KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

balance

2013-03-28 | KOFUKU日記


【 peace 】

よのなかのひとがみいんな ひとつの家にすまえたらいいのに 
あたえるというきもちもなく うくるというきもちもなく 
ただ かんしゃし ただ いつくしみ 
そして あらゆるものは そうごんなしずけさにもえるのだ
八木重吉






さて
「世の中はバランスだな」
と、思っている私がいます。

バランス、それは「調和」とも言いかえらるし、
「思いやり」とも言えるし「引き算」や「割り算」などなど、
時と立場によって、いろいろな形に変化するものと思います。
それが大いなる調和を保っている時に美しいものだと思います。
そして、それこそが全てのものに必要なもの。

鉱物、植物、動物、これらは必要な時に必要な進化を遂げ
その進化の過程さえも「完全」な姿であると言われます。
相反して人間は常に不完全で進化を遂げている最中なのだそうで。

てなことで、人間は不完全である事は間違いない。
なかなか完璧なバランスは取れないけれど、それでも完璧を目指す生き物であり…。
それが人間の人間である所以だと思っているんですよね、私は。
そこで、常にたしたり引いたりしながら、善きバランスを取ろうとし続ける事
それこそが生きる上で非常に大切なんじゃないかいな?と感じてるわけでありマス。





そんな私は時と場合により、テンション高く、
おバカで、ポジティブに生きられる(フリのできる)人の方デス。
基本、博愛主義なので人一倍、愛に関するモチベーションが高い(これはリアル)
その上、仕事柄か、現実的でない感覚に満ち溢れているらしく
自分でもファンタジーランドから来たのね、と思っています。

ところが根っこは、疑り深く、真直ぐに見ず、タテヨコナナメからモノを見て
現在の結果からそこまでの道のりを分析し予測をする癖があるんですよ。
何事も自分の頭とココロを通して考えて見ないと納得できない。
要はものすごい現実主義者なんですねーーー。
これは、生まれた時からだったりします。
(私は生まれた瞬間からの記憶があるのです)

最近は落ち着いてきたんですが、世間で言うところの
スピリチュアルな出来事を数々経験しておりまして
いわゆる不思議な体験談と言うのには事欠かないんですが…。

で、ある時思ったんです。
なぜ、こんな超現実的な私に、そんなスピ現象が起こるんだろう?
イヤ、ここで「そんな体質だからだろ」ってことはいわないでくださひね…(ーー;)
話が終わる(笑)

もとい、自身の行き着いた答えは「私が根っから現実的だからこそだろう」ということでした。
私はこんななので、比較的人様が見て驚く奇跡的なものを見ても、
「わ、びっくりしたぁ!へぇー、ほほぉ、そうなんだァ」と、
何の疑問も持たず、すとんと受け入れられるけど
あっという間に意識は現実世界に戻ってしまうのですよねー。

うん、そうなのよ…。
私にはそれがこの世に当たり前にある訳だから
なんか、そういうことが、あまり極端に奇跡的でもなかったりもして…。
だから、その時はうわー!すごいすごーい!と思っても、
その経験から世界が変わり人間が変わるって感じにあんまりならない( ̄▽ ̄;)
学ばないっていうか、学べないっていうか…(ーー;)

しかし奇跡的な事っていうのは、やっぱり「ミラクル」なわけで
決して意味なしには起こらないと思うわけなんですよね、私は。
イエ、もちろん、この世で起きてることはすべてがミラクルなんですけどね。
とにもかくにも、全くその答えに対する根拠はないけれど(^_^;)
なんででしょう?そういう確信があるんですよねー(^-^*)(・・*)(^-^*)(・・*)

だから、何かこの世を司っておられる大いなる力が、
この不安定なワタクシメが正しい世界?に常に戻れるように
何度もそういうことを体験させてくれるんだろうと勝手に思っているのでありますー。

そんな体質の自分のため、今もそういうモノとか世界とか
それなりに近い感じでに繋がっていられるワケなんですが
だからといって、それで満たされているわけでも、
悟ってるわけでもなかったりするんですね。





