太陽と土と水を/坂本九
「太陽と土と水を」
人さまは力があれば幸福が つかまえられると考えた 力をたくわえた
人さまは力があれば幸福が つかまえられるとやってみた 力は消えうせた
力は知恵に負けた 力は消えた
力は知恵に負けた 力は消えた
人さまはお金があれば幸福が つかまえられると考えた お金をたくわえた
人さまはお金があれば幸福が つかまえられるとやってみた お金は消えうせた
お金は知恵に負けた お金は消えた
お金は知恵に負けた お金は消えた
人さまは知恵があれば幸福が つかまえられると考える 知恵を働かす
人さまは知恵があれば幸福が つかまえられるとやってみる 知恵はただひとつ
太陽と土と水を この手でさがそう
太陽と土と水を この手でさがそう
太陽と土と水を この手に持とう
太陽と土と水を この手に持とう
*************************************

《今日もピーちゃんたちは光の中元気です》
今日は117、阪神大震災が起きた日です。
あの日の朝、私たちは須磨の小学校に公演に行く予定でした。
7時ごろ、集合場所で行けるかどうかの判断を待っていると
明石出身の運転手の子が来て、地震があったんだよと告げると、
あわてて家族の安否確認に行ったことをよく覚えています。
結局、一日遅れて、関西より西の学校に行くことになった私たちは
死者の数が増えるラジヲを聞きながら、
車でぼこぼこに隆起したブルーシートのかかる家々が並ぶ
宝塚辺りを黙とうを繰り返しながら進んだことを覚えています。
いまだ、悲しみ深くいらっしゃるご家族様と
帰天された魂に心よりお祈り申し上げます。
昨年、311の震災が起き、原発事故が起きたとき、
買占めの続く関東で、思い出したのはこの曲でした。
あのころにブログに乗せようとクリップしたけれど、
ひとつの面があるように、反対やいろんな方向に面があり
いろいろな感情を持たれて、つらい思いをする人もいるかも…
そう思って、ご紹介をやめたのでした。
10か月がたち、それぞれに選ぶべきものも見えてきたはずの昨今、
もうそろそろ私の中にあるものとして紹介してもいいかな、
と思いましたので載せてみました。
この歌は私の中に大きな思いを抱かせてくれた事は確かで
そういう思いが高まり、力になって、いま私は関東を出て南にいます。
この緊急時だからこそ、真実に大切にすべきものがあり、
その中にしか、私のしたいことも存在できない、と感じたからです。

《ピピちゃん、お空の鳥さんと会話中》
私の本職はミュージカルの役者ですが、
芝居はお客様が居なくては成立しない世界です。
そして人間は、衣食住、どれが欠けても生きていけません。
衣食住はこの世界の自然からの救けによって成り立っています。
その自然がなくなったら、私の住む世界も亡くなる、そう思いました。
私から芝居を取ってしまったら、実は何にも残りません。
そのくらい、お芝居バカです。
「あんた、最近、板乗ってないじゃん」
つってくる人もいるでしょう。
やんなきゃ意味ないと考える方も多いし、
実際、そういわれたこともあるし。
でも私はぜんぜん、そうは思わない。
本当の芝居バカだから、真の才能を理解出来て、自分の才がわかり、
人に道をあけることが出来て、裏にたってわが身を消しても
才能ある人を支えることが出来るのだと私は感じています。
そして、何がなくても私は役者として生きられる自覚がある。
それは舞台や場所やギャラがなきゃ役者で居られない人より
私にとっては大事なことデス。
私は本当に芝居が好きだから、芝居が良くなる事が大事。
何よりお客さんが喜んでくださることが大事。
たぶん、私は自分より芝居が好きなんですね。
まあ、人より先に芸術に魅入られて
芸術の魂と結婚しちゃった人種だからでしょうね~。
そして究極、自分自身の役者としてのあり方として、
「私は作品や小屋(劇場)や金銭に寄って演じるのではなく
人が真に守るべきものを出来る限り大事にしながら、
どのような環境にあっても、自身がやるべき時に、求められたとき、
人が必要としたときに、いつでも演じられるような役者になろう。
どんな役者と言うならば、わたしはそんな役者で居たい。」
と思ったのでした。
大きな作品や人の中で生きることも魅力だし大切だったけれど
わが身を一つにして生きていた人も帰天して独りとなり
自分のできることを考えたとき、それがいいと思ったのです。
だから、生きる場を変えて帰ってこれたのです。

