《いつもの海で自由に遊ぶチビさんたち(#^.^#)》
昨日、ソウルメイトの命日も過ぎ、ひきこもりすぎていたので
チビ達と一緒にじいちゃんの営業(骨董探し&販売)
にくっついて、南の田舎の方に行ってきました。
《ママのお膝の上でドライブ中のまろたん王子さま》
一ヶ月半くらいぶりの田舎探索でしたが、
枯葉色だった野山はすっかり緑色に変わり、
あちこちの庭で木蓮やこぶしや桃の花などが満開で
沈丁花のいい香りがあたりに立ち込めていて
田んぼの縁には菜の花やれんげ草もちらほらと咲いていました。
お散歩で草むらに入り込んだチビ達には早速ノミちゃんが飛びつき(-_-;)
なぜか、私も結構な攻撃を受け、ノミに噛まれ傷だらけになり(~_~;)
あらら、ほんとにもうすっかり春なんだ~なと実感デス(笑)
早くフロントラインしなくっちゃ~。
《知らない間に野山は緑色に変わっていました♪》
さて、今週はずーっと雨だったのですが、
今日も午前中ずっと雨で街中のアパートで一日を過ごしました。
もともと私の住んでいるアパートは以前家族が住んでいたところなので
今も妹アムさんや甥っ子は仕事場や学校が私のアパートのすぐ近くに通っています。
それで毎朝、じいちゃんが家族とチビ達とを車で実家から送ってきます。
私のおうちで朝ごはんを食べて、それから出勤通学いたします。
じいちゃんは私の家や実家に戻って骨董の直しをしたり
営業や買い付けに車でめぐるわけなんですが、
時折、そのままアムさんや甥っ子が帰ってくるまで
私のアパートで待ってることもあります。
今日は雨だったので、じいじはちびっ子たちと遊びつつ
我がアパートで韓流ドラマや映画等見ながらお休みでありました。
《ぴーちゃんはじいじとソファーでお昼寝》
《ぴぴたんもいつものごとく、自由に爆睡(笑)》
私はずっとテレビをつけない生活をしていたせいか、
自分一人の時は目的の番組がなければ滅多にテレビを観ませんが
じいちゃんや家族はテレビが大好きなので、
一緒にいると観てなくてもついていたりします。
今日もじいちゃんがうとうと寝てしまった際にもそのままついていて
11日が震災一年目でもあるせいか、立て続けに311の番組を目にしました。
あれから一年、本当に時が経つのは早いんだなと思います。
短いようですが、この日本は大きな変化をしたように思います。
私自身も相方さんの帰天についで、あの大地震で大きな変化を迎えました。
地震のあと、2度の引越しをして、今はここにいます。
私は関東に住んでましたが、うちの辺りは地盤や立地のせいなのか
建物のせいなのか、本当にすごい揺れで、万一を覚悟しました。
発表の震度は5弱でしたが、近所の幼稚園の震度計は7でした。
あの揺れとそのあとの余震に眠れない日々が続きました。
相方さんが居なくなって独りになり、不安症に加えてあの地震で
極度の地震恐怖症と地震酔い症候群に陥ったのですが
それは余震の影響がないここに来ても、なかなか治りません。
ほんのちょっとの揺れでも、ものすごく揺れてる感じがするし
緊急地震情報に近い音が流れると身構えてしまいます。
チビ達も同じで、そんな音がすると、すぐに走ってきて私の膝に飛び込みます。
しょっちゅう「揺れた!」と言っては家族に
「揺れてないって」と言われ笑われてます(;^ω^)
でも、やっぱりあの揺れは体験した人でないとわかんないだろうなぁ。
そして沢山の方々が尊い命を失われてしまいました。
予期せず突然に大事な人を失う、未来を、すべてを失う悲しみは
近い過去に同じような大事な人を突然失う経験をし、
そして今また相方さんを亡くしたばかりの私には
自分の身の上と同じ現実として感じられました。
相方さんが亡くなって、そして震災があって
私はそれこそ貪るように天国にまつわる話を求めました。
死にゆく人の話、死後の話をたくさん読みました。
私は死後の魂を信じています。
もともとちょっとした霊感体質で、それなりの経験があり、
祖母もおじも霊能者としての実績がありましたし、
相方さんも同じように霊的な体質の人でしたし、
先日命日むかえたソウルメイトに関しては、
仕事としてもできるほどの能力がありました。
友人にもそれをお仕事にしている人もたくさんいます。
だから向こうの世界は多分ほかの人より身近です。
それでも、なぜ自分にそんなことが分かるのかわからないように
見えない世界は見えないし、わからないことはわからないのです。
私にはわかることしかわからない。
だからわからないことを知ってる人に聞きたいという感じで
自分が信じられる人の本を読んだり、言葉を聴いたりしました。
時にそういった内容に救われることもありました。
何かの助けになるかわかりませんが、少し書いてみますね。
私が聴いた天国では、今回のような突然死や病気等の死で向こうに帰ると
とても手厚く迎えられて、その苦しみが癒されるまで
病院のようなところに入ったりして、とても大切に扱われるのだそうです。
すべての罪は許されて、そして自分も全てを許してその世界に入るとか。
そんな中で今世での自分のことを振り返り、
そして次の目標を定めたりして過ごすのだそうです。
柔らかいピンクやオレンジの光がとても綺麗なところで
想念でなんでも思うことができるそうです。
もちろん、動物たちも同じように癒されるのだそうです。
人生はなくなって終わるものではなく、
この世のことを向こうに持って行って続きをして
ひとつの人生の終わりを迎えて、新しい人生を決めるとか。
その終わりを迎えるためにも、未来を迎えるためにも
そことこことは繋がっているそうです。
その方々と関わった私たちの今の日々の生活や思いが
そのまま向こうに行った人々の人生の続きに繋がっていて、
私たちが何かを学ぶとその人たちもその行い(人生)を見て
一緒に体験して、学び成長できるのだそうです。
実は相方さんが向こうに帰ったとき、
私は本当に悲しくてボロボロになって泣いていたら、