そんな私は芸能界とか教育界って世界に生きているワケです!
ここってね、現実と夢が交錯する場所でね、
そこには見えぬ修羅地獄があるのデスよ( ̄▽ ̄;)
表では夢みたいなふわふわした現場で愛や友情を語るけれど
それを維持させるためには「お金」や「必要悪」が欠かせないのよね。
そこには外からわからないような恐ろしい現実があるのデス。
中心に迫れば迫るほどその闇は深いワケですねぇ(ーー;)
ぶっちゃけ政界でも宗教界でも表が綺麗なものを提供してるところはみんなそうですよ。

デモ、デモ、デモ、
その闇がないと光は存在できない。
ハードなハードな夢の現実世界。

デモ、デモ、デモ、
夢の世界にリアルに生きていなきゃ
本物にはなれない夢の世界。

だから、そこに住む人には、いくつかの種類があります。

かたや、夢を演じつつ、現実の荒波重視で生きる現実人。
(技術により夢を見せる達人だが、残念ながら嘘つき、
でも現実世界では失敗すること少なく勝ち組…富と名誉第一の人種)

かたや、現実を演じつつ、夢の国で霞を食って生きてる夢の国の住人。
(夢を真実に変えてリアルに生きられるが、
現実での生活力が非常に弱く、現実世界では負け組…芸術家とも言われる)

いいか悪いか解りませんが、アタシ(&仲間たち)は間違いなく後者です( ̄◇ ̄;)





冗談はさて置いて、そんな生き方してきたせいか、
おかげでいろんな現実を垣間見て体験もし、いろいろ学んで、
いわゆる一般の方とは大きく違う感覚を持つに至りました。

でも、今思えば、それが凄く良かったんです。
ある種の、ある一部分のかもしれませんが
それは色濃く「表と裏」といいますか、光と影といいますか
その両方のバランス感というものを身近に心が学べたから。

その感覚を「すれてる」と言った感じに取られることもありますが(笑)
目の前に見えている一方方向からだけを捉える事はなくなりました。
その裏に、反対側に、タテヨコ斜めに、世界があると感じられる様になったことは確かなのです。
それが私のココロにきちんと捉えられているかどうかは、また別なんですけどね(^_^;)





そんな経験をしたからか、どうだか、よくわかりませんが、
アタクシに関わっている方々って生き方とか、性格とか
いい意味でも悪い意味でもちょいとハードな人が多くてデスね(^^;
まあ、そんな人に、なぜかいつもどっぷり浸かることになるんですけどね。
自分でも突っ込んで行きがちなんで、自分のせいですけどね(笑)


そんなある日のコトです。
忘れもしないですねぇ。上野の近くでした。
一軒のこじゃれたカフェがありまして、そこのテラス席で一人お昼を食べていたんですよ。
そしたら、突然目の前に、そりゃあイケメンのおじちゃん(笑)が立ってるんです。
眺めのヘアスタイルの女性みたいに綺麗な男の人。

で「お隣いいですか」って言うんですよ。
で、「ええ、どうぞ」って。
で、イケメンのおじさんは目の前に座られました。
コーヒーを頼んで、それが来て、おじさんは爽やかな笑顔でね、
「お仕事ですか?」と「はい、バイトでしたー」って話したりして。

そしたらですね、突然おじちゃんが
「とつぜん不思議なことを言うと思うけど…」と…。

ココロの中で(おいおい、きたよ)と思う私(笑)
うん、知らない人にそんなコトをイキナリ言われることが多々あるんです(^_^;)



「はい?」

おじさん
「あのね、君が嫌でも、神様が君を離さないみたいよ」


「はいー?」

おじさん
「だから、伝えることがあるの。ね、君の一緒に暮らしている人は芸術家でしょう?」


「はい」

おじさん
「あのね、君はね、彼にバランスを取らせるためにそこにいるの」


「そうなんですか」

おじさん(目の前にあった紙ナプキンをおいて)
「書くものある?」
(私、ペンを貸す)
「あのね、普通の人のバランスはこうなの」
(おじさんは底辺がしっかりしてる普通の正三角系を書いた)
「でも、芸術家のバランスは大概こうなってんの」
(おじさんはひとつの頂点がしたになっているやじろべえ見たいな三角を書いた)
「このバランスを取るのはものすごく難しい。だから、どうしても手助けがいる」
「でも君がバランスを取ってはいけないよ。彼がバランスを取ることが出来るように手伝うの。」