《雨が上がってお庭に出るのがうれしいまろたん》
こちら、南の国に戻ってきて、確かに関東圏
被災地との感覚の大きな違いを感じます。
311でも全く揺れのなかった場所では
地震や原発事故は遠い国の事としか感じられないのですね。
ただ関心はあります。
実際、こちらの方も東北産のものには躊躇があります。
ある意味、見えないから感じないし、見えないから気になる。
そんな感じかもしれません。
そんな中で、病んでる身の上でも、家の中に居ても
なにかできることはないだろうかと考えていたんです。
私はもともと保存食とか作るのが好きでよく作ってましたが
それはやっぱり食べてくれる人や喜んでくれる人がいるからで
相方さんが帰天してからは、それもなんかつらくなってしまい…。
でも人のちからはすごいですねぇ。
やっぱり周りに人がいると、つくろっかなぁって気持ちになり
昨年末は一年半ぶりにキンカン煮を作りました。
そしたらなんだかほっこり幸せな気持ちになりました。
そしたら今日、日ごろ、いろいろ内部被ばく対策を
教えて下さる方々がつぶやいいているのを聞きまして
私もこれなら、できて、周りの人や誰かの役に立てるかな?
と思ったのが「薬草茶」作りです。
いつも漢方薬を教えて下さる方が、お茶つくりも丁寧に教えて下さるので
是非今年は薬草茶つくりやハーブを育てて生活に取り入れていきたいなと。
もしなんらかの時に周りにシェアもできたらいいなぁと思います。
秋にまいたハーブも伸びてきたし。

《頑張って伸びるカモミールちゃん》

《フェンスの向こうは自然公園のお山なのです》
仕事柄、父が毎日、車で走り回るので、
くっついていった時に素材集めもできるし、
庭には紫蘇とかドクダミとかぽこぽこ生えてくるし。
家はお城あとのある自然公園の中にあるようなもので
いろいろな植物が道端のあちらこちらで見つかるし。
なにか人様の役に立つこと、わが身を助けることのできる事
そういうのを細かにやりながら、これからは過ごしていきたいなー。
昨年、親友大ちゃんがビワの葉エキスを作っておくってくれて
本当に嬉しかったのですが、作る気力までは起き上がらずでした。
今年は是非作ってみようかなぁ~、って思えます。
10年前、最初のパートナーを突然にこの世から失い、
それまで縁のなかった自然を愛する人の中で暮らしました。
北海道でシュタイナーと言う世界に足を踏み入れ
その暮らしの中で自然と向き合い、毎日、この歌を歌いました。
「♪太陽と雨と人の手が育てた
めぐみの食べ物 神様 ありがとう♪」
注*シュタイナーでは全てをつかさどる力、
サムシンググレートに対し敬意を込め、
その自然とエネルギーや光の総称として「神様」を使います。
宗教による意識をもって呼ぶものではありません
自然とのつながりは10年の時を経て私の中に沁みこんでいきます。
いま、本当にこの歌が歌える気がします。
そしてこういう、いろいろな事が周りの私に対する見方に反して
私の中の役者の部分も変わらずにさらに育ててくれていると思うのです。
世のためにと言っても自分に何ができるかわからないけど、
少しずつでいいので、動いていきたいと思います。
ちなみに赤紫蘇茶や熊笹茶は被ばく対策にとても効果があるそうです。
安全な材料で、安心なものを作れたらいいなぁ。
そしてみんなに分けられたらもっといいなぁ。
「太陽と土と水を」
人さまは力があれば幸福が つかまえられると考えた 力をたくわえた
人さまは力があれば幸福が つかまえられるとやってみた 力は消えうせた
力は知恵に負けた 力は消えた
力は知恵に負けた 力は消えた
人さまはお金があれば幸福が つかまえられると考えた お金をたくわえた
人さまはお金があれば幸福が つかまえられるとやってみた お金は消えうせた
お金は知恵に負けた お金は消えた
お金は知恵に負けた お金は消えた
人さまは知恵があれば幸福が つかまえられると考える 知恵を働かす
人さまは知恵があれば幸福が つかまえられるとやってみる 知恵はただひとつ
太陽と土と水を この手でさがそう
太陽と土と水を この手でさがそう
太陽と土と水を この手に持とう
太陽と土と水を この手に持とう
*************************************


