
【在りし日の鎧くん。彼の愛したミュージカルエンターテイメントカフェMUSAにて】
3月7日の祐木鎧くんの10回目のメモリアルディに寄せて
多くの方からのメッセージやお墓へお参り頂きました。
メッセージなどは残らず、お母様にお届けいたしました。
10年という年月を祐木鎧というアーティストと
公私ともに暮らした家族の一人として、
ひとつの世界を共に作りげてきた仲間の代表として、
皆様に心より御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
以下は祐木鎧くんのお母様、横田清香さんよりのお言葉です。
「皆様からのメール見せて頂きました。
またご訪問も頂き、驚きつつも大変嬉しく思いました。
本当に嬉しく元気が出ました。
皆様に心より感謝申し上げますm(_ _)m きよか 」
鎧ちゃんのあのチャウチャウ犬見たいな笑顔が目に浮かびますね。
きっと、大喜びだったことと思います。
向こうで相方さんにも、いつもの調子で
「どう、米ちゃん?俺って人気もんやろ?
いや~、人気者はつらいね!」
って、相方さんにわしゃわしゃ話しかけて、
米「もう、ガイ、朝からうざいわ~!」
鎧「そんなん、言わんくてええやんけ!(泣)
命日一年に一度やし、ノッてくれてもええやん!」
米「さがっていなさい!」
なんつって二人で仲良し漫才を繰り広げていることでしょうなぁ(^◇^;)
鎧ちゃんに観ちゃん。
不思議な、不思議なご縁の二人。
今はもうこの世にいない二人。
存命の頃から仲良しだったけど、きっと今はもっと仲良しだと思う。
某劇団の同期の二人。
その頃、鎧ちゃんは帰ってくると相方さんの話をした。
「とってもマジメに自分の世界を貫こうとしてる男がいる。
あいつの世界は自分の目指してるものと形は違うけど、根っこは同じ。
だから応援してるんだ。はやく舞台に出て欲しいんだ。」
一時期、喧嘩してる時もあったらしい(笑)
でも、結局それが、彼らを強く結びつけた、とお互い話していた。
一度、電車の中で3にんでバッタリ会ったことがある。
不思議なことだが、後に相方さんもそれをはっきり覚えているコトを知った。
鎧ちゃんがなくなった時、店を閉めることになって、
そこの物を運んでくれたのが相方さんだった。
不思議なことに、この時、お互いに何か縁があるんだと確信したと後からわかった。
でも、当時、私は鎧ちゃんを失ったばかり。
相方さんは彼女と別れ、2年の山篭りを経て、業界に復帰したばかりだった。
強いものを感じつつも交わることもなく、そのまま別れた。
そこから2年が過ぎようとしていた頃、私は相方さんと衝撃的な再会をした。
ある作品のスタッフを頼まれたものの、いろんなトラウマから劇場に入れず
何日も行っては帰るを繰り返し、やっとドアのノブを引いて中に入ると、
リハーサルが行われていて、その舞台の上に彼は居た。
目に飛び込んできたのは鎧くんのコートだった。
2年間、探しても探しても見つからず、これは鎧ちゃんが天国に持っていったか?
と思っていた、大切な大切な形見のコートを相方さんが着ていた。
次の瞬間、相方さんの声が聞こえ、姿が見え、舞台に釘付けになった。
2年間、まったく色も音も感じなかった私の目の前で、そういうものが一気に回りだした。
相方さんとの芝居と出会った瞬間の記憶。
鎧くんとの出会いもそうだったが、彼らの持つ才能は飛び抜けていて
私はそれを守らないといけない、と確信した。
何とかして、この才能を守らねばならないと思った。
その舞台の後、彼は私と家をシェアすることを決めてやってきた。
家を見に来て、わずか3日後のことだった。
私たちは鎧ちゃんの存在とお互いのつながりの深さを確信した。
コートは彼の手に鎧ちゃんの形見として渡ったのだそうだ。
そして、不思議なコトに、相方さんは誰も知らなかった
鎧ちゃんと私にとって一番大切なことを知っていた。
それから、自然と私たちは思いを共有する仲になり、
同じ道をひたすら走る同志となり、
鎧ちゃんと同じ様に「家族」になった。
それは、時が廻るように自然なことだった。
そりゃもう、何から何まで、いろいろ抱えてる私と、
他人にも家族にも言えないまま、いろいろ抱えてた相方さん。
だからこそ、二人の仲は周りにははっきりと言えなかったし、
同じ様に自分たちの気持ちにケリを付けるまでも長くかかった。
その上、同じ仕事の線上にいるのだから、
男と女であることは邪魔にしかならない。
お互いプロ意識が強かったのもあるが、そういうものを持ち込みたくなかった。
どれだけ、同じ性別だったら良かったと本気で思ったことか。
(それは鎧ちゃんのときも同じだった)
周りの人はそんなはっきりしない私たちを見て、それぞれに色々言ってきた。
米、お前それで幸せなのか?とか
福ちゃん、米ちゃんに鎧ちゃんを見てんじゃないの?
もっと、シワ背にしてくれる人を選べ、とか。
まあ、好き勝手に周りは二人の気持ちを勝手にこうだと決めつけて語ってた。
もちろん、それは、私たちを思えばこそなので、私たちは何も言わなかった。
そんなことより、二人には守るべき、大切なものがあったから。
相方さんは飲みに行き、私のことを誰かと話すと誰がこう言ったと言うのではなく、
こう聞かれたから、こう答えたよ、と包み隠さず話した。
君に嘘は付きたくないし、周りから自分の言葉を聞いたとき、
本当は何かを分かってて欲しい、からと。
おかげでニコニコしながら話しかけてくる人が、
本当は裏っかわで私をどう思って彼に何を言ってるか知っていた。
知ってて私はそれを受け止めていた。
それは、相方さんも同じだったろう。
でも、周りにはあやふやに思える言動でも、
私たち二人のあいだに明確なものがちゃんとあってそのようにしていたのだ、
そうすることこそが二人の強い絆の証だったのだ、
と言う事実は私と相方さんとぴーちゃんと、それを天から見守っていた鎧くんしか知らない。
そんな風に、私たち二人と一匹のあいだに鎧ちゃんは確かにいた。
鎧ちゃんの存在があったから、うちらはがんばれたのだ。
命をかけて生きることを教えてくれた彼がいたから
大切なものを一番に指定来ることができたのだ。
いま、誰もその事実を知らず、なにも信じてくれなくても、
向こうにいる二人だけは本当のコトを知っている。
ぶっちゃけ、色々語るのはしんどくて、更に理解には遠いと思うからしない。
それだけ、大きなものを二人だけで抱えてやってきた。
まぁ、心配しなくても、向こうに行ったとき、彼らが周りの人に話してくれるコトだろう。
その時は、きっと周りの人も、今とは見違える程に理解を示してくれることだろう。
なんたって、愛のなせるわざなのだから。
彼らはいま天にいて、むかしむかしから固く結ばれた友情を感じていることだろう。
誰よりお互いを理解している家族になってるんじゃないか、と思う。
なんつったって、あたしの一番の理解者同士だもの。
そんでもって、彼らの一番の理解者がオイラだもの。
決まってる。
天国では二人に楽しくいてほしい。
今度は秋の一番綺麗な頃に相方さんのメモリアルディがやってきます。
その時はまた皆で話しかけるね。
ありがとうございました。