KOFUKUの家から

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南のちいさな森の家にて
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ご当地ヒーロー*薩摩剣士隼人

2011-11-06 | KOFUKU日記
11月も早いもので一週間が過ぎようとしています。
相方さんの一周忌まで2週間を過ぎました。
なんだか思い出すことばっかりで落ち込みすぎてしまうので、
敢えてここには相方さんも好きそうな、喜んでくれそうな
できるだけ楽しいことを書いていこうと思います(^^)

そのまえに、今日のちびさんたち(^^)
 
《ちびさんたちは今日もお元気。家族に愛されております》


さてさて、いま流行のゆるキャラ、とやら。
東京にいる時はあまり気になっていませんでしたが
やはり田舎に戻ってきますと、他県から何十年ぶりの帰郷のせいか
地元人よりも地元のいろいろなことが気になったりします。
だけどやっぱり地元の人間なので、より地元っぽいものに反応します(笑)

今、我が家全員でハマっているのが「ご当地ヒーロー」とその仲間のゆるキャラさんたち。
「薩摩剣士隼人」(さつまけんしはやと)デス!!

 
《隼人のポスターと薩摩隼人の像と一緒の隼人とつんつん》


《こんなパンも売っています~》

ご当地ヒーローとはいいますが、結構かっこいいでしょ?
今、毎週テレビシリーズをやっていて、家族で楽しみに見ています。
どんなお話しかと言うと~。

《番組のあらすじより》
南の国・鹿児島では、古来よりボッケモンと呼ばれる精霊たちが、人々と共に暮らしていた。
行方不明になった伝説のボッケモン「ダイサイゴー」を探して鹿児島県内を旅する薩摩犬「つんつん」。
一方、吉野の山では、大石兵六に退治された狐一族の守護神「ヤッセンボー」が復活した。
人々を救うべく立ち向かうボッケモンたち、しかしヤッセンボーの魔力はあまりに強大であった。
もはや絶体絶命のその時、太鼓の響きと共に現れた謎の剣士!その名は...
「薩摩剣士・隼人!!」
鹿児島の自然を愛し、伝統・文化を愛し、郷土料理に目が無い、
強く優しい薩摩のヒーロー・隼人の示現流が冴えわたる!
今、鹿児島の未来をかけた戦いの火蓋が切って落とされた!

せっかくなので、動画もどうぞ(^^)

薩摩剣士隼人


こんな感じで、鹿児島弁バリバリのご当地ヒーローなのであります。
薩摩犬のつんつんや吉野のこぎつね・こんこんなどのゆるキャラも可愛い。
毎回、県内のいろんな場所で撮影をしていて、鹿児島情緒あふれる番組です。

薩摩剣士隼人の頭のマークは県の形をひっくり返したもの。
胸には薩摩十字。
作品の中のナレーションにも出てきますが、
薩摩十字には異なった道にあるものを交わらせ輪を結ぶ、
という意味があります。

隼人は敵にも愛を道を唱え、携えたその剣には刃はなく人を切ることはありません。
まだ子どものつんつんとこんこんは隼人やいろいろな精霊たち
「ぼっけもん」の優しさや強さに触れて、成長していきます。
まったりで、お笑いたっぷりな番組ですが、芯はしっかりしたものがあります。
鹿児島気質をあますところなく伝えてくれる貴重な番組・キャラクターだと思っています。

番組の真ん中を貫く隼人やぼっけもんの性格には「敬天愛人」の教えが生きています。
敬天愛人は西郷隆盛の教えとして有名ですが、鹿児島人の心でもあります。
あと、目上の者が目下の者に道を教えていく姿。

鹿児島には、『郷中教育』という薩摩藩の伝統的な縦割り教育がありました
(『ごじゅうきょういく』、または『ごうじゅうきょういく』とも呼ばれます)。
郷中とは、町内の区画や集落単位の自治会組織のことで、今でいう町内会と考えればいいでしょう。

郷中は、青少年を「稚児(ちご)」と「二才(にせ)」に分けて、
勉学・武芸・山坂達者(やまさかたっしゃ、今でいう体育・スポーツ)を通じて、
先輩が後輩を指導することによって強い武士をつくろうとする組織でした。