《今日もピーちゃんたちは光の中元気です》
今日は117、阪神大震災が起きた日です。
あの日の朝、私たちは須磨の小学校に公演に行く予定でした。
7時ごろ、集合場所で行けるかどうかの判断を待っていると
明石出身の運転手の子が来て、地震があったんだよと告げると、
あわてて家族の安否確認に行ったことをよく覚えています。
結局、一日遅れて、関西より西の学校に行くことになった私たちは
死者の数が増えるラジヲを聞きながら、
車でぼこぼこに隆起したブルーシートのかかる家々が並ぶ
宝塚辺りを黙とうを繰り返しながら進んだことを覚えています。
いまだ、悲しみ深くいらっしゃるご家族様と
帰天された魂に心よりお祈り申し上げます。
昨年、311の震災が起き、原発事故が起きたとき、
買占めの続く関東で、思い出したのはこの曲でした。
あのころにブログに乗せようとクリップしたけれど、
ひとつの面があるように、反対やいろんな方向に面があり
いろいろな感情を持たれて、つらい思いをする人もいるかも…
そう思って、ご紹介をやめたのでした。
10か月がたち、それぞれに選ぶべきものも見えてきたはずの昨今、
もうそろそろ私の中にあるものとして紹介してもいいかな、
と思いましたので載せてみました。
この歌は私の中に大きな思いを抱かせてくれた事は確かで
そういう思いが高まり、力になって、いま私は関東を出て南にいます。
この緊急時だからこそ、真実に大切にすべきものがあり、
その中にしか、私のしたいことも存在できない、と感じたからです。

《ピピちゃん、お空の鳥さんと会話中》
私の本職はミュージカルの役者ですが、
芝居はお客様が居なくては成立しない世界です。
そして人間は、衣食住、どれが欠けても生きていけません。
衣食住はこの世界の自然からの救けによって成り立っています。
その自然がなくなったら、私の住む世界も亡くなる、そう思いました。
私から芝居を取ってしまったら、実は何にも残りません。
そのくらい、お芝居バカです。
「あんた、最近、板乗ってないじゃん」
つってくる人もいるでしょう。
やんなきゃ意味ないと考える方も多いし、
実際、そういわれたこともあるし。
でも私はぜんぜん、そうは思わない。
本当の芝居バカだから、真の才能を理解出来て、自分の才がわかり、
人に道をあけることが出来て、裏にたってわが身を消しても
才能ある人を支えることが出来るのだと私は感じています。
そして、何がなくても私は役者として生きられる自覚がある。
それは舞台や場所やギャラがなきゃ役者で居られない人より
私にとっては大事なことデス。
私は本当に芝居が好きだから、芝居が良くなる事が大事。
何よりお客さんが喜んでくださることが大事。
たぶん、私は自分より芝居が好きなんですね。
まあ、人より先に芸術に魅入られて
芸術の魂と結婚しちゃった人種だからでしょうね~。
そして究極、自分自身の役者としてのあり方として、
「私は作品や小屋(劇場)や金銭に寄って演じるのではなく
人が真に守るべきものを出来る限り大事にしながら、
どのような環境にあっても、自身がやるべき時に、求められたとき、
人が必要としたときに、いつでも演じられるような役者になろう。
どんな役者と言うならば、わたしはそんな役者で居たい。」
と思ったのでした。
大きな作品や人の中で生きることも魅力だし大切だったけれど
わが身を一つにして生きていた人も帰天して独りとなり
自分のできることを考えたとき、それがいいと思ったのです。
だから、生きる場を変えて帰ってこれたのです。

