありながら、一切の富を捨て清貧に生きた一人の人間です。
その彼を神に導いたのは「ヒバリ」でした。


《映画のワンシーンとカンナちゃん作のフランチェスコドール》
彼は野に咲く花、歌を歌い空を舞うヒバリを見て、
自分もそのように生きたいと願い、そのように生きようとするのです。
Brother sun, sister moon-San Francisco-(Franco Zeffirelli)
《ブラザーサンシスタームーンより、ヒバリによる目覚めのシーン》
そしてこう祈ります。
主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
争いのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りのあるところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
悲しみのあるところに喜びを、
闇のあるところに光をもたらすことができますように。
ああ主よ、わたしに、
慰められるよりも、慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを求めさせてください。
わたしたちは与えるので受け、
ゆるすのでゆるされ、
自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。
最初は家族も人もバカにしますが、裕福な友たちは彼の姿に打たれ
自分たちも次々に富を捨てて神の道に入ります。
St. Francis Prayer - Brother Sun, Sister Moon
《映画より、平和の祈りの歌と聖女クララの入信の決意のシーン》
言葉ではうまく語れませんが、純粋に生きようとする道にまっすぐに
愛を真実に忠実に迷わず進む姿に私は大きな共感を覚えるのです。
特にこの「ヒバリのように自由に愛を歌って生きるだけでいい」
それだけで素晴らしい恵みの中にいるじゃないか、
だからヒバリのように生きたいと願う心に共感します。
ブラザー・サンシスター・ムーン
《映画よりヒバリのように生きる為の法王との対話のシーン》
一部をご紹介しましたが、機会がありましたら
どうぞ映画をご覧になってみてください。
このフランチェスコのヒバリのように生きたいと願う心は
同じように私の中にあります。
人生本当に色々です。できるときもあればできないときもある。
けれど、どんな時にもヒバリの様に生きられるようにと願える心でありたいと思います。
そして、フランチェスコの様にそのための生き方を選べる人間でありたいと思います。
その為の生き方のできる、わが道を信じ、自分から逃げない、
そんな生き方のできる人間でありたいと思います。