年長者は年少者を指導すること、年少者は年長者を尊敬すること、
負けるな、うそをつくな、弱い者をいじめるなということなどを、
人として生きていくために最も必要なこととして教えました。
これは時代の流れで、武家だけでなく、そのまま薩摩の文化の中に残りました。

たとえば、年末近くになると、赤穂浪士のお話を聞きに行ったりするのです。
昔、と言っても私たちの父母の時代までは郷中教育が生きていて
七高生(今の大学生)にお勉強を教えてもらったりしたそうです。

たしかに鹿児島では目上の方であれば、お名前を知らない方でも親しみと尊敬の念をこめて
「あんさん」(お兄さん)「ねえさん」(お姉さん)と呼んで敬います。
私はこの薩摩人気質はとってもいいなと思っています。

敬天愛人は西郷隆盛の教えとして有名です。
これは薩摩人であれば必ず教えられるものです。
私もこの教えを大事にしたいと思っている一人です。

敬天愛人の教えとはどんな内容かと言いますと~、

■ 敬天愛人の教え

  道は天地自然の物にして、人はこれを
  行うものなれば天を敬するを目的とす。
  天を敬い人を愛し、天を知り、己を尽くし、
  人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ねるべし。

  
  即ち天とは、宇宙を含め、天地自然の道であり、人の道である。
  故に天地自然を敬うは天意である。

 

  天は人も我も、同一に愛し給うゆえ
  我を愛する心を以って、人を愛するなり。


  この道は、総てに通じ、幾多の辛酸を歴た、西郷隆盛の教えである。
 


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敬天愛人 考



敬・・・うやまう つつしむ いましむ

敬天・・天を敬う

敬神・・神を敬う

   「易経に敬以って内を直する」「義以って外に方(むかう)う」とあり。

敬愛・・敬い、いつくしむ事

敬虔・・慎む事

    茶道の方では「和敬静寂」

敬慎・・天の怒りを慎み敢えて戯豫せず  戯豫は遊び戯れる事



天(神、見えざる偉大な存在)と仏(親や先祖)と
人(先輩、後輩、妻、子供)を心から深く敬う事。
それは、人の持つ魂を深く啓することである。
敬を深めることにより人格が深まる。



敬天・・大いなるものを敬う事である。

    本来は儒教の言葉である。

天とは・宇宙であり神であり仏でありサムシンググレイトである。

    大いなるものの前では人間は謙虚でなければならない。


天・・あめ そら 造化の神 天神 上帝

天命・めぐり合わせ 運命

天帝・天の主宰 万物造化の神

天恩・天使のご恩

天倫・自然の常 人倫

天佑・天の助け

天理・天地の万物に通づる道

天誅・天誅組



日本人は天をあめといった。宇宙を表現するためにあめつち(天地)と言う。

日本人の深層意識の中にも当然、神聖にして大いなる存在であるという観念が
あって、古代中国の祭典の祭儀に通る際祀があるという。

天命は民意を媒介して表現され、敬天とは民を敬うことを強く意識したものである。



愛・・いつくしむ したしむ めぐむ 憐れむ

博愛・広く平等に愛すること 「博愛これを仁と言う」

公愛・公衆を愛すること。

愛人・公愛である。

   他者を愛することは、普遍の愛を実践することである。

   
人・・天地の性最も貴きものなり。

人格・人柄 人の品格

人望・信頼できる人物として、人々から慕われ仰がれること。

人情・人の思い。

天が与えてくれた人としての命は尊く、生かさなければ天意に背くことなり。



この敬天愛人の教えに加えて、
「泣こかい、飛ぼかい、泣くよか、ひっ飛べ!」
(恐れに泣こうか、それとも恐れるよりやってしまおうか、
泣いてしまうくらいなら、やってやろう!の意)
と言った鹿児島人気質を具体化したご当地ヒーローが
「薩摩剣士隼人」なのです。
インターネットでも見られるので、ぜひ一度ご覧ください(^^)