《雨が上がってお庭に出るのがうれしいまろたん》
こちら、南の国に戻ってきて、確かに関東圏
被災地との感覚の大きな違いを感じます。
311でも全く揺れのなかった場所では
地震や原発事故は遠い国の事としか感じられないのですね。
ただ関心はあります。
実際、こちらの方も東北産のものには躊躇があります。
ある意味、見えないから感じないし、見えないから気になる。
そんな感じかもしれません。
そんな中で、病んでる身の上でも、家の中に居ても
なにかできることはないだろうかと考えていたんです。
私はもともと保存食とか作るのが好きでよく作ってましたが
それはやっぱり食べてくれる人や喜んでくれる人がいるからで
相方さんが帰天してからは、それもなんかつらくなってしまい…。
でも人のちからはすごいですねぇ。
やっぱり周りに人がいると、つくろっかなぁって気持ちになり
昨年末は一年半ぶりにキンカン煮を作りました。
そしたらなんだかほっこり幸せな気持ちになりました。
そしたら今日、日ごろ、いろいろ内部被ばく対策を
教えて下さる方々がつぶやいいているのを聞きまして
私もこれなら、できて、周りの人や誰かの役に立てるかな?
と思ったのが「薬草茶」作りです。
いつも漢方薬を教えて下さる方が、お茶つくりも丁寧に教えて下さるので
是非今年は薬草茶つくりやハーブを育てて生活に取り入れていきたいなと。
もしなんらかの時に周りにシェアもできたらいいなぁと思います。
秋にまいたハーブも伸びてきたし。

《頑張って伸びるカモミールちゃん》

《フェンスの向こうは自然公園のお山なのです》
仕事柄、父が毎日、車で走り回るので、
くっついていった時に素材集めもできるし、
庭には紫蘇とかドクダミとかぽこぽこ生えてくるし。
家はお城あとのある自然公園の中にあるようなもので
いろいろな植物が道端のあちらこちらで見つかるし。
なにか人様の役に立つこと、わが身を助けることのできる事
そういうのを細かにやりながら、これからは過ごしていきたいなー。
昨年、親友大ちゃんがビワの葉エキスを作っておくってくれて
本当に嬉しかったのですが、作る気力までは起き上がらずでした。
今年は是非作ってみようかなぁ~、って思えます。
10年前、最初のパートナーを突然にこの世から失い、
それまで縁のなかった自然を愛する人の中で暮らしました。
北海道でシュタイナーと言う世界に足を踏み入れ
その暮らしの中で自然と向き合い、毎日、この歌を歌いました。
「♪太陽と雨と人の手が育てた
めぐみの食べ物 神様 ありがとう♪」
注*シュタイナーでは全てをつかさどる力、
サムシンググレートに対し敬意を込め、
その自然とエネルギーや光の総称として「神様」を使います。
宗教による意識をもって呼ぶものではありません
自然とのつながりは10年の時を経て私の中に沁みこんでいきます。
いま、本当にこの歌が歌える気がします。
そしてこういう、いろいろな事が周りの私に対する見方に反して
私の中の役者の部分も変わらずにさらに育ててくれていると思うのです。
世のためにと言っても自分に何ができるかわからないけど、
少しずつでいいので、動いていきたいと思います。
ちなみに赤紫蘇茶や熊笹茶は被ばく対策にとても効果があるそうです。
安全な材料で、安心なものを作れたらいいなぁ。
そしてみんなに分けられたらもっといいなぁ。