突然、目の前に相方さんの姿をはっきり見たのです。
相方さんは同じようにボロボロ涙をこぼし、
それを拭いながら右往左往していていました。
どうしよう、どうしようと言うように泣きながら歩いていました。
それを見て、
「ああ、死んじゃって悲しいのは自分だけじゃないんだ、
向こうから見てもこっちが死んじゃったのと同じなんだ、
もう会えなくなっちゃった、どうしよう、って悲しいんだ。
だって、お互い、もう今までどおりじゃなくなるんだもん」
とはっきり分かったのです。
あの日、そういう人たちがたくさん居たはずです。
この世でもあの世でも。
でも、この経験から、やっぱり二つの世界はつながってるんだとも実感したのです。
もう触れることも、見ることもできないけど、ちゃんと居るんだって。
だから、私はよく相方さんのことを考えます。
返事はなくても語りかけます。
きっと向こうに伝わると思うからです。
たぶん、向こうも同じだと思います。
私はつながっていたいなぁと思っています。
たとえ、見えずとも聞こえずともそこにいることを
必死で感じようとする人で生きていたいです。
思想家のシュタイナーの瞑想と祈りの中に
「死者への祈り」というのがあります。
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「死者のための祈り」
私の心のあたたかな命が
あなたの魂のもとへと流れます
霊なる世界の中で
あなたの寒さをあたためる為に
あなたの暑さをやわらげる為に
私の想いがあなたの想いの中に
そして、あなたの想いが
私の想いの中に生きますように
(ルドルフ・シュタイナー)
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この祈りのように向こうの世界に思いを持っていたいです。
人生を通して魂は永遠かもしれないけれど、
今の人生は一度きりであることを感じました。
あの世でもこの人生が続くといっても、
この人生は間違いなく一度きりです。
そして震災や相方さんやソウルメイトたちの死を通して
今を生きるということの大切さを学んでいます。
これだけいろんなことが自分の身に起こると
なかなか未来に対して希望を持ったりだとか
安心感を得ることはできず、どちらかというと
悲観的な気持ちになってしまうことが多いのが事実です。
それでも、それでも私は毎日を大事に生きたいと思っています。
あの人ではなく、私が生きて行かねばならぬのなら
大事に生きていかねばならないと思います。
今日、私が生きているのは、ただラッキーなだけかもしれず
明日、私も終わるかもしれないのだから。
大事な人たちがこうして生かしてくれているのだから
今がどんなにダメな状況でも、精一杯生きたい。
生きねばならないと思う。
中途半端な気持ちややり方で生きていくなんて申し訳なさすぎる。
せめて、思いだけでも精一杯で生きていたいデス。
私の決意と重なる詩があります。
「二度とない人生だから」
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでゆこう
無心の耳を
かたむけてゆこう
二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないように
こころしてゆこう
どんなにか
よろこぶことだろう
二度とない人生だから
一ぺんでも多く
便りをしよう
返事は必らず
書くことにしよう
二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう
二度とない人生だから
つゆぐさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう
二度とない人生だから
のぼる日しずむ日まるい月かけてゆく月
四季それぞれの
星々の光にふれてわがこころを
あらいきよめてゆこう
二度とない人生だから
戦争のない世の実現に努力し
そういう詩を
一篇でも多く作ってゆこう
わたしが死んだらあとをついでくれる
若い人たちのために
この大願を書きつづけてゆこう
(By 坂村真民)
この詩のように私も私らしく生きていこうと思います。
私らしくが決して自分本位や自分勝手にならないように。
私は小さい人間だから、できるだけ道を間違えないように
あえて痛みを感じても、学べる方を選びたいと思う。
弱い人間という立場や幸せという定義に惑わされないように。
自分を愛することを勘違いして、弱さやいい加減さを
仕方ないわと許すような自分にだけはなりたくない。
目先だけの日々に生きることにとらわれず、
周りのことも考えながらネイティヴアメリカンのように
7代先の人に善きことを残せるような、
人にも自然にも自分にも、そんな深い愛と思いやりを持って、
今日の自分の日々を大事に生きられるようになりたい。
最愛の相方さんが生前教えてくれたように、
しっかり前にいる相手を見つめて生きていたい。
相手の言葉に、思いに、動きにしっかりと答えなければ。
それが自分を見つめるということなのだから。
ソウルメイトの鎧ちゃんが教えてくれたように
思いも行いも全ては自分に帰ってくるのだと肝に銘じたい。
すべての結果は全て自分に責任があるのだとしっかり理解しなければ。
二人が教えてくれたように、愛は真実だとしっかり感じていたい。
だから、私は私の言葉をしっかりとはっきりと話していこう。
だから、私は私の思いをしっかりとはっきりと伝えていこう。
それは向こうの大切な人とつながっているのだから
愛を精一杯、生きていかなければと思っています。
311を前に、この日々を今なお苦しまれているご遺族や
天国で見守っておられる多くの方たちに、
そして同じように天に行かれた人の間で揺れておられる
多くの人々のためにお祈りしたいと思います。
今日もすべての生きとし生けるものが
愛に満たされる日でありますように