「なるほど」

おじさん
「芸術家はバランスが傾きがち。昔はそれでも良かった。
それこそが芸術家の仕事だったの。この世のバランスを崩すのが仕事でね。
僕もね~、むかーしは画廊で働いていてね、画家も育てたりしたんだよ。(と昔話続く・笑)

でもね、今は違うの。昔とは全然違うんだ。昔の生き方ではいけないの。
この時代で与えられた仕事をするためにはバランスを取らなくちゃいけないんだよ。
自分のバランスをとることで周りのバランスも作れる。
いい、バランス。バランスが大事。この世にもっとも大切なものだよ。
この世に足りないものはそれだよ。
バランスを作るために芸術家はここに降りてくるんだよ。
君はバランスをとるために置かれてる。
そして君の人生も同じ。大事なのはバランスだよ。忘れないでね。」


おじさんは私に紙とペンを渡してそれはそれは綺麗な顔でにっこり笑った。
私が貰った紙を見て、顔をあげたらもうそこにはいませんでしたΣ(´∀`;)






これ、本当の話。

とりあえず、あの人は天使みたいな人だったんだろうなーと思っています。
もちろん家に帰って相方さんにその話をしたんですがマジメに聞いてくれました。


他人が聞けば??な話ですが(笑)
以来、私の中で「バランス」という言葉はものすごく大切な言葉なのです。

生きる上でのバランス。
いろんな世界の上でのバランス。

そんなわけで、芸術家のバランスなるものを教えてもらったわけなんですが、
でも、この十年振り返って思うに「一般人」と言われる人の方が
生き方がえらいエグくバランスが崩れている気がします…( ̄▽ ̄;)

さっきも書きましたけど、世間の人は芸能人をすべて同じように仰る方が多いですが、
芸能界含め芸術に関わる業界は対外2つに分かれるのでありますよ。
商業的に世間悪を受け止め、その上にたってやろうと生きていく人と、
そんな富谷名声には目もくれず芸術の道をストイックに歩んでいくタイプとね。

ところが、私の見た一般世界は、出来るだけ適当にやって人任せな楽な生き方、
そんな人生を選択することが、頭が良くて、いい人生を歩むことみたい、に思えました。
醜聞と言うのはもしかして一般社会の出来事のことを言うんじゃないか?
と私は切実に思ったこともなんどもありました。
まあ、いわゆる「現実」を生きてるわけだから仕方がないのだと思うけど。


業界にはたしかに深い闇が存在するし、動いてるお金も半端じゃない。
政治に使われることもあるし、世の中を動かすために使われることもあります。
確かに規模が違うことは否めないですよね。
だけど、人間性はどうなんでしょう?

例えば芸能界には闇と同時に命をかけた生き方がある。
それができなくては、本当にできない世界。
(もちろん中にはラッキーな人もいますけどね、でもそれは本当にわずか)
到底、一般の人がしているような生き方をしていては生き残れない。
やることも一足飛びにできるもんではない。
まあ、素人アイドル全盛期ですが、彼らだって業界に入ったら変わる。必死になるんです。
それをやるために、すべてをかけ、捧げて生きている訳だから、並ならない覚悟と勇気がある。
まあ、芸事は誰かに助けてなんてもらえない、誰だって一人で仕事をせねばならない、
決して人に頼ることなんかできないから、そこが大きく違うんだろうと感じています。

けど、その感覚で世間というものを見ると、すっごくもろい。いろんな面で驚く程に。
我慢が効かないし、努力ができないし、何より好きを自分の力にしようとしない。
簡単に諦めちゃうし、なんでも時代や人のせいだし、
そんな自分を恥ずかしくないって言うんだから驚いてしまうのです( ̄◇ ̄;)
しかも大人たちも、それが頭のいい生き方みたいに言うしなぁ。
でも、少し前まで、ここまでじゃなかった気がするんですよ。
いつからそうなっちゃったんでしょうか?





というわけで、話は戻るけど、「バランス」なんです。
やっぱり私にはこの世のいろんなバランスが崩れてきてる気がしてならないのです。

今は自分の、そしてこの世界のバランスをとるために
どう生きていくべきか、考えねばならないなぁと思っています。

私のバランスを考える。
たしたり、引いたり、掛けたり、割ったり。
それを考える。
考えてやってみる。

きっと、それが大切。
何はなくとも、それだけはわかってるんだけど。

バランス。